花を与えよ(ラダカノ←サガ)
「どこへ出かけるのだ?」
外出の支度をしている弟へ何気なく尋ねたサガは、言ってしまってから今日がバレンタインであることを思い出し、無粋であったかと内心でまごついた。
兄の動揺をよそに、カノンはといえば気にする様子もなく、いつもどおりの返事をする。
「ちょっと冥界へ出かけてくる。帰りは遅いかもしれん」
行き先はサガの予想どおりだ。
こう堂々と返されると、それはそれで複雑なサガである。
弟が冥界へ行くという事は、つまりラダマンティスへ会いに行くという事だろう。
「土産も持たず、手ぶらで行くのか」
鈍感ゆえに妬心を浮かばせることの出来ないサガは、関心を気遣いという形に変えて尋ねた。
「いや、適当にその辺で花でも買っていこうかと思っているが」
ギリシアでは、聖バレンタインが花の世話を好んだ史実に由来して、花を渡すのが主流だ。
ラダマンティスの出身地であるイギリスでも似たようなものなので、そこは問題ないのだが、サガはふと首を捻る。
「冥界に花は持ち込めるのだろうか。入った途端に萎れて散ってしまうのではなかろうか」
命あるものは阿頼耶識に目覚めでもしないかぎり、冥界へ足を踏み入れると同時に死ぬ。
生花もそうなのではないか。
それを聞いてカノンも首をかしげた。
「切り花は生きているのか?切った時点で死んでいるのではないか?」
「さあ…そう言われてみるとそのような気もするが、どうなのだろう…」
花には疎い二人だった。
「サガよ、花については平気かもしれんぞ?冥界で琴座のオルフェが恋人と暮らしていた場所には花が咲いていたらしい。青銅の小僧っ子たちは、その花に隠れてハーデスのもとへ侵入しようとしたと言っていた」
「うむ…それは聞いている。しかし前聖戦の資料によると、冥界で唯一生きながら存在するのは、血の大瀑布を水代わりに吸って育った木欒子のみという。その実をもとにシャカの封魂の数珠が作られたのは知っていよう」
「じゃあ冥界に咲いているのは何だ」
「命の無い形のみの花…ではなかろうか。散る事もなく、実も結ばぬような」
答えは出なかったものの、折角地上で購入した花が渡す前に枯れるようでは金の無駄遣いだ。
「ああもう面倒くさい。花を持ち込むのが難しいなら、現地調達でもするさ」
地上の花が無理なら、冥界の花を持っていけばいい。それほどイベントに拘りも無いカノンは、適当にすませるつもりで軽く答えたのだが、そう言うとサガは驚いたように弟を見た。そのままじーっと何か言いたげに見つめている。
「な、なんだよサガ」
「お前が、彼の為に自分で花を摘むのか」
「うっ…し、仕方ないだろう。どうせ奴も花束のセンスなどありはしない。どの世界の花かなどと判らんだろうし、金をかけてないことなんざ気づかねえよ」
似合わぬことをするのは判っているさと、むくれているカノンへ、サガは小さく微笑んだ。
それでもカノンは花を渡すつもりなのだ。
「ラダマンティスは、いいな」
「は?」
「私も花が欲しい」
「買ってくればいいだろう。大体今日は他の連中が山ほどサガ宛に持ってくるんじゃないか?」
「お前の摘んだ花が欲しいのだ」
珍しく強く言い募るサガへ、カノンが呆れたように肩を竦める。
「わかったよ。帰りにその辺で摘んでくれば良いのだな。何でもいいな?」
「ああ」
「その代わり、ラダには持ってくのが雑草だってのバラすなよ」
カノンにとっては、金をかけてない花は雑草という認識だ。
ラダマンティスの為にカノン自ら作成した花束と知れば、彼も一層喜ぶだろうにと思いつつ、サガは黙って頷いた。
(2008/2/18)
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