Negative Edge Trigger | ナノ





無惨に砕け散った電球をしげしげと観察していたジェノスが、どうやらそこに種も仕掛けもなかったことを確認したようで、かつては照明器具であったそれをテーブルの上に戻した。

「……信じられない」
「それは奇遇だ。私もだよ」

冗句めかして、ベルティーユは口を斜めにする。

「とまあ、こういう状況なわけだ。私自身は、彼女が事故に巻き込まれた際、施設で行われていた能力開発実験の影響を図らずも受けてしまい、発電体質へ変貌を遂げたのだと推測している。のちの調査で判明したことだが、彼女が発見されたのは施設の中枢……実験の核を担っていた場所だそうだ。どうだい、彼女を発見したとき、その周囲で異変はなかったかい?」
「そういや、でっけー装置みたいのが動いてやがったな」
「自分も巨大な装置から特異な電磁波のようなものが発せられているのを、あの場で察知しました。きわめて微弱だったので、取り立てて対処すべき事態ではないと判断したのですが」
「なるほど。電磁波。そう、電磁波、か」

顎に手を当てて、ベルティーユは思索顔になる。

「ヒズミ。事故の日のことを彼らに説明してやってくれないか? 傷をえぐるようで申し訳ないが、なにか手がかりがあるかもしれないから、なるべく詳細に頼みたい」

いきなり話を振られたヒズミは驚いたようで、こめかみの辺りから、ばちっ、とひとつ火花を飛ばした。いたたまれなさそうに白い髪を触りながら、あまり細かいことは覚えてないですけれど、と前置きをして、訥々と語り始める。

「あの日、私はバイトに行くため、自転車を漕いでいました。
コンビニのレジ打ちで生活費を稼いでいました。要するに、フリーターだったんです。
ちなみに、店がなくなってしまったので、今は無職です。

信号待ちをしていたら、たまたま居合わせた常連のお客さんが声をかけてくれたので、世間話をしていました。
そのとき、いきなり大きな音がして、激しく揺れたんです。
最初は地震だと思いました。でも、周りのビルの崩れ方がおかしかったので、そうではないとすぐに気づきましたが、どうにもなりませんでした。体が浮いたと思ったら、次の瞬間には、落ちていました。地面が崩れて、近くにいた通行人や、車も、一緒に落下していくのが見えました。あ、これは死ぬな、と思いましたが、私が落ちたのは水の中でした。

少し水を飲んでしまって、苦しくて噎せたこと以外は、無傷でした。薬品みたいな匂いがひどくて──あれは塩素なんでしたっけ、そんな感じで、小学校のプールの授業を思い出しました。わけがわからなくて、溺れかけていたら、なにかが割れる音がして、私はものすごい勢いで押し流されました。押し流されて、壁に叩きつけられました。痛くて全身が軋んでいましたが、それより私は眼前の光景に目を奪われてそれどころではありませんでした。

まず、私が落ちたのは水槽のようでした。巨大な、ガラス張りの──水族館みたいな。そのガラスの一部が割れていて、大人が余裕で通れるくらいの穴が開いていて、水が流れ出ていました。私はそこから放り出されたのだとすぐにわかりました。

そして、その周りには、たくさんの死体が転がっていました。

潰れた車の中で血だらけになっている男の人や、ランドセルの中身をぶちまけて、自分の中身もぶちまけている小学生。ひしゃげてバラバラになった主婦の、買い物袋が引っかかったままの腕が、足元にありました。常連さんも、首がおかしな方を向いていて……、出来の悪いスプラッタ映画のようでした。

それからは、とりあえず逃げよう、と思って、あちこちさまよっていました。ものすごく頭が痛くて、心臓がうるさくて、ふらふらになりながら歩いていたんですけれど、そのうち動けなくなりました。長い時間ずっと正座してたみたいな痺れが、脚だけでなく全身にありました。大きい機械みたいなものがすぐ近くで動いているのは見えました。太いチューブみたいなものがたくさん伸びていて、光っていたのを覚えています。眩しくて、くらくらしました。それから随分と長い間、ずっと倒れていたと思います。あなたがたが助けてくれるまで」

とことんヘヴィな身上話だった。
重い沈黙が落ちる。

「あ、あの、……すいません。もっとソフトに話せればよかったんですけど」

耐えかねてヒズミが苦笑を零した。
すいません、はこちらの台詞だ。思い出したくもないはずの惨憺たる顛末を、わざわざ口に出して説明させてしまうなんて──とサイタマが口を開きかけて、

「謝ることはない」
「えっ?」
「つらかっただろう。よく話してくれた。感謝する」

そうフォローしたのは、意外にもジェノスだった。
相変わらずの鉄面皮で、なにを考えているのかは読めなかったが、ヒズミに向けられた言葉にはどこか沈痛さを感じさせるものがあった。

(…………そうか、コイツも)

故郷や親しい者を失ったのだったか。
否──奪われたのだったか。
同情のような、憐憫の気持ちがあるのだろう。

「いえ、……これで役に立てるなら」
「これから先、なにかあればいつでも声をかけてほしい」
「あ、えっと、ありがとうございます」
「根っから正義の味方だな。実に素晴らしい。私はそういう少年マンガ的な展開が大好きなのだよ」

少女マンガも好きだがね、と付け加えて、ベルティーユは立ち上がった。そしてサイタマへ、すっ、と手を差し出す。握手を求めているらしい。

「今日はどうもありがとう。私としては、今後もどうかご贔屓にしてもらいたいのだがね。恐らく、彼女はこれからさまざまの障碍にぶつかることになると思う。例の“研究所”の連中が黙っているとは思えないからね。近いうちになんらかの……平和的ではないアプローチをかけてくることだろう。そういった荒事は、恥ずかしながら私の手には負えない。そういう規模の機関が相手だ。そのときに、サイタマ氏、そしてジェノス氏──あなたがたに、ぜひ力を貸してほしい。ジェノス氏は協力的な姿勢を示してくれているようだが、サイタマ氏、あなたの返事を聞かせてくれ。この乗りかかった泥船に、最後までつきあってくれる気は、果たしてあるかい?」

芝居がかった言い回しで問うてくるベルティーユを、サイタマはじっと見つめ返した。
そして、ふっ、と口角を吊り上げて、

「わかりきったこと聞かないでくれよ、教授」

その手を握り返す。

「俺だって、正義の味方だぜ?」