アクマイザー

再生(前編)


乾いた石造りの部屋の中央におかれた、簡素な木製の寝台の上で「彼」は目覚めた。
その瞬間、部屋に溢れていた静謐な空気は破れ、聖域を満たす女神の小宇宙を食い破るかのごとく、その肉体から黒い思念が広がってゆく。寝台の傍らの椅子に控えていたカノンが、弾かれたように立ち上がり、彼の顔を覗き込んだ。
「サガ…?」
その声に反応して、閉ざされていた瞳が、長い睫毛を押し上げるようにゆっくりと開かれる。同じ顔の弟を見つめるその瞳は刺すように紅く、そして次の瞬間、敷布に緩やかに広がる青銀の髪は、またたく間に輝く漆黒へ変化した。



「あれは、どういうことですか女神!」
「女神に怒鳴るのはやめたまえアイオリア」
不穏な小宇宙の発動を察知して駆けつけた十二宮の守護者たちの前で、少女神は困ったように首をかしげた。
「おかしいわねえ…無事に蘇生できたと思ったのだけれど」
聖戦の後に結ばれた聖域・海界・冥界の協定により、各界の闘士たちはそれぞれの神の責任の下に肉体を再生され、聖域ではサガを残し、既に全員が蘇生を完了していた。
サガひとりのみ遅い目覚めとなったのは、彼の死が自らの意思による自刃であるため、生への召還に通常よりも困難が伴うかららしい。ちなみにカノンは海界での蘇生だが、サガが復活するまではという条件で、ジェミニの兼任と兄の見舞いを理由に聖域へ…正確にはサガの傍へ居ついていた。
万が一目覚めた時にサガがまた自傷しないとも限らず、そのときは自分が止めなければとの危惧からであったが、今は別の意味での監視のために、カノンはサガのいる隣室に留まったままだ。
つまり、黒いサガを外へ出さないために。

カノンは駆けつけた黄金聖闘士を部屋の中へ入れようとはしなかった。ただ「女神を呼んでくれ」とだけ伝えた。力づくでも乱入しようとするアイオリアをシュラとシャカが抑え、アフロディーテが女神を呼びに走ったのが数分前の話。
直ぐに駆けつけた女神は、肌を刺すような小宇宙を読みとり、軽く溜息をついた。姿を目にせずとも、明らかにわかる双子座の強大な小宇宙。銀河の雄大さにも似たその流れの中から、暖かさだけが抜け落ちたような光。金環食を思わせる黒い輝き。これは、本来の…皆の知るサガのものではない。

「そういえば、自ら死を望んだのは善の方のサガでしたものね…彼の方が復活に時間がかかるのは、思えば当然の事かも知れないわ。」
黄金聖闘士たちの視線の中、女神は呟いた。
「おそらく、善のサガの精神が復活を果たす前に、もう一人のサガの方の精神が、先に肉体に繋がったのだと思います」

横をみれば、まだ殴りこみに行きそうな勢いのアイオリアをシャカが制している。その隣には複雑そうな顔をした元偽教皇派の三人と、表情を押し隠したムウ。そして、黄金聖闘士の輪に加わらず、先ほどから窓の外を眺めているアイオロス。他の顔ぶれも何かしら思うところのある表情ながら、女神の判断を待っていた。
(女神たる自分の弱さと不甲斐なさのために、彼らにいかほどの苦しみを与えただろう…)
少女は胸の中で、自分が不在である聖域の13年を思った。
(新しい生でまで、以前の憂いを繰り返させてはならないわ)
本来、聖闘士どうしで諍うなどあってはならないことだった。少女は顔をあげ、周囲の黄金聖闘士たちへきっぱりと告げた。

「こうしていても始まりません。私が彼と直接話をします。」
「女神、お止め下さい。それは危険すぎます。」
間髪いれずにミロが口を挟んだ。
ミロは普段はフランクに話す男だが、女神に対してだけは敬意を示して言葉を改め、丁重に接している。それでも慇懃さが時折混じるのは、悪意によるものではなく、その奔放さによる地なのだろう。
「あの男が御身にまた害をなすことは充分考えられますし、直接お会いになられるのは。」
ミロの心配は尤もだったが、女神は微笑んでやんわりといなした。
「大丈夫よ。サガも私の聖闘士ですもの…それに、彼の身のうちに根を張っていたクロノスの影響力は盾で払ってありますから」
実際、女神には黒サガを説得する自信があった。いや、説得など必要ない気さえした。何故かはわからないが、神たる自身の選んだ聖闘士への信頼と、彼らからの忠誠は魂の奥底で揺らぎないものだった。たとえどんな存在であれ、双子座である彼は自分の眷属だと女神は判っていた。
それに対し、押し殺したような声でアイオリアが不服を唱える。
「…そもそも、何を話すことがあるんですか?あの男を生かしておく必要なんて」
兄を殺された悔しさは、その兄が復活した今も簡単に割り切れるわけは無かった。嘆きの壁の時点で、シュラの事は許していた。事情を知った今では、白い方のサガの事も複雑だが容認はできる。しかし黒サガとなると別だ。アイオリアにとって、あの13年は簡単に語れるものではない。
幼い頃の自分の覚えている、神のようなと讃えられた優しいサガ。彼を侵食し、兄に汚名を着せ、女神を殺そうと謀反を起こし、多くの犠牲者を生んだ黒いサガをアイオリアは許す気は無かった。

そんなアイオリアを女神は憂いを帯びた労りの表情でみたが、口から出た言葉は、さらに獅子座の青年を打ちのめすものだった。
「そうね。彼の半身が目覚めるまでは双子座はカノンに専任してもらうとして、サガには、しばらく教皇補佐として今までの業務の引継ぎをしてもらうつもりでいるの。適任だと思うのだけれど」
「………!」
アイオリアのみならず、黄金聖闘士のほとんどが絶句する。ムウが言葉を選びながら手をあげた。
「能力的には適任ですが、あの人は他人の命令を聞くタイプではありません。」
「じゃあ命令ではなく、泣き落としてみようかしら」
言い出したら聞かない女神だった。女神の嘘泣きが黒サガの神経を逆撫でする場面が目に見えるようで、年中組が遠い目になる。
「話をするのはいいが、せめて護衛を付けた方がいいんじゃねーの?」
「あら、あなたに身の心配してもらえるとは嬉しいわねデスマスク。安心して頂戴、中にはカノンがいます。だから皆はここで控えていて欲しいの。」
「俺はアンタがサガを無駄にぶち切れさせないか心配なだけだ。」
「同意するが、君も女神に対してもう少し言葉を選びたまえ」
シャカの突っ込みを受け入れて発言を控えつつ、それでもデスマスクやアフロディーテ、そしてシュラは女神の意図するところが何となく判った。
あの美しい黒髪の反逆者は、傲慢で誇り高い。敵として対し、敗北を喫したその女神によって蘇生されたばかりのその身を、他人…ことに黄金聖闘士に無防備に晒すのは屈辱だろう。カノンに相対するのはまた別の屈辱もあろうが、それはあとあと兄弟同士で何とかしてもらえば良い。
女神がそれとなくサガを庇おうとしているのに気づき、年中組は内心感謝した。黒くあっても、彼は13年を共にした共犯者であり、守護対象でもあったから。それに三人の知る黒サガであれば、女神にいま拳を向けるようなことはしないはずだった。これだけの黄金聖闘士が揃うなかで、聖衣もなく暴挙に出るのは無謀でしかない。サガは無為や無能を嫌っていたが、何よりも意味の無い蛮勇を軽蔑していた。

無言になった一同を了承の証とみなし、自分以外の入室を禁じると、女神はさっさと隣室へ足を向けた。残されたメンツは顔を見合わせ、とりあえずはカノンに念話を飛ばして女神の護衛を託すと、緊急の事態に備えて、小宇宙を慎重にサガの居る部屋の周りへと張り巡らせたのだった。


(2006/9/1)


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