アクマイザー

ウォーターオパール(海龍)


いくつかの聖戦が終わり、少しだけ世界が落ち着いた頃、彼はふらりと海界に戻ってきた。
それだけでなく、再び海闘士たちを召集し、自分が再び筆頭として海界復興の采配を振るう旨を宣言した。
何も知らぬ雑兵たちは沸き立ったが、海将軍たちは海底神殿崩壊に至る真実を今は知っている。
厚顔さに呆れる者、疑惑の目を向ける者、とかく一筋縄でゆくはずもない。
「何をふざけた事を」
最初に反発したのは海魔女だ。彼は最初にカノンの企みを知り、大海の守護柱を落とす手助けをした過去を持つ。潔癖な性格のソレントにとって、かつて野望のために海界を利用した黄金聖闘士が、今また海龍を名乗ることすら業腹であった。
「ポセイドン様が、お前を許すと思っているのか」
穏やかな口調で、しかし侮蔑を込めて目の前の男を切り捨てる。
カノンが冥王との聖戦で果たした役割は知らぬでもない。しかし、彼が借りを返したのは女神とその眷属に対してだけだ。自分はまだ許してはいない。
その怒りは多少の差こそあれ、海将軍みなに共通する心持であり、海龍を庇う者はなかった。
けれども皆の視線にまるで臆することなく、彼もまた穏やかに宣告した。
「諦めろ。その海神がオレを認めたのだ」
「まさか」
「嘘はつかぬ。その証拠に」
彼は手にしていた海皇の矛を掲げる。その神具からは海皇の小宇宙が溢れ、神の意思がそれを通じて海将軍たちに浸透していく。
神託を見誤るような海将軍ではない。彼らは口をつぐんだ。紛れもなくカノンはポセイドンの許諾を得ていた。それは、今までのように海神を謀って得た信任ではない。真に海界復興の命を受けているのだ。
神の赦しがあるのであれば、海界におけるカノンの罪は、ほぼ無くなると言ってよい。
幾千万の犠牲者を出した水禍も、カノンによって時期を歪められたとはいえ、ポセイドンの意思と力によるものだ。そして海闘士はその理念に賛同して集っている。数多の死に対して彼を責めることは、自らを棚上げして海神を糾弾する事に他ならず、海闘士として出来るわけがないのだ。
それゆえ、海界でカノンの責められるべき罪とは、神と海闘士を欺き、死を招いたという部分に絞られる。同胞の死に関しては既に蘇生で贖われており(だからと言ってカノンの罪が消えるわけではないが)、そうなるとあとは神を謀った罪が残るだけだ。
ポセイドンがそれを許したとなれば、その意に従うほかない。地上と海界では罪科の基準も事情も異なる。
「異存はないな」
彼は昔そうであったように、反論を許さぬ威圧感でその場を支配した。


彼は海界へ来て最初に、ポセイドンの下へ降りていた。崩れた神殿群の中でも海皇を祀る本殿だけは形を保ち、その中央にはポセイドンの鱗衣が何事もなかったかのように鎮座している。そしてその脇に置かれた封印の壷。女神の護符が貼られた神器の中で、海皇は静かに眠っている。
海皇は女神に封じられているというものの、それはいかにも形式だけで、その気になればいつでも戒めを破れるであろう神気が、色濃く海底神殿を覆っていた。
彼はその壷の前で跪いた。
「わたしにシードラゴンの鱗衣を纏う許可を」
それだけを述べて、応えを待つ。
彼は自分の言葉に必ず海神が反応すると確信しているようだった。
そして、その確信は違わず、神殿内にポセイドンの小宇宙が膨れ上がる。
応えよりも前に笑い声が響いた。愉快そうに、それでいて相手を試すかのような神の声が問うた。
『お前は、そのために聖闘士である己を、黄金聖衣と仲間を捨ててきたのか』
伏せられた青年の表情が、一瞬だけ顰められる。
「そのとおりです」
『なれば、お前は今より海龍だ。鱗衣を纏うのに憚る事は無い』
まだポセイドンは笑っていた。
『全くお前達は、人間は面白い。その愚かさに免じて、我を利用せんとするその傲慢を許す』
楽しそうに告げ、海神の鉾とともに海軍の主権をも彼へ任せる。
退屈な眠りを少しでも楽しませる者であれば、多少の問題など目こぼしし、気に入った者には大らかさを見せるのがポセイドンの懐の深さだ。
今や真のシードラゴンとなった彼は、黙って頭を下げた。


彼は、贖罪のためという理由を除いても良く働いた。
的確な采配を振るい、資金を調達するシステムを組み上げ、着実に海界を復興させていった。
以前のような専横は振舞わず独断に溺れることなく、計画を立てる折も必ず海将軍たちの意見を酌んだ。ある意味理想的なまとめ役であり、そうなると海将軍たちとしても、彼の手腕を評価せざるを得ない。
また、寝る間も惜しんで働き続ける姿を見ては、ただ憎み続けるのも難しい。
少しずつ、海将軍たちはカノンを許していった。
相変わらずカノン側は誰に対しても距離を置いたものの、その距離の取り方は偽りの13年間のものと同質ではない。海闘士側が彼に踏み込む分には緩やかに受け入れられ、拒絶されることはなかった。
彼は冷たいようで、最後のところでは面倒見も良い。本来の彼はそういう性質なのだろう。
海底神殿が全て復興する頃には、彼の周りには、彼を慕う海闘士が大勢集まるようになった。
「人間は変わるものなのだな」
バイアンがカノンを目で追いながら呟く。
「そうかもな」
カーサが隣でのんびりと相槌をうった。海将軍の中でカノンに次いで年長の彼は、いつ仲良くなったものか右腕として重用され、鍛え上げられている。
「お前は一番カノンの近くに居る。その分俺たちより、あの男を知る機会が多いのではないか」
アイザックが尋ねたのは、リュムナデスのもつ他人の心を読む力による判定も求めてのものだろう。
「お前の目からみて、今のカノンは信頼出来るか」
隻眼の同僚を、カーサは鼻で笑った。
「俺は信じるがね…ただ、お前らは自分の目で見たものを信じりゃいい」
「じゃあ見たままを言わせて貰うが」
横から口を挟んだのはイオだった。彼は真っ直ぐにカーサを見た。
「どうしてカーサは、あいつを名前で呼んでやらないんだ?」


カーサは、元黄金聖闘士であるカノンが筆頭への復帰を宣言したとき、全くそれを信用することが出来なかった。たとえポセイドンの信任があろうとだ。
だから、最初に彼の心を読んだ。意外なほど簡単にカノンの心は暴かれ、そこには何か隠されているようにも見えなかった。深読みしすぎたかとその時は流したものの、時折彼の心を探ってチェックを入れることは、その後定期的な確認作業のようなものとなった。
もしかしたら、カノンはリュムナデスの覗きに気づいているのではないかと気づいたのは、暫くしてからだ。
気づいてみると、それは『もしかしたら』などという不確かなものではなく、好きなように見れば良いのだとばかり、無造作にカーサの行為を放置しているようにみえる。
それを自分への信頼ととるほどカーサは世間知らずでもない。
カーサはますますカノンへの不審を抱いた。
ある時、彼の心の中にスニオン岬の水牢が見えた。カーサは知らなかったが、それは一輝によってカノンが思い起こさせられた風景と同じ場面のものだった。カノンは彼と同じ顔の相手を罵倒し、罵倒を背中に受けた少年は振り返ることなく歩いていた。少年から背後のカノンの表情は見えない。カノンに罵られるたびに、少年の心は乾いていく。これは双子の過去のワンシーンに違いない。
カーサはいつものように、それを流そうとして、ふと気づいた。この風景の視点は、カノンではなく少年側にあるのではないか。
はっと顔色を変えたカーサを見て、常であれば心の中を見るに任せていたシードラゴンが、目を細めた。
「失敗したな。心の中を偽る事など、慣れすぎていて粗が出たようだ」
その表情は、今やカノンのものではなかった。
「お前は、まさかサ…」
言いかけたカーサの顔面を、シードラゴンの手のひらが万力のように掴む。
動きを阻む事すら出来ぬ力の差に、カーサはぞっとした。彼は自分を殺すつもりだ。
「まて、俺は誰にも言わん!」
慌てて彼を言葉で制する。
「お前も、事情を知るものが居た方がいいだろう。俺がフォローしてやる、だから落ち着け」
必死で宥めるカーサを、瞳に紅の混じった美貌の青年は冷たく睨む。
カーサは畳み掛けるように問いかけた。
「何でお前のほうが海界に、アイツはどうしたんだ。まさか死んだままなのか」
「死ぬわけが、なかろう」
返されたその声には、僅かに狂気の色が混じっていた。
「カノンがいないなんて、そんなわけがない。死んだのは兄のほう、そう、サガが死んだのだ」
「だから、カノンの代わりに、海界へ来たのか」
「代わりではない、オレがシードラゴンだ。海皇も認めた」
穏やか過ぎて誰も気づかなかった歪みに、カーサは絶句するしかなかった。
そして納得もする。どうりで海皇が放置するわけだ。ポセイドンは面白がっているのだ。
このグラン・ギニョールを。
「オレは、カノンとしてすべき事を、やり遂げねばならない」
これがポセイドンの意向であるのならば、海将軍であるカーサの返答は一つしかなかった。
「しょうがねえ…。なら本気で手伝うしかないのか」


イオの問いに一瞬カーサは目を丸くしたものの、直ぐにニヤリと笑った。
「別に…シードラゴンのほうが呼びやすい。それだけだ」
「そうか?どう考えてもカノンのほうが呼びやすいだろう」
納得しないイオをそのまま残し、カーサは雑兵に指揮を出しているシードラゴンの元へ歩み寄る。
今の彼は海界を建て直し、償う事しか考えていない。
それならば、この男は正しく海将軍筆頭だ。
(そうある限り、細かいことは別に気にする必要もないな)
カーサは何か手伝おうかと、青年の肩を叩いた。

(2008/12/19)
CHANGEのサガ版

[Endingシリーズ]


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