アクマイザー

人が神になるとき(双子+ロス)


聖戦が終わったあと、黄金聖闘士は皆地上へと戻ったものの、双児宮だけが空のままだった。
戻らぬ主を嘆くかのように、ジェミニの聖衣がぽつんと宮の中央に座している。
「私まで生を受けたというのに、サガとカノンは何故生き返らぬのですか」
アイオロスがアテナへ問うも、少女神は目を伏せて曖昧に言葉を濁した。
「彼らは生き返らなかったわけではありません」
「では、どうして彼らはこの聖域に戻らないのか。何かご存知なのですか、アテナ」
アイオロスからしてみれば、あの正義感に篤いサガと、改心したカノンが、命を得たのに女神の元へ集わぬ筈がないという確信がある。
女神は困ったように微笑んだ。
「彼らはこの世の外にいるのです」
「この世のほかとは、冥界か海界か、それとも夢界か」
「どこでもありません」
静かに答える女神へ、アイオロスはさらに言い募った。
「場所を知っているのなら、お教えくださいアテナ」
真剣なアイオロスの視線を受け、女神は暫し黙した。
「…そうね、貴方なら、彼らの元へ行くことが出来るのかもしれません」
ようやく紡がれた言葉も、あまり歯切れの良いものではなく。
「彼らに会いたいのなら、これを持ってスニオン岬を訪れて御覧なさい」
そう言ってアテナが差し出したものは、神殺しの短剣だった。

海界と聖域の境にあるその場所は、罪人を閉じ込める獄であり、罰を授ける刑場でもあった。
神の力によってしか開かれることの出来ない牢の前へ、アイオロスは降り立った。
牢の内部は洞窟となっていて、その奥を窺うことは出来ない。
話によれば海界神殿へと繋がっているらしいが、星矢たちとの戦いで神殿が崩壊したあとは、道がどうなっているのかを知る者はいない。
アイオロスは黄金の短剣を翳した。すると牢であった空間に扉が現れる。
神具を使う事によって、他界への道を開く特異点…それがスニオン岬の正体だった。
アイオロスは驚かなかった。界を渡る可能性は考慮済みで、黄金聖衣を着用してきている。

扉を押すと、あっさりと開かれた世界の向こう側に青い水が見えた。そこでは透明で鏡のように光る水面が地平線までも続き、どこまでも青い空を映していた。水と空以外には何もないように思えた。アイオロスは迷わずそこへ足を踏み入れた。

水面は浅く、彼のくるぶしが浸かる程度だった。足跡で水紋を作りながら彼はサガとカノンを探した。
並外れた超感覚と八識を持つとはいえ、アイオロスは次元に干渉する技を持たない。
シャカやデスマスクやムウと違い、異空間にあまり耐性を持たぬアイオロスは、歩くだけでも酷く体力を消耗していた。水はどこか彼を引き止めるかのように、重く足に絡んだ。
アイオロスは13年前を思い出していた。あの時もサガが消えて、自分は探し続けたのだ。
探し求めて、ようやく見つけたサガは、彼の知らないサガだった。

「くそ…だから何だというのだ!」
アイオロスは小宇宙を燃やし、羽を広げた。
水面を蹴り、空へと飛びたつ。その途端に身体は軽くなり、自由に空間を移動できることに気づく。
聖衣の内部から伝わる黄金の波動が、アイオロスを癒した。
黄金聖闘士の中で唯一つ、人馬でありながら翼を持つサジタリアスの意味、それはを異界を超えることにあった。それは本来は聖戦で発揮される筈のものだ。翼なしには通れぬ神の道を飛ぶ切り札として、遥かいにしえの予見者が黄金聖衣の中でもサジタリアスを選んだ。羽持つ青銅が奇跡を起こせぬときには、サジタリアスが神の道を超える使命を負っていたのだ。
神の道に比べれば、単なる異次元空間であるこの世界を飛ぶ事は容易かった。
天空からこの世界を見下ろし、アイオロスは大音声で叫んだ。

「サガ!カノン!いるのならば応えろ!」

叫んですぐに、耳元で苦笑し、囁く声があった。
『お前は、変わらないな』
ハッとアイオロスが振り返ると、いつのまにか足の下には大地があり、広がる草原の中へ立っていた。少し距離を置いて、アイオロスの良く知る相手が同じように立っている。その相手は穏やかな微笑を浮かべてこちらを見ていた。
『どうしてここへ?』
清潔そうな白のローブをまとい、クセのある長髪を風になびかせて、"彼"は懐かしいものを見るかのように目を細めた。
「お前を探しに来たに決まっている」
『…そうか』
"彼"は風のせいで顔にかかった髪を、ゆるやかに払った。
『お前は、サガを探しにきたのだな』
「カノンもだ。俺は二人を探しに来たのだ…ジェミニよ」
アイオロスはそう呼ぶしかなかった。目の前に現れた男は、サガでもありカノンでもあったので。
ようやくアイオロスにも現状が見えてきた。
「お前達は、ひとつになったのか」
そう言うと、ジェミニと呼ばれた男はニコリと笑った。
聖戦での嘆きの壁で、サガとカノンが魂を重ねたことを、アイオロスは気づいていた。しかしあの時はその事に気を向ける余裕も時間もなかった。
カノンとサガは混じり合い溶け合い、それでいて同一化することなく一つの存在となっていた。

合体してしばらくの間、その力はあくまで1+1でしかなかった。しかし、ただでさえ神に喩えられる力を持つ二人が核を一つとすることで、その小宇宙は反則的なまでに高まり続けた。さらに黒サガの魂も加わったとき、それは人としての範疇を軽く超えた。
「だからと言って、ヒトをやめてしまうことはないじゃないか」
『仕方がない。ヒトを超えてしまった私達は、もう女神の世界では暮らせない』
だから"彼"は、ここに自分達の小さな世界を造った。女神の地球を見守るために。
「またサガとカノンになればいいだろう。二人に分かれれば、元に戻る」
だが、その言葉に対して、目の前のジェミはどこか拗ねたような顔をした。
『簡単に言うな。わたしはカノンと離れたくないし、俺はサガを離したくない。やっと一つになれたのに』
アイオロスは黄金の短剣を強く握った。女神が何故この短剣を持たせたのか、判ったのだ。
ジェミニはどこか透明な表情で、そんなアイオロスを見つめ返した。
『ソレで、私をヒトに戻すつもりか?』
黄金の短剣ならば、魂を二つに切り分けることも可能だろう。
これは神殺しの神具。斬られたものは神として存在出来ず、輪廻に落ちる。既にほとんど神となりかけているかつての友を、これで刺し貫けば。
しかしアイオロスは短剣から手を離した。黄金の刃は草むらに落ちてくしゃりと音を立てた。
「君が、君たちが決めたことならば、今度こそ邪魔をするつもりはない」
ジェミニは目を丸くした。
「君たちの世界に、勝手に入ってごめん」
それだけ伝えて背を向けると、この空間の出口へ向かって歩き出す。
かつて双子であった存在は、その背に向かって静かに伝えた。
『…また、来てくれないか』
神になっても、彼らの寂しがりやなところは変わらないのだなと、アイオロスは思った

(2008/5/23)

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