アクマイザー

バロックパール


ふと戯れにタナトスの手がサガの髪に触れ、その銀糸を梳くように撫で下ろされる。
柔らかくクセのある長い髪が、それ自体淡い光を発するかのように指に絡まっては流れ落ちていく。
そのうちに、髪のひと束を強く握ると、タナトスは乱暴にそれを掴んで引き寄せた。
サガは逆らうこともなく、死の神の胸へと軽く身体を預ける。神と共にあると、ただでさえヒトとは異質である雄大な小宇宙に溺れそうになるのだが、間近で直接触れ合うと、火傷のようにチリチリと激しく胸を焦がす巨大な神気が触れた箇所から流れ込んでくる。
死を司るタナトスの小宇宙は、圧倒的な痛みと喪失感ののちに静寂と安らぎが訪れるような不思議な感覚をサガにもたらした。サガは小さく息を零しながら、その安らぎを享受した。

髪掴む手とは逆の片腕でサガを抱きとめたタナトスは、その背中を指先で辿り、腰のラインへと指の動きを落としていく。背筋を這い上がる焦燥感にも似た粟立ちに、サガは戸惑ったような視線をタナトスへ向けた。
「サガ、お前は美しいな」
どこかで聞いたような台詞だとサガは思う。
「そのような戯れは、どうぞニンフに…」
「口答えは許さぬ。今はニンフではなく、お前を見ているのだ」
気まぐれで我侭なところのあるタナトスにサガはいつも振り回されてはいたが、それに不満を覚えることは無い。ただ、今日のタナトスのふるまいは、いつものそれとは違うような気がした。
違和感に躊躇するまもなく、タナトスの瞳が近づいてくる。瞳孔のはっきりしない銀の深遠に覗き込まれ、太古からの闇が降りてくるような錯覚に飲み込まれたサガは、目を閉ざす。
唇へ神の息吹とともに柔らかい感触が触れてきた。今度こそ、全身を駆け上るような焦燥と快感がサガを貫き、かつてない体感で驚きのあまり一拍呼吸が止まる。

冥界での人間は、八識を越えて生きたまま落ちてくる例外を除けば、肉体もなく魂そのままの状態だ。
ただ人としての生前の意識が魂を形として保っており、人の姿として肉体のようにみせているだけだ。
意識界において、魂は肉体と同等ともいえる。鋭敏でむき出しの神経と同じ状態の彼らに神が触れるという事は、水面に広がる小さな波紋を津波で押し流すようなもの。
聖闘士はまだ小宇宙が鎧となって内面を護るとはいえ、記憶を奪われているサガはそれこそ無防備にタナトスの与える感覚の波の浸入を許し、それゆえに慄いた。

タナトスの舌がサガの唇を押し開き、甘い吐息とともに口内へと差し込まれる。膨大な小宇宙の渦にのみこまれ、意識を飛ばさないだけで必死になっているサガは、自分の舌が良いように吸われ、蹂躙されるのにも抵抗の糸口すら見つけられないでいた。
戦慄が身体の中で刺激へと存在を変え、溢れるほどの快楽となって全身をひたしていく。
神であるタナトスにとっては、このような口付けは単なるからかいを含めた好奇心にすぎなかったかもしれないが、人であるサガにとっては性感の刻印を焼き付けられるのも同然だった。
偽教皇時代に女官に手をつけて慰めとしていた黒いサガはともかく、白い方のサガにとって他人との接触は未知のものであり、まして意識界において上位の存在である神がその気になって与えてくる情欲の信号に、寄る辺ないヒトの精神が逆らうべくもなかった。
「ぅ…あ……」
思わず声が上がり、タナトスの纏う長衣にしがみつく。
サガの反応に満足したのか、タナトスはさらに何度も口付けを落とし、強く閉ざされたサガの目じりをそっと舐める。そうして耳元へと舌を這わせ、軽く耳朶を噛むと腕の中でびくりとサガの身体が震えた。
「お前は、初めてなのだな」
死の神が目を細めて嘲笑う。精神攻撃や強制支配にはあれだけ抵抗を見せる双子座であるのに、敵意の篭らぬ波動への対処はまだ慣れておらぬようで、その初心な反応がタナトスを喜ばせる。
揶揄の声すら脳髄に染み込む毒素となってサガの内面を冒す。
タナトスの指先が、サガの白い衣服の中へと忍び込んできて素肌をなぞると、それだけでサガは簡単に享楽の声を上げた。
「タ…ナトス…何を…」
押し出される声すら自分のものとは思えぬほど上ずったもので、サガは追い詰められて睫を揺らす。
「何をされているのか判らぬほど、モノ識らずではあるまい」
サガの動揺を歯牙にもかけず、タナトスは指を動かし続ける。体中の気が芯へと集まるような幻惑。
中心に手がかけられるに至り、白いサガはとうとう音を上げて、無意識に助けを求めた。

『このような男に蹂躙されるなど、お前は馬鹿か…』
サガの悲鳴に、精神の淵の最奥で死と同じだけの昏さを持つ闇が呆れたように言葉を発した。
溶かされたチョコレートのようにくたりとしている白サガの精神に手が差し伸べられ、その手を伝わって黒サガの強い意志が流れ込んでくる。神の小宇宙を押し返す黒鋼の煌きがひそかにサガの意識に防壁を作り、一瞬快感の空白が生まれる。その壁の内側で、そっと黒い闇がタナトスに気づかれぬよう白の意識へと囁いた。
『奴に侵食されたくなければ、私を受け入れろ』
サガの魂は、まだタナトスの波動の名残りで揺れている。
タナトスの支配を許している白サガではあるが、これ以上タナトスの小宇宙の波を受け入れると、ヒトではなくなってしまうような気がした。神の気に染め上げられ、ただ快楽に流されるだけの自動人形になりそうで、自分に差し伸べられた確かな黒い意思の手を必死で掴む。
自分の中に覚えの無いもうひとりの意思があることに不思議と疑問は感じなかった。
サガは神の小宇宙で自我が崩される前に、黒白の互いへと自分を解放する。生前には決してなされることの無かった精神の融合を、死した後はじめて、サガは試みた。
タナトスが双子座の気配の違和感に気づいて手を止める。
死の神の腕の中で急速に小宇宙が黄金の輝きを増し、サガの瞳に深い慟哭の揺らめきが現れる。
黒サガの意識とともに、その記憶が白サガのなかに雪崩れ込んだ。
「ぁああああ!」
サガが頭を押さえ、フラッシュバックに叫ぶ。その途端、記憶と共にサガの身体に封じられていたタナトスの封印の楔は、幾千にも切断されて消し飛んだ。先ほどまでの愛撫で上気した肌に、微妙に色を変えた銀髪が彩なして波打つ。
正反対の存在を一瞬にして一つの型に流し込み、安定させる。
そうしてゆっくりと顔を上げたサガの視線には、潤みながらも白いサガには無い刺すような強さがあった。
「ほぅ…面白いものをみせてくれる」
中断された楽しみへの不満も忘れさせるほど、その変化は見事なものだった。
タナトスからみると、両極端さを重ねたそれは、安定しているものの却っていびつな魂に見えたが、その歪みは死の神の気に入るところだった。

異形の存在は、今度は自分からタナトスの唇へ軽く口付けると、緩やかに微笑んで神の腕からするりと抜け出した。
「このような真似、無粋とは知るが…すまないな、タナトス。お前に流されきることは、出来ない。お前の刺激は強すぎて、わたしが壊されてしまう」
闇でもあり光でもあるそのサガは、悪びれるでもなく神をお前呼ばわりし、自分の身体を見下ろす。
「わたしは聖闘士であったのか」
抑揚のない声に、タナトスは破られた封印の楔を気にする様子もなく、面白そうな顔を向ける。
「少し、残念がっているように聞こえるが?」
「さあ、どうなのだろう」
「その半端に煽られた身体はどう鎮めるつもりだ」
「…どうしたものか、考えている」
「神の愛を拒んだ罰だ。しばらくそうしていろ」
タナトスは自分に対抗するために融合したサガを、強引に抱くことはしなかった。
面白い玩具を手に入れた子供のように、サガの頬を撫でると、冷たい風にあたるために神殿の外へと出て行った。おそらくそのあたりで適当なニンフを捕らえ、楽しみの続きをしてくるだろう。
「さて、どうしたものか…」
残され放置されたサガは、さして困った様子も見せず、石造りの寝台へとその身を横たえた。

(2006/10/23)

[冥府でのサガ]


[BACK]
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -