アクマイザー

時限式支配


時の流れの定かではないエリシオンだが、このところ空気がどことなく落ち着かない。
それは住人であるタナトスやヒュプノスの気ぜわしさからくるものだろう。常であれば、ただ移ろいゆく日々を、気まぐれにニンフたちと過ごしている二神達が、しばしばこの地を離れ、冥闘士を集めている。
おそらく、何かの支度を整えているのだろう。それも、平和的ななにかではない。大掛かりな、それでいてひそやかな戦の準備ではないかとサガは推測した。

タナトスは大抵の場合サガを同行させていたので、まれに冥闘士の誕生に立ち会うこともある。
冥闘士は、普段はただの人間として全世界に散らばって暮らしているそうだ。しかし、時が至ると二神やパンドラなどが出迎えにゆき、冥衣を与えることによって戦士としての記憶と力が蘇り、冥界に導かれるということらしい。正直なところ、今まで立ち会ったどの顔ぶれもあまり戦士として役立ちそうには見えなかったが、その思いが顔に表れたのだろう。タナトスが苦笑して
「お前の見立てでは、三巨頭と数名以外は雑魚に見えるかもしれんな…お前の目に脅威と映るくらいには、もう少し底辺の戦力を上げたいところだが」
と呟いていた。

サガは、自分は冥闘士では無いのかと尋ねたが、それへの応えはなかった。冥衣がないために、彼らと同じように記憶なくしているのかとも考えたのだが、どうも良く判らない。
ただ、冥闘士がひとり生まれるたびに、心の奥底がザワリと粟立つのを感じた。それは、何かを怖れるような、高揚するような、不思議な感触だった。
これだけの冥闘士を集めてどうするのだろうか。戦ならばその相手となるものがいるはずだが、それについてもタナトスは語ろうとしない。
時折、冥闘士の気にあてられての高揚が過ぎるのか、自分の中から抑えられない何かが溢れ出るようとする事がある。そんな時には、タナトスが決まってサガの額に手をあて、静かに水のような神気を流し込んできた。そうされると、猛っていた気が静まり、ささやかな疑問などはどうでもよくなって、いつもの自分を取り戻せる。
やはりこの方が、自分の神なのだなと思う。
タナトスはわりあい短気で、優しいとは言い難いところがあったが、それでも最後には誰に対しても平等に死の救いをもたらしていく。その内面の激しさも不器用さも、いつかどこかで馴染んだもののようで、サガはこの神の小宇宙が好きだった。


あるとき、唐突にタナトスがこんなことを口にした。
「お前に冥衣を与えたら、お前は冥闘士になるだろうか」
それは問いかけのようでいて独白のような、目の奥にも意思を読ませない奇妙な語りかけだった。この発言からして、自分はやはり冥闘士ではないようだ。
「冥闘士となって、わたしでお役に立てるのであれば」
このまま何もせずエリシオンに住まうよりは、何か感謝の気持ちを表したいと思いそう答える。
実際、自分はタナトスの共をしているものの、何が出来るわけでもなく、この神がいかなる理由で自分を傍に置くのかも判らなかったので、単なる足手まといになっているのではないかと考えたのだ。タナトスはそれを聞いて、何かを考え込むように口元へ拳をあてている。
しばらくして、発せられた言葉は次のようなものだった。

「では、冥闘士としてハーデス様のために、アテナの首をとってこいと命じたらどうする?」

その一瞬、脳裏を澱んだ閃光が走り抜けたような気がした。
言葉の意味も理解できていないのに、口が勝手に言葉を紡ぐ。反応するのに瞬時もかからない。考える間もなく、揺らがぬ口調でタナトスに向かっていらえを返していた。
「怖れながら、それは出来かねます」
自分の台詞が、まるで他人のもののように耳に入ってきて、これは自分の声かと呆然とする。神の意に従わないなど、あってはならないことなのに、自分は何を言っているのだろう。
タナトスが不快に思うだろうと慌てて様子を確認するが、タナトスは予期していたかのように『そうだろうな』と答えただけだった。
その後の沈黙がいたたまれず、恐る恐る疑問を口にする。
「アテナ…とは誰でしょうか」
「地上の女神だ」
「では冥界は地上に、戦をしかけるおつもりなのですか」
また、タナトスは答えようとしない。
代わりに肩をすくめ、仕方が無いといった様子で溜息を零している。
「神も死も、ヒトを支配したところで、魂を完全に御するのは難しいということか。まして選ばれし黄金の魂は」
意味が判らず困惑するサガへ、タナトスの右手がのびて、顎を掴んで上を向かされた。
「お前を冥闘士に欲しいと思ったのはまことだ。お前には『    』より冥闘士がふさわしい」

タナトスの言葉の一部が、いつも、どうしても聞き取れない。
意に添うことが出来ない申し訳なさから、視線を合わせることが出来なくて、そっと目を伏せる。
アテナというその対象もまた神であるのならば、なんにせよタナトスの命を実行することは無理だ。神々は不死の存在であり、自分などがどうにかできるものとは思われなかった。
それに、そのことが無くとも、神に刃をむけることは最大の禁忌、…記憶はなくとも、どこかでそう囁く自分が居る。それがたとえ他ならぬタナトスの命令であっても、従うことは許されないとする声が。
「卑賤な人間たるこの身で、神に対峙することは適いませんが…相対するのがヒトであれば、御為に何人であれ死を与え、貴方の威光を広めたいと思います…」
タナトスは、じっと射抜くような視線でサガを見下ろしていたが、手の力を抜くとサガを離した。
「お前は冥闘士にはなるまい」
どこか諦念しているような、突き放した声に、自分ではタナトスを満足させることが叶わないのかと落胆する。
「サガ、お前はヒトとしては異端者。そして、どの界でも異邦人であり、凶事と変革を呼ぶもの…アテナはよくお前を捕まえたものだ」
タナトスは、落ち込んでいるサガの心中など慮ることなく、滔々と話す。
「お前の本当の力は、神、ことにアテナのような神へ牙を向けるとき、最大限に発揮される類のもの。しかし残念ながら、お前に与えた死の安寧と女神では秤につりあわないようだ」
「タナトス…?」
「女神でなければ良いのだな。お前がその手で誰をどこまで死の秤に乗せるか、試してみたくなった」
訝しむサガへ、何かを思いついたように口元をゆがめた笑みを浮かべ、タナトスは宣告する。
「近いうちにお前に冥衣を用意しよう。楽しみにしているがいい」
そうして唐突に転移をつかい、どこかへ消えていった。

『もうすぐ救済の鎖が切れ、わたしに自由が訪れる』
残されたサガの脳裏で、低く昏い誰かのが聞こえたような気がした。

(2006/9/26)

[冥府でのサガ]


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