Are you insane? | ナノ





あんな男のどこがいいんだ

ジェノスくんはそう言って私の手首を握る掌に力を込めた。ぎりっ、と音がしそうなほど強く圧迫されて、このまま骨を砕かれるんじゃないかと思ったけれど、私にはどうすることもできない。奥歯をかたかたと鳴らし、荒い呼吸を繰り返し、私の体は私の統御を離れていた。まるで呪われているかのように、至近距離にあるジェノスくんの顔から目を逸らせない。

「や……だっ、いた……」
「トバリ」

囁く声が、蕩けるような甘さを帯びているのに鳥肌が立った。彼のどこまでも人間離れした体躯から、どこまでも人間臭い感情を剥き出しにした言葉が発せられているのに怖気が立った。

「俺以外の男と交わす会話は、そんなに愉しいか?」
「ちがっ……違う、違うから……あれは……」
「あれは?」
「ふ、普通に歩いてたら、声かけられただけで……ちゃんと、断ったじゃん……」

若者が集まる繁華街ともなれば、そういったナンパ行為は決して珍しいことではない。私のような大して着飾っていない十人並の女でも、なにかの弾みで標的にされる場合だってある。しかし私は彼らのくだらない誘いなどには乗らなかった。適当に愛想笑いをして、お茶を濁して、そそくさと立ち去ってきたのだ。それなのに彼は、たまたま通りすがりに目撃したその光景に腹を立てている。腸を煮えくり返らせている。

ジェノスくんを──現在“レンアイカンケイ”における唯一無二の相手である彼を怒らせるような、不実な返答は一切していないのに。

「笑っていた」
「え……」
「あんな仕様もないクズに、お前は笑っていた」

ジェノスくんは押し殺した声を絞り出した。

「お前は俺のものなのに。俺だけのものなのに。あんな──あんなゴミのようなくだらない男に」
「ジェノスくん……」

剥き出しにされた人間臭い感情。
つまりは──嫉妬。

「お前には俺がいるのに、どうして他の奴に優しい振りなんかするんだ。どうして。どうして俺を不安にさせるようなことをするんだ。なぜ。どうして。どうしてだ。どうして他の奴に笑いかけたりするんだ。どうして俺以外に、俺以外に必要なものがあるような、そんな」

私の手首を万力のように締め上げていたジェノスくんの金属質の指が緩んで安堵したのも束の間、肩を押され、床に組み敷かれた。ひんやりと冷えた固い感触が背中から伝わって、鈍い痛みを訴えてくる。しかし起き上がろうにもジェノスくんが倒れた私に覆い被さってしまっているので、それもままならない。

「お前には、俺がいればいいんだ」
「や、っ……」
「お前に必要なのは、俺だけだ」

俺だけだろう、と。
ジェノスくんは縋るように問いかけてきた。
いつもと変わらない、なんの感情も覗けない無表情なのに、どこか寂しそうで──私はなにも言えなかった。

「俺も、お前が必要なんだ」
「………………」
「お前さえいれば、俺は戦っていける。生きていける」

力強い愛の言葉は、その内容とは裏腹に呪詛のような響きだった。ジェノスくんが身を屈めて、私の首筋へ顔を埋めた。ちくり、とわずかに痛みが走る。次いで生温かく濡れたなにかがそこを撫でるように這って、全身から力が抜けた。人工物とはにわかに信じ難い、その生々しい舌の質感。反射的にジェノスくんの頭を押さえてしまう。いま触れているこの髪も彼本人のものではない。なにもかもが後付けで、作りモノで、無機質で非人間なのに──その内側から溢れる情愛は、執着だけは、どうしようもなく純正品だというのだから。



とても恐ろしくて、愛おしい。



「う、ぁ……っ、あ」
「トバリ」

噛みつかれた箇所はきっと痣になっているはずだ。数日間は消えないに違いない。
まるで──首輪のように。
私を彼に繋ぎとめるのだろう。
彼という楔に、雁字搦めにするのだろう。

左胸のあたりに充満しはじめた物悲しさをごまかすように、私は彼の背中へ腕を回した。