2008シュラ誕(シュラ黒)
「少しわたしに付き合え」
そう言って黒サガが麿羯宮を訪れたのは、まだ日も昇りきらぬ早朝のことだった。
髪を高めの位置で一つに縛り、動きやすい雑兵服を着た黒サガは、普段の簡易法衣姿とは印象を一転させ、随分と軽快そうに見える。服装からしておそらく手合わせの誘いに来たのだろう。
黒サガの気まぐれはいつもの事だが、このように健全な申し出ならばシュラとしても大歓迎だ。
彼との鍛錬が偽教皇時代に無いとは言わないが、サガが正体を伏せている以上、大っぴらな対戦はまず出来なかった。教皇と黄金聖闘士との間には厳然たる身分の差があり、その差をおして稽古したとしても、本格的な技を出し合えば教皇が二百歳の歳を経たシオンでないことが簡単に露見してしまう。
サガやアフロディーテやデスマスクの張った結界内で、イメージトレーニングを組み合わせた鍛錬を行なうくらいが関の山だったのだ。
達人同士となればそれだけでも十分な効果はあったものの、物足りなくもあった。
今ならば何の心配も無い。さっそく快諾して、朝食も後回しにシュラは闘技服を身に纏った。
近場の闘技場へと降りていく道すがら、小宇宙は防御用のみに使うよう指定される。
必殺技は互いに封印するということだ。訓練でギャラクシアンエクスプロージョンを連発された日には、闘技場など跡形も残らないだろうから、それに対する異議は無い。シュラとしても本気のエクスカリバーでサガの肌を裂くのは避けたかった。
純粋な肉体戦ならば、黄金聖闘士随一と呼ばれた自分の体術に分があるとシュラは自負している。
たとえサガが相手とはいえ、大技を使わない戦闘で負けてやる気は全く無い。
コロッセオのひとつへ足を踏み入れると、その場にいた訓練生たちは修行を中断し、道を譲って観覧席のほうへ下がっていった。上位者への遠慮もあるが、巻き込まれぬための自衛でもある。黄金聖闘士同士の戦闘ともなれば、その破壊力は凄まじいものだからだ。
黒サガはテーピングで巻いた右拳を、パシリと軽く左の手のひらに当てた。一定のレベル以上にある者が見たならば、それだけで彼の拳の重さと鋭さを予測できる動きだ。
対するシュラの気も抜き身の刃のようで、一分の隙もない。抑えられぬ闘気を静かに高めていく。
さて、どのように先制をしかけるか…と考えていたシュラの目の前で、黒サガがすっと腕をあげ、闘技場の端を指差した。視線でそちらを見ろと言っている。
戦闘前のフェイントでもなさそうで、何気なく目をやったシュラは目を点にした。
そこには困ったような顔をした紫龍と少女が連れ添って立っていた。
「お前用に用意した」
黒サガの説明は相変わらず簡潔すぎて、経緯がまったく見えない。
見えないが、とりあえず青銅の後輩に何かしらの迷惑をかけている予感だけは確実な気がした。
そちらへ近寄っていくと、少女が怯えたように紫龍の後ろへと下がる。シュラは春麗の名を知らなかったが、仮面をつけていない少女が聖闘士の訓練生でないことは直ぐに見て取れた。
黒サガと紫龍と少女の関係が全く掴めないシュラは、後輩に説明を求める事にして声をかけた。
「お前は中国へ戻ったと聞いていたが、何故此処へ?」
「それが…その」
答える紫龍も歯切れが悪い。
「サガが突然やってきて狼藉を」
「失礼な事を言うな小僧。お前がシュラより受け継いだ聖剣を見せてみろと言っただけだろう」
フン、と顔を逸らす黒サガへ、少女が横からおずおず抗議する。
「何も言わず、いきなり紫龍を攻撃していたじゃないですか」
「小僧のくせに、女といちゃついていたゆえ、腕が鈍っていないか試しただけだ」
「い、いちゃついてなんかいません!」
「いかに貴方とはいえ、春麗への侮辱は許さんぞ」
三人の会話で早くもシュラは眩暈をおこしかけていた。
「サガが迷惑をかけたようですまん。それで、中国にいたはずのお前達が何故ここに?」
はっと紫龍が視線を戻し、言いにくそうに続けた。
「オレが抵抗したら、『お前の聖剣はまだまだナマクラだ、シュラに少し鍛えさせる』と言って…返事をする間もなくテレポートさせられて、気づいたら此処に」
「…その少女は?」
そちらの疑問は、黒サガの言い放った一言ですぐに解けた。
「小僧を飛ばしたら騒いだのでな。面倒だから一緒に連れてきた。老師の許可も取ったゆえ問題あるまい」
恐らく事後申告だろう。シュラはこめかみを押さえつつ、少女に再度謝った。
元凶の黒サガは悪びれもせずシュラに話しかける。
「この小僧がお前の聖剣の後継者とやらなのだろう?故郷に隠遁して弟子をとるなどとほざく前に、このドラゴンをもう少し何とかしろ」
何日か前に酒の席で零した話を、黒サガは覚えていたようだ。そのことにシュラは軽く感動を覚えた。
紫龍についていえば、その実力は折り紙つきで、実際のところシュラが今更レクチャーせずとも、独自にその技を磨いていくだろう。だが、先輩として後進に何も残せなかったと悔いていたシュラにとって、思いもかけず青銅聖闘士の成長の手助けが出来るのは嬉しいことだった。
紫龍もまた、内心では滅多にない鍛錬の機会を喜んでいた。
黒サガの乱暴な方法には反発していたし、勝手な言い分でシュラを巻き込む現状を申し訳なく思っていたものの、黄金聖闘士自らによる指導は、聖闘士ならば誰でも望むことだろう。その複雑な感情が、紫龍の歯切れを悪くさせていたのだった。
「紫龍、すまんが我儘に付き合わせても良いか」
シュラがそう尋ねると、紫龍は途端に顔を輝かせて『ハイ!』と元気の良い返事をした。
紫龍がシュラの指導を受けている間、春麗は観覧席から心配そうに二人を見下ろしていた。
その春麗を、隣に腰を下ろした黒サガが、珍しいものをみる目で眺める。
眼下で拳が交わるたびにハラハラしている少女が、黒サガには新鮮だった。聖域の女性聖闘士たちと春麗は全く違っていた。彼女は平和な世界で生きる、守られる側の人種だった。
祈るように両手を組んでいる姿を見て、黒サガはふと気づいたように言葉を漏らした。
「デスマスクとドラゴンの戦闘を、邪魔したという女はお前か」
「え?」
びくりと春麗の身体が震える。わけもわからぬうちに滝壺へ落とされそうになった恐怖を思い出したのだ。
念動力による遠隔攻撃だったため、直接デスマスクの仕業と判ったわけではないが、助けてくれた老師によってそれが黄金聖闘士のキャンサーの仕業であると後に知った。紫龍と死闘を繰り広げていた話も聞き及び、以前に老師のところへ刺客として送り込まれてきた姿も目の当たりにしている春麗の認識では、デスマスクは非情な極悪人なのだった。
「あの人を知っているのですか…?」
「知るもなにも、老師を誅殺するよう命じて中国まで向かわせたのはわたしだ」
「では貴方が、偽教皇だった双子座の!?」
今度こそ春麗は小さく悲鳴を上げた。
他人に畏怖され、嫌悪されることに慣れている黒サガは意に介することもなく笑う。
「わたしやデスマスクが恐ろしいか?」
「怖いに決まっています!」
春麗は怯えながらも、キっと黒サガを睨んだ。優しくも芯の強い少女だった。
「でも、貴方達は改心したと…そう言った老師や紫龍を信じます」
「フン」
黒サガは肩をすくめて闘技場のほうへと目をやった。紫龍の繰り出した手刀を、シュラが勢いを削いでいなしているところだった。
「老師に育てられただけあって、ドラゴンは基礎がしっかりしているようだな」
それは別に春麗へのサービスで言ったわけではなく、黄金聖闘士として下した正直な鑑定だ。
春麗が黙っていると、黒サガは視線を闘技場へ向けたまま、勝手に話を続けた。
「デスマスクは特殊な力をもつ…他人の想いを聴く能力だ」
返事を求めるわけでもなく、黒サガは言う。
「その力をもって、アレは死者や弱者の声を拾い上げる。小宇宙の修行をしたわけでもないお前の想いを、鬱陶しいと思うまでに感じる事が出来たのは、お前の祈りが強かった事もあろうが、その能力ゆえのこと」
その口調は淡々としていて、感情は読み取れなかった。
春麗は自分へ危害を加える気はなさそうだと判断し、精一杯の勇気で答えた。
「それが本当なら、その力は弱い人を助けるためのものでしょう?折角の力が無駄です」
「そうだな…今思えば、アレにもシュラにも無駄な事を随分とさせた」
意外なことに、黒サガは特に反論しなかった。
不機嫌そうに膝へ肩肘をつき、頬杖をする黒サガを見て、ひょっとしてデスマスクのフォローをするつもりだったのかしらと春麗が気づいたのは、もう少し時間がたってからだった。
汗をかいた紫龍とシュラが休憩に戻ってくると、黒サガと春麗が普通に会話をしていたので、二人は顔を見合わせた。修行バカとでも言う二人は、周囲も見えぬほど鍛錬に熱中していたものの、今になって春麗と黒サガを二人にするという暴挙をおかしていた事に気づいたのだった。
流石に『何か酷い事を言われなかったか?』と直球で聞くのは憚られ、紫龍がおそるおそる遠まわしに少女を気遣う。
「春麗、大丈夫か?…ではなく、退屈ではなかったか」
全然不安を隠せていない様子に、この男に策略は無理だとシュラは自分を棚に上げて思った。
「大丈夫です。サガさんがいろいろ話してくれましたから…」
会話しているところは見たものの、まだその光景が信じられないでいるシュラに対し、春麗は可憐に笑った。
「今日はシュラさんの誕生日だそうですね」
「「えっ」」
シュラと紫龍の両方から、驚きの声があがる。
「そうなんですか、シュラ?」
「確かにそうだが…」
後輩の前であることも忘れて、シュラは動揺していた。
朝から黒サガが押しかけてきたのも、中国まで出かけて紫龍をつれてきたのも、まさか。
「突然攫われて驚きましたけど、そういうことなら私は気にしません」
善意のかたまりであろう少女が告げれば、紫龍も黒サガを睨む。
「前もって教えてくれれば、手土産の一つも用意できたものを!」
シュラは動揺のままぽかんと口を開けていたが、真っ赤になって口元を押さえた。
「こういう不意打ちは、ずるい」
だが二人分の抗議も黒サガは馬耳東風で流してさっくり引っ込んでしまい、気づけば強引に交代させられた白サガが、物凄い勢いで恐縮して紫龍と春麗に謝っていたのだった。
紫龍と春麗が帰った後(彼らは白サガがせめてもの詫びにとどこからか用意した、ギリシア周遊券と帰りの飛行機代を渡されていた)シュラは改めてサガに礼を伝えたが、サガは首を振った。
「礼など言わなくて良い。アレはお前がスペインに引っ込むなどと言ったのが、我慢ならなかっただけだ…その、わたしを置いて」
二重人格の片割れの事とはいえ、同じ自分のことなので、流石に最後の方は言いにくかったようだ。
「紫龍をつれてくれば、わざわざお前が弟子をとらずともすむと思ったのだろう。お前を弟子の育成に取られると、構うことの出来る相手が減るからな。本当にすまない、アレの我儘につきあわせた」
その言葉がさらにシュラを動揺させたことを知る由も無く、白サガは無邪気に相手を誘う。
「ところでシュラ、身体のほぐれたところで、今度はわたしとも手合わせをしてくれないか?」
「喜んで」
浮かれきった気分を引き締めるためにも、思いっきり暴れてやろうとシュラは即答した。
(2008/2/9)
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