Negative Edge Trigger | ナノ





「端的に言おう。あの地下施設は“研究所”だ」

舞台俳優が台詞を諳んじるように、ベルティーユは謳う。

「ニュースでも報道されていただろう。なんらかの実験を行っていた形跡がある、とね──それは実際その通りだった。では、一体なにを“研究”していたのか? これは表にはまだ出ていない情報だが、警察やヒーローたちは跡地から見つかった資料、薬品、機材などを回収し、解析して、巨大な悪徳組織が合法麻薬を開発、および密造しようとしていたのだと断定した。そう遠くないうちに会見でも開いてマスコミに発表するのだろうと思う。だがしかし、私はその結論に違和感を抱いた。自身の権力やコネクションを最大限に利用し、独自に調査させてもらって、それがフェイクであることに気づいたのさ。巧妙に隠蔽されてはいたがね、私の目はごまかせなかったようだ」

ルージュの引かれた唇が、妖艶に弧を描いた。

「あの“研究所”で行われていたのは、能力開発実験だ」
「能力開発?」
「そうだ。人工的に超能力者を生み出すための研究だよ。人体を改造し、改築し、改編して、人智を超えた異能を作り出そうとしていたのさ」
「……進化の家みたいなもんか」

いつぞやの騒動を思い出ながら、サイタマが肩をすくめる。新人類による新世界を理想に掲げ、暗躍していた天才博士の引き起こしたあの一悶着は、まだ記憶に新しい。

「あの連中は俺らがブッ潰してやったけど、そこかしこで似たようなことやってやがるんだな」
「規模がまったく違うだろうが、まあ、似たようなものだね。むしろ彼は余りある知性と発想力でもって、最小限の労力と犠牲で最大級の成果を出していたようだが、例の“研究所”においてはそうでもなかったようだ。研究は難航し、順調とは言い難かった記録が残っていたよ」
「アンタ、進化の家を知ってたのか?」
「これでも危ない橋を幾度も渡ってきた人間なのでね。こんな地下に閉じこもっていても、アンタッチャブルな裏事情が自然と耳に入ってきてしまうのさ」

昔はやんちゃだったのだよ、と、ベルティーユは薄く笑う。

「その研究所が、なんらかの理由で、爆発を……否、大爆発を起こした。理由はまだ判明していないが、恐らく実験設備か、もしくは実験対象が暴走したのだろうね。そして施設は瓦解し、地上で平和に暮らしていた善良な一般市民が多く崩落に巻き込まれてしまった。──彼女も、そのひとりだ。なあ」

面を上げた、ベルティーユの視線の先に。
彼女は立っていた。

特筆すべきは、その頭髪の色だった。雪のような、灰のような、自然には到底ありえない蒼白。
眉も、睫毛も、すべてが白かった。ついでに顔色も、あまり芳しくない。色素が薄いため全体的に印象が希薄なうえ、髪型が無造作なベリーショートというのもあって、性別が曖昧だった。痩せ細った体躯の胸部に膨らみがなければ、男性と言われても疑わなかっただろう。

「…………えっと」
「おはよう、ヒズミ。気分はどうだい」
「あ、はい、お陰さまで」

ベルティーユの問いを茶で濁しながら、彼女は所在なさげに後頭部を掻いている。

「紹介しよう。彼がサイタマ氏。隣のサイボーグ青年が、ジェノス氏。君を助け出した、命の恩人だよ」

改まってそんな説明をされては気恥ずかしさを禁じ得ないサイタマだったが、そんな彼にヒズミは深々と頭を下げた。

「その節は大変お世話になりました」
「あ、いやいや」
「本当にありがとうございました。どうお礼したらいいか」
「礼なんていらねーよ。気にすんな。ていうか、もう立って歩けるんだな」
「確かに……救出したとき目立った外傷はなかったが、衰弱が深刻だったはずだ。こんな短期間で、訓練もなにもしていない生身の女性が、ここまで回復できるとは考えにくいが」

ジェノスがそう指摘すると、ベルティーユが気障ったらしく指を鳴らした。

「それだよ。君たちを呼んだのは、他でもない、その件について話を聞きたかったからなのだよ」
「なに? どういう意味だ」
「ジェノス氏、そのバインダーの──ああ、ちょうどその次のページだ。読んでみてくれたまえ。君ならばきっと理解できるはずだ。彼女の体に起きている“異変”がね」
「………? ……………! ……これは」

無表情が常のジェノスが、驚愕に目を見開いた。つられてサイタマも書面を横から覗き込んだが、相変わらず内容は意味不明だった。

「彼女の身体情報──主に遺伝因子について詳細にまとめている。その反応を見ると、解説は必要ないようだ。助かるよ」
「馬鹿な……、こんなことが有り得るはずがない。なにかの間違いではないのか」
「有り得ない、なんてことは有り得ない。私の信条だよ。マンガの受け売りなのだがね」
「なに? 俺にもわかるように説明して」

サイタマが身を乗り出すが、ジェノスは答えない。
答えることができない。

「怖いことが起こっているのだよ。恐ろしいことが起こっているのだよ。シトシン、アデニン、グアニン、チミン──通常、生物はこの四つの塩基によって構成されているが、彼女にはその他複数の塩基が確認されている。染色体の数も大幅にズレている。つまりこれは、彼女が遺伝子単位で変質していることの証明にほかならない。生物学上、もう彼女を“ヒト”とカテゴライズすることはできない。誰にもね」
「…………つまり?」
「事故の影響で、彼女は“進化”してしまったのさ。ヒズミ、こちらへおいで」

ベルティーユが手持ち無沙汰に立ち尽くしていたヒズミを招いて、サイタマとジェノスの向かいへ座らせた。ポケットから豆電球を取り出して、ヒズミへ手渡す。

「理論を並べたてるより、現実を見てもらった方が早いだろう。百聞は一見に如かずという言葉もある。ヒズミ、起き抜けのところすまないが、よろしく頼むよ」
「あ、はい」

電球を受け取って、ヒズミはソケット部分を右手の親指と人差し指でつまんだ。そこでサイタマは初めて、彼女が薬指に指環をはめているのに気がついた。細い金属製の輪に、直径数ミリ程度の小さな黒い石がひとつくっついている。縁日の露店で投げ売りされていそうな、チープなデザインのものだった。その石が、一瞬、ぼんやりと発光した──ように、見えた。

その瞬間。

「………………!?」

ソケットとヒズミの指の間から、火花が散った。
ぱちぱち、と弾けるような音。そして、電球に明かりが灯る。電源に接続など、もちろんされていない。触れているのは彼女の手だけである。
そこから電流が発生して、電球へ注がれている──

あのジェノスすら、目の前の光景が信じられずに口を開けていた。その間にもみるみる電球の光度は増していき、じじじっ、と悲鳴を上げて、そして割れた。

「あっ」

ヒズミが、しまった、といった感じで、短く声を上げる。

「うわ、すいません。加減を間違えました」
「問題ない。上々さ。むしろこれくらいの方がわかりやすくていい。そうだろう、両雄?」

目の前で繰り広げられた常識ではとても説明のつかない現象に、サイタマもジェノスも二の句を継ぐことができなかった。
ベルティーユは、さも愉快そうに笑みを深くして。
ヒズミは困ったように、いまだ青白い火花の走る掌を握った。