アクマイザー

虹の彼方へ(カノン)


白い石畳の階段を降りきって、カノンは十二宮を振り返った。
曲がりくねった石段の遠く、オリーブの緑なす木立の中にいくつかの守護宮が見える。
女神の小宇宙に包まれた聖域は、今日も穏やかな空気が流れていた。

今はもう聖戦の戦後処理もほぼ完了し、聖闘士たちにもかつての日常が訪れている。
ある者は弟子育成を行い、ある者は諜報活動に勤しみ、聖域の基礎がために余念が無い。
平和時でないと落ち着いて研究の出来ない文献整理なども始められたようだ。

数年前の復活直後の忙しさが嘘のようだ。あの時は寝る間もないほどに慌しかった。
被害の甚大な海界を海将軍筆頭として建て直し、聖域との調停役を果たし、聖域では同じく忙しいサガを二人目の双子座として補佐し、女神直々の書状を持って冥界に飛んだりもした。
戦闘とはまた別の疲れと、慣れぬ他人への気遣いでぐったり寝台に倒れこむように寝ていたあの頃を懐かしく思い出す。

カノンは小さく笑った。
聖域は何と小さく、愛すべき箱庭であったことか。
自分にとっては檻である時もあったが、もう昔のように聖域が自分を縛ることはない。
少なくともかつての澱みは感じられなくなった。
風が流れていくのが感じられる。
聖域は変わったのかもしれないし、女神と共に本来のありように戻っただけかもしれない。

むかし聖域を飛び出しておさまった先の海界も、ある意味では天蓋の付いた壷中の世界だった。
箱庭から壷の中へ移動したオレは、13年間ポセイドンや海将軍たちを謀り海龍として過ごした。折角別の世界へ移ったというのに、自分が無いという意味では同じだったなと今更ながら思う。我ながら愚かしく湿った年月ではあったが、それでも振り返ると海界とその住人達のことを大事に思っている自分が居る。

こんな風に思えるようになったのも女神のお陰だろうか
旅立つ前に、大罪人の自分がこんなにも暖かい気持ちで、過去を振り返ることが出来るのも。
カノンは最小限の衣類と旅に必要な数品だけ詰めたナップサックを背負いなおした。もうここに自分がいる必要はない。大戦でもなければ闘士としての自分が必要となることはもう無いだろう。それは海界でも同じこと。何百年か先の遠い未来で神々の協定が破られ、また戦になったとしても、そのころには自分は死んでいる。

十二宮をじっと見つめていたカノンは、女神神殿に向かって一礼をし、再び視線を戻すと何事もなかったように歩き出した。聖域の外へ向かって。
自分は聖闘士としてではなく、海将軍としてでもなく、自分自身として罪を償わなければいけない。この聖域ではなく外の世界で。



数歩進んだところで、カノンは目の前へ現れた人影に目を丸くした。
それはサガだった。
聖域を出ることは誰にも話さず、黙って双児宮を抜け出してきたにも関わらず、サガはカノンの出立に気づいていたのに違いなかった。そうでなければ一本道である十二宮を自分より先に抜けてここに立てるわけが無い。
それより驚いたのは、サガの格好だ。いつもの着慣れた法衣ではなく、カノンと同じように軽い素材のシャツにジーンズ、そして上着と兄らしからぬいでたちをしている。
サガの手にある小さな荷物袋を見て、意図を察したカノンは兄に怒鳴った。
「サガ!双児宮の護りはどうした!」
「もともと十二宮に全ての黄金聖闘士がつめるのは、緊急時のみだ」
「しかし…!」
サガはニコニコとカノンに近づいた。
「私も、いく」
「!!!」
「外へは任務と慰問以外で出たことが無いのだ。楽しみだな」
呑気に笑うサガと対照的に、カノンは本気で怒っていた。
「あ…遊びではないのだぞ!それに、オレはもう…」
ここへは、戻らない。と言いかけたカノンの口元へ、サガは手を当てて制した。
笑みを浮かべてはいても、その瞳は真剣だった。
「聖域であっても、海界であっても、たとえ冥界であれ…何かあればお前は駆けつけるのだろう?その身を呈して贖罪をするために」
何も言えず窮している弟をサガはじっと見つめた。
「ジェミニの聖衣は置いてきた。私も私自身の力で何か出来ることをしたい。それに…私にだって、世界と同列なくらい大切ものはあるのだ」
珍しくサガは饒舌だった。
「私は…ずっと世界を護ろうと願い、そうしてきた。この地上を愛していた。けれども、それが何故であるかという事は考えてこなかったのだ」
そして双子座の兄は苦笑する。
「自分の大切な誰かを護るということも、世界を護るのと同じことだと、今は思う。だから…一緒にいかせてくれ」



しばらくカノンは黙っていた。ようやく口を開くと兄に問いかけた。
「この先アテなど無いぞ。楽な旅ではない。それでも良いのか?」
「聖闘士の修行よりは楽なのではないだろうか」
こともなげにサガは答える。実際、死線を越える修行をしてきた聖闘士であれば、泥水をすすっても生き延びることは可能だろう。
カノンは溜息をつくと、もう1つだけ尋ねた。
「…奴はいいのか。アイオロスは」
もう一人のサガの『世界』。外へ出たら教皇となる彼とはもう会えないかもしれない。それでも良いのかと言外に問うたのだった。
しかしサガはカノンの予想を裏切り、静かにきっぱりと告げた。
「私はアイオロスを愛している。どこにあろうと彼を愛している。だが、私の道と彼の道は違う。だからお前と外へ行こうと思う」
強い意志のこもった目で見つめられて、カノンは降参とばかり両手をあげた。
「兄さんは、昔から言い出したら聞かないからな」
仕方ないと肩をすくめる。
「…後で後悔しても知らないぞ」
「私は、願ったことは全て実現しないと気がすまない性質なのだ」
サガは笑って弟へ手を差し伸べる。カノンは一瞬、その手が幻であるかのように掴むのを躊躇していたが、サガのほうが強引に弟の手を捕まえた。
双子ゆえにサガには判っていた。カノンの過去のへの罪悪感を。
何百万人と死に追いやった弟の過去をサガは蘇生後に知った。カノンは何でもないように振舞っている。その強さにサガは感嘆していたが、それでも弟にとって今生の道行きは茨道に違いないのだった。自分が共に行くことでそれが緩和されるとは思わない。だが、カノンを一人にさせたくはなかった。


「カノンとならいける気がする。あの虹の向こうまでも」
「…地獄への道連れかもしれないのに、サガは馬鹿だ」
そんなカノンの言葉も、サガは冗談めかして笑い飛ばす。
「お前に馬鹿と言われる日がこようとは…なあカノン、こんな言葉を知っているか?」
不思議そうな顔を見せるカノンへサガは空を見上げて呟く。

『この世が地獄というのならば、地獄とは極楽のこと』


償うことが出来ると言う事自体、既に許しなのだと思う。
サガはカノンの手を引くと、外の世界へと二人で歩き出した。




教皇は手元にある1枚の絵葉書をいとおしそうに眺めた。
差出人の名もなく文章すらついていない、けれども毎年送られてくる写真つきのそれを、彼はどれも大切に保管していた。
その写真はあるときには海辺の風景であり、あるときには辺鄙な農村の写真であった。
おそらく、差出人が滞在先から生存証明を兼ねて送って寄越しているのだろう。
聖域を出て行っても、律儀なところは変わっていないとアイオロスは微笑んだ。

それが誰から送られてくるのか、アイオロスにだけは判っていた。
自分の愛したあの人が、外の世界で暮らせるなどとは想像もつかなかったが、善悪併せもって蘇生した彼は、意外と逞しいのかもしれない。
目を閉ざして、外での彼を脳裏に思い浮かべてみる。
聖域で誰からも愛されたあの人のことだ。きっと行く先々でも人々に愛されるだろう。
人に囲まれ、慈愛を惜しみなく周囲へふりそそいでいた昔の彼を思い出す。
脳裏の中で、やはり彼は神のような笑顔を振りまいていた。
全てが明らかになった後、『あの笑みは本物ではない、人間らしさがない、偽善だ』などと言うものも居た。
けれども、それは違うとアイオロスは思う。少なくとも自分にとってのサガは、本当に神のように暖かい人だった。あの笑顔は光を与えてくれた。

他者を救済する彼の小宇宙は本物だった。


双子座の二人が聖域を去った後、女神はその行為を脱走とはせず不問とした。
実際、この聖域と女神になにか有事あれば、彼らは直ぐにかけつけてくれるだろう。
けれども、その有事をおこさぬのが教皇の務め。世に騒乱の種がまかれぬよう、平和を保つのが神の代理人の義務であった。
アイオロスは自分の職務に誇りを感じており、不満は無い。
それでも時折思うのだ。もしも自分が、彼らと共に旅にいけたらと。風のようにどこまでも行けたろうか。
彼は尽きることの無い微笑で、いつも自分に笑いかけてくれたろう。いや、そんな時にはきっと彼の悋気な弟さんが割って入ってくるのだろうな。『とるな!』と言わんばかりの目つきで。

その光景が目に見えるようで、アイオロスは二度目の微笑を零した。
そして葉書を胸に押し当てる。

サガ…今でもオレの1番大切な人。君は元気にしているかな。
今も弟さんと二人で、人々を助けながら世界中を放浪しているのだろうね。


もう二度と会うことは無いかもしれない黄金の双子へ想いを馳せ、教皇は激務の疲れをしばし癒す。そうして、そっとその葉書をサイドテーブルのひきだしへとしまいこむのだった。

(2006/11/30)

[Endingシリーズ]


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