教皇と十一人の守護者
「アイオロス。私の黄金聖闘士。お願い、起きてちょうだい」
深淵の中でその少女の声は、創生の『光あれ』と同等の意味を持っていた。
声とともに眩いばかりの強大な小宇宙が降り注ぐ。まどろみの底にあったアイオロスの意識は、強制的に掬い上げられ、形を与えられていく。
次の瞬間、彼が目を開けると高い天井が見えた。自分が横たわっている事に気づいたアイオロスは、無造作に上体を起こす。ガチャリと金属特有の音がして、身体を見下ろすと黄金聖衣が装着されていた。
彼は痛む頭を抑えながらその視線を移し、周囲を見回す。
「ここは…教皇宮?」
この場所を忘れるはずも無かった。サガとともに呼び出され、次期教皇を宣告された場所。殺害されそうになった女神を抱いて駆け抜けた運命の場所。
「そうです、アイオロス。まだ生き返ったばかりなのだから、無理はしないでね」
横から先ほどと同じ柔らかい声がした。慈愛に満ちながら威厳のある声に、アイオロスは素早く立ち上がると、その声の主へ向かって膝をつく。
「私を喚び起こしたのは貴女でしたか、アテナ」
目の前の少女はにこりと笑って肯定の意を示した。アイオロス自身の記憶の女神はまだ赤子だったのだが、おぼろげな感覚の中で聖戦に至るまでの事情は理解していた。
アイオロスの魂は射手座の聖衣に宿り、幾度と無く女神を助けてきた。そのため、黄金聖衣を通してエリシオンまでの経緯は掴めているのだった。
目の前に女神が居るという事はすなわち、聖域の勝利。アイオロスもにっこり笑い返した。
「まさか、また生きてこの地を踏むことになろうとは思いませんでした」
「ごめんなさいね、休んでいたところを。でも、どうしても貴方の力が必要だったの」
女神は僅かに目を伏せて、アイオロスに頭を下げた。
「そのような真似はおやめください。聖闘士が女神の御為に働くのは当然のことです」
アイオロスは柔らかくその謝罪を無用と制し、膝をついて控えたまま女神を見上げる。けれども女神は頭を上げなかった。
「今生の聖戦の役目を終えた私は、もうすぐ地上を去らねばなりません。次代に私が降臨するまでの聖域を維持するのに、どうしても教皇が必要だったのです。つまりはその資格を持つ黄金聖闘士の誰かが」
射手座の聖闘士は、頭を上げぬ相手に少し困ったように鼻の頭をかいた。
「アテナ。私はサガの反乱を止めることも適わぬ未熟な教皇候補でしたが、前教皇よりその命を仰せ付かった時点で、覚悟は出来ております。お気になさらぬよう…それで、他の黄金聖闘士たちは?」
アイオロスの言葉に女神は目を閉ざした。
「おりません。貴方だけです」
鷹揚に控えていたアイオロスの目に、初めて落胆の色が走った。
女神は静かに言葉を紡ぐ。
「死者の蘇生は命の流れに反する禁止事項にあたりますが、本来なら私の力があれば可能でした。けれども貴方以外の黄金聖闘士は、全員神殺しの罪に携わった者として蘇生が許されなかったのです。唯一貴方のみ私の命を救った功績により、功罪相殺ということで蘇りを許されました」
「そう…ですか」
また自分だけが仲間と同じ道を歩めないのかと、彼に昏い眩暈が訪れる。女神はそんな彼を労わるように小さく微笑んだ。
「ただ…蘇生は許されませんでしたが、黄金聖闘士たちの願いは叶えられました」
「彼らの、願い?」
「彼らはそれぞれの聖衣に魂となって宿り、教皇となる貴方の手助けをしたい…そう望んだのです」
アイオロスは目を見開いた。ギリ…と奥歯を噛み締め、叫びだしそうな言葉を押さえ込む。
「教皇である貴方は、彼らを聖域の守護者として召喚し、それぞれの星座の力を使役することが可能となります。ただし守護者の常駐は不可…その姿は目に映れども陽炎のようなもので、会話も出来ません。けれども、聖闘士の不足はそれで補えるはずです」
そして、少女の姿をした女神はもう一度『ごめんなさい』と言った。
「こうすることが良いことなのか、私にはわかりません。ただ、黄金聖闘士たちは…貴方を一人にしたくないと、そう願っていました」
アイオロスはずっと黙っていた。少女がアテナ神殿へと立ち去った後も、ずっと教皇の間で佇んでいた。
新教皇の就任のあと、女神はどこへともなく姿を消した。
ハーデス亡き後の地上は割合に平和で、聖域はアイオロスを中心として組織の建て直しに専念する事が出来ている。
ただ時折、神官たちの間で幽霊を見たという者が出た。教皇はそれを聞く度に
「それは幽霊ではなく、聖域の守護者たちだよ」
と柔らかく笑うのだった。
(2006/12/16)
[Endingシリーズ]