Are you insane? | ナノ





部屋はこれ以上ないほどぼろぼろに荒らされて、見る影もなくなっていた。カーテンはあちこち破られ、ベッドの敷き布団からは綿が飛び出し、キャビネットは真ん中から割られてCDや本やテレビゲームのパッケージが散乱し、かわいらしいテディベアは首と胴体が泣き別れ、アロマディフューザーは中身を床にぶちまけて甘ったるい香りを室内に充満させていた。

この世の果てをアヴァンギャルドな感性で体現したその空間に、トバリは座っていた。正座を崩したような、いわゆる“女の子座り”の体勢で、ぼんやりと虚空を見つめている。焦点の合っていない目に涙を滲ませて、呆然自失としている。

「……お前が俺の言うこと守らないから、こうなるんだぞ。わかってんのか?」

声がした方に顔を向ける。そこにはサイタマが壁によりかかって立っていた。いつものヒーロースーツに身を包んで、腕を組んでトバリをじいっと眺めていた彼は、不思議な表情をしていた。怒っているような、それでいて慈しんでもいるような、嗜虐心と庇護欲が綯い交ぜになった彼の暗い眼差しと、伽藍堂のトバリとの視線が交錯する。

「お前、さっき自分がなにしたかわかってる?」
「…………怪人を倒した」

正直に答えた。市街地に出現した怪人を、倒したのだ。トバリはこれでもA級ランクに属するヒーローである。中位ではあるものの、それなりに顔も名前も知られたヒーローである。そんな彼女が不測の緊急事態に対処するのは当然のことなのだった。しかしサイタマは彼女の返事が不服だったようで、頭髪のない後頭部を掻きながら嘆息を零した。

「あー、いやまあ、それはそうだな。間違っちゃないけどよ。その方法っていうかさ、手段がさ、問題なんだよ」
「……なんの……話?」

ひょっとして彼は、自分が戦闘の際に周囲の建造物に被害を及ぼしたことを叱責しているのだろうか。しかし今回、災害レベルは“虎”だった。なんの犠牲もなしに討伐できるような相手ではなかった。そのことを口に出そうとしたが、サイタマがトバリの弁明を遮って発した台詞は彼女の予想とは大いに異なるものだった。

「他のヒーローと協力しただろ?」
「それは……私だけの力で、勝てる敵じゃなかったから……協会に応援を要請して……」
「協会に、応援を、要請した」

サイタマがトバリの言葉を繰り返した。
それは静かでありながら地鳴りめいた怒気を含んだ、底冷えのする声音だった。

「なんで俺を呼ばなかったんだよ」
「え……」
「なんで俺じゃなくて、他の男に助けを求めるような真似したんだって聞いてんだよ」

トバリに詰め寄るサイタマの口振りは相変わらず平熱で、普段となんら変わりのないものであったけれど、トバリはそれでも──否、それ“だからこそ”サイタマが怖かった。彼がなにを考えているのかまったくわからない。なにを求めているのかまったくわからないのだ。

「言っただろ。俺がお前を守るって」

それは──確かにそうなのだった。ほんの数週間前、トバリは凶悪な怪人の襲撃を受けた。手も足も出ず、歯も立たず、命を諦めかけていたところをサイタマに救われたのだ。彼はたったの一撃でトバリが苦戦していたそいつを葬り去って、颯爽と「大丈夫か」と問うてきた。トバリが呆気にとられながらどうにかこうにか頷いて無事を証明すると、彼はにこやかに「これからは俺がお前を守る」と高らかに宣言した。こてんぱんにしてやられた自分を励ますために彼は冗談を言ったのだと思って、トバリは曖昧に笑った。

「俺がお前を守るって言ったのに、どうして他のヤツにいけしゃあしゃあと守られるようなことを、お前は……」

彼はどうやら悔しがっているらしかった。今にも地団駄を踏み出しそうなほどに。

「俺じゃ不満なのかよ。俺じゃお前のヒーローにはなれないっていうのかよ」
「そんな……ことは……」

舌が回らない。頭も回らない。この状況で黙り込んでしまうことにメリットなどひとつもないとわかってはいるのに、言葉が出てこない。思考が麻痺してしまっていた。
理解の範疇を超えた恐怖によって。

死闘を乗り越えて帰還したら、自宅がまるで竜巻でも通過した直後のような有様になっていて、そこには入室を許可した記憶のない彼がいて、そして──

「お前と初めて出会った瞬間に、俺はお前だけのヒーローになろうって決めたんだ。お前のためなら俺はどこにだって行くし、邪魔する敵はどいつだって殺せる」

真顔でそんなことを言う。
冗談では、もちろんないのだろう。
あのときも──冗談などでは、なかったのだ。

「お前もわかってるんだろ? 俺の気持ちがわかったから、受け入れてくれたから、あのとき、笑ってくれたんだろ? だったらこんな、俺を蔑ろにするような、こんなひどいこと、しないでくれよ」

壁にもたれていた背中を離して、サイタマはトバリのもとへ歩み寄り、そして膝をついた。彼女の両目から零れ落ちて頬を伝う大粒の涙を指ですくって、勇気づけようとでもいうかのように微笑んでみせる。

「泣くなよ。泣きたいのはこっちなんだから」
「……………………」
「……やめてくれよ。そんな顔されたら、責められなくなるじゃねーか。俺はお前を傷つけたくないだけなんだよ。それとも、なんだ? 俺に嫉妬でもさせたかったのか?

的外れなことを彼は言った。なにを馬鹿なことを、とトバリは思った。しかし喉が震えて声にならない。情けない嗚咽が漏れて、唇の端が引きつっただけだった。

それをサイタマは、トバリが笑ったのだと勘違いしたらしかった。満足そうに、充足そうに彼はその笑みをより深くした。それはついさっき「どいつでも殺せる」などと悪魔のように囁いたのと同一人物だとは到底まさか信じられない、譬えるならば救世主さながらの、凛々しく精悍とした美しい表情だった。