Negative Edge Trigger | ナノ





「悪く思わないでくださいよ。これもヒーローの仕事なんで」

──そう言って、彼は銃口をベルティーユに向けた。
バレルの小さい穴は底の見えない深淵のような、黒々と虚無な闇を覗かせている。凶弾に倒れたドロワットとゴーシュは、地に伏したまま動かない。
死んだように──動かない。

「なぜだ、どうして! なぜ撃った!」
「俺たちの狙いは最初からお前だったからだ。協会からの引き渡し命令に応じず“怪人”を匿っているお前を始末して、その“怪人”を回収することが俺たちの任務なんだよ」

助けに来たわけじゃない。
スーツで身を固めた男が冷たく言い放った。

「怪人……? ……ヒズミのことか?」
「ヒズミってのか、その怪人。別に怪人の名前なんか好き好んで知りたかねーけどよ」
「彼女が“怪人”だと? なにをふざけたことを」
「怪人を生み出すための工場だか研究所だかの影響を受けて変異したんだろ? 偶然でも、不本意だとしても──そいつは立派な怪人だ」
「…………そういうことか」

彼らの──ヒーロー協会の真の目的を、本当の目論見を聞かされて、ベルティーユは舌打ちした。
彼女のもとには数日前に「こちらで“診察”を引き継ぐから、ヒズミの身柄を引き渡せ」という指示が協会から出されていたが、彼女はそれを断っていた。どういう形であれ、一度でも責任を持って引き受けた患者を途中で放り出すような真似はできなかった。
診察を引き継ぐ──などという陳腐な名目で。
協会は怪人と見做したヒズミを抹消しようとしていたのだ。

「おとなしく従っておけば、命まで取られなくてよかったのによ。馬鹿な女だ。情でも移ったのか?」
「生憎だが、私には血も涙も備わっているのでね」
「……怪人に対する台詞じゃなきゃ、百点だよ」

男が拳銃の安全装置を外した。

「お喋りは終わりだ。言い残すことはあるか?」
「ひとつだけ」
「よし。聞いてやる」
「地獄に落ちろ。腐れヒーローども」
「……あばよ」

引き金が絞られた。
弾丸を発火させて射出するべく倒れはじめたハンマーは、しかしその機能を果たさなかった。
そこには、いつの間にか厚手の布が挟まっていた──薔薇のコサージュが縫いつけられた瀟洒なミニハットの鍔が、正確に隙間へ潜り込んでいた。
それはあの“少年”が被っていたのと、同じもので──

「……敵性反応確認。人間。大人。二十二。男、十五。女、七。敵性反応確認……」

そして“少年”──ゴーシュは立ち上がっていた。
眉の下部から頬までが、ごっそりと抉られている。本来ならば眼球があるはずのそこに、大きな空洞を空けていて──そこから垣間見えたのは、金属物質の集合体だった。
肉も骨もない。鈍色の部品だけが複雑に絡み合っている。
やや遅れて体を起こしたドロワットの顔も、ほとんど同じ状況だった。焦点の合っていない人形のような伽藍堂の左眼。赤くつやつやとした唇だけが規則的に蠢いている。

「「敵性反応確認。緊急事態認証。敵性反応確認。緊急事態認証。敵性反応確認。緊急事態認証。敵性反応確認。緊急事態認証。敵性反応確認。緊急事態認証──」」

無機質なコーラスが、通路に響き渡る。
まるで機械のような声が──否。
声ですらない合成音の輪唱が、水面に雫を落とした波紋のように、静かに広がっていく。

「「──事態認証。分析完了。分析完了。分析完了。排除します。排除します。排除します。排除します。排除します。排除シまス。排除しマス。排除しmaス。灰じょシます。廃除シまsss。排除しmsxddpgfハいgfhsfhじょシdsjあqwせdrftggggggg」」

……そこから先は、筆舌に尽くしがたい蹂躙だった。

子供の形をした“それら”は暴虐の限りを貪り、喰らい、全員を再起不能に陥れるまで暴れ続けた。まがりなりにもヒーローとして鍛錬してきた彼らの肉体も矜持も根こそぎ圧し折って。
打ち砕いて捻じ切って叩き割って縛り上げて焼き払って。
打ち壊して捻じ曲げて叩き付けて吊し上げて薙ぎ払って。

五分とかからず、精鋭部隊は壊滅した。
閉ざされた奈落の底で、“ヒーロー”という、悪を屠り平和を守る民衆の希望は──潰えた。

「う……ああ……あ……」

理解の範疇を超えた現象に、先程までベルティーユに銃を突きつけ勝ち誇っていた男は腰を抜かして震えていた。彼以外にはもう、意識のある者は残っていない。その傍らに落ちていた拳銃をベルティーユは拾い上げ、手早く弾丸を抜き取ると、無造作に投げ捨てた。がしゃん、と重い音を立てて拳銃は床を滑り、男の手に当たって止まった。
しかし男はもう完全に戦意を喪失していて、呆然とした顔のままベルティーユを見上げている。

「私は親切だから、教えておいてあげよう」

眼鏡のブリッジを押し上げながら、ベルティーユが口を開いた。その両隣に、幽鬼のごとく生気のないドロワットとゴーシュが控える。

「まず──最初から、私は君たちを信用してはいなかった。ヒズミが協会サイドで“怪人”扱いされていることにまでは恥ずかしながら思い至らなかったがね。せいぜい生存者を保護した手柄を独占したいがために身柄をよこせと言っているのだと、てっきりそう思い込んでしまった。そんな私を──命令を拒否した、いわば反逆者である私を、わざわざ貴重な人員を割いてまで救出しようとするとは考えにくい。騒ぎに乗じてヒズミを奪還しようと乗り込んできたのだというのはわかっていた。だから私は嘘をついたのさ。途中ではぐれてしまった、とね」
「……怪人は、どこに……」
「ここではないどこかさ」

シニカルに笑ってみせるベルティーユ。

「まあ、ヒズミのことを聞き出そうとする前に攻撃してきたところを見ると、はぐらかしても意味はなかったのかもしれないがね。しかし、まったく……遣り口が粗暴きわまりない。粗野きわまりない。こんな連中の手に負える程度の存在だと見くびられていたのかな、私は。面白くないね」
「狂ってやがる……てめえ……!」

精一杯の虚勢だった。そうでもしていないと、耐えられなかった。気が触れてしまいそうだった。

「怪人を匿った上に、まだ小せえガキにこんな、わけのわからねえ改造しやがって……! お前の子供か? そうじゃねえよな、どっかから誘拐でもしてきやがったんだろ? それとも金で買ったのか? ああっ?」
「実に不愉快な質問だ。回答を拒否させていただこう」

ちっとも不愉快そうではない、女神のように美しい微笑を湛えて、ベルティーユは懐からジェリコを抜き取った。そしてぴたりと照準を男の眉間に合わせて、

「繰り返す」

迷いなく歪みなく澱みなく。
トリガーにかけた人差し指に力を込めた。

「地獄に落ちろ。腐れヒーローども」



……それが、あの病院占拠事件の顛末だった。
あれから数日、彼女がどこに身を潜めてどのように過ごしていたのかは謎だったが。
ともあれ──ベルティーユは、生きていた。

完膚なきまでに健在だった。