Negative Edge Trigger | ナノ





新しく調達した生活用品の詰まった袋を両手に提げて、ヒズミとサイタマはデパートを散策していた。この近辺では最大級の規模を誇るアウトレットモールである。今日のような平日でも駐車場は半分以上埋まっていたので、それなりに繁盛しているらしかった。
男女の二人連れなど別にいまどき珍しくもないはずなのだが、サイタマが買ったばかりの布団一式を肩に担いで歩いているせいでやや注目を集めている。すれ違う老若男女がぎょっと目を剥いてガン見していくが、サイタマ本人は気にも留めていなかった。肝が据わっているのか、はたまた単に鈍感なのか。

「カートどこだよ、カート」
「見当たりませんね。一階にしかないんでしょうか」
「めんどくせえなあ……」
「まあ、必要なものは大体これで揃いましたし、無理して探さなくてもいいんじゃないですか?」

目深に被った赤いニット帽をいじりながらヒズミが言う。そうだな、とサイタマも同意して、二人は昼食を摂るためにレストランに入った。午後二時前とランチには少し遅い時間帯であるためか、店内は空いている。暖簾をくぐるとすぐさまにこやかなウエイトレスに歓迎された。

「お煙草は吸われますか?」
「あー、えっと」
「いいよ。俺ヤニ平気だから」
「すいません。じゃあ、喫煙席で」

いかにもアルバイトの大学生っぽい女子店員が、窓際の奥まったボックス席へ座るよう促した。それに従い、適当に注文して、ヒズミは早速ポケットから煙草を取り出した。そして癖のように親指で着火しかけて、

「! ちょ、おいおい、外ではやるなよ」
「あ、そうか。ごめんなさい。ライター借りないと」

通りがかったウエイターに火種を要請すると、ほどなくして店名が走り書きされたライターがヒズミの手元に渡った。喫煙席のあるレストランでは、大概こうして貸出し用のライターを常備している。喫煙者しか知り得ない裏情報といえよう。

「……すいません。緊張感が足りませんね」
「いや、しょうがねーよ。あれ以来、外出なんてほとんどしてねーんだろ?」
「そうですね。こないだメシ食いに行くまでは、ずっと地下にいました」
「難儀なこったな。……しかしジェノスのヤツ、どうなったのかな。追い返されてないといいんだけど」

どうにもあのサイボーグ青年は言葉を選ぶ、空気を読むということを知らないようなので、捜査関係者に変なことを口走って要らぬ怒りを買いかねない。師として──というわけでもないが、いささか心配だ。
しかしサイタマのその不安は結果として杞憂に終わるのだが、それが判明するのは今夜のことである。

「教授は無事なんでしょうか」
「あんなシェルターみたいな場所を住処にするくらいだから、そりゃこういう時のことくらい考えてたんだろうけど……どうなんだろうな。女一人のためにここまでするようなとんでもねー連中に、どこまで通用するのか……」
「……………………」
「ま、ジェノスの収穫次第だな。作戦を練るのはそれからだ」

料理が運ばれてくると、二人は自然と食事に集中して、口数が減った。つらつらと語らいながら、しかし会話はどこか途切れがちだった。

「そういえば、ヒズミはさ」
「はい」
「家族は無事だったのか?」
「…………いや、わかりません」
「……見つかってねーのか」
「そういうんではなくて……、安否を調べる手段がなかったというか。余裕がなかったというか」
「ジェノスに連絡して、警察に確認してもらうか?」
「いや、大丈夫です。遅かれ早かれ、わかることですから」
「気にならねーのかよ」
「仲良しこよしって家庭じゃなかったんで」
「………………そうなの?」
「所詮、血が繋がってるだけの他人ですよ」
「…………そうか」
「仮に無事だったとしても、こんなことになっているとわかったら、身内は誰も関わりたがらないと思いますし」

シーザーサラダを頬張りながら、ヒズミは自嘲的に笑った。サイタマは二の句が継げず「……そうか」と曖昧に相槌を打つしかできなかった。大根おろしの乗ったハンバーグを口に放り込み、咀嚼しながら脳味噌をフル回転させて地雷を踏まなさそうな無難な話のネタを模索する。

しかし寂しい独り身生活の長かったサイタマにそんな器用な真似ができる道理もない。結局それから軽快なトークが弾むことはなく、どこかぎこちない空気のまま、二人は帰路についたのだった。モールと通路で繋がるターミナルから快速電車に乗って、約十五分。
到着した駅からバスに乗り換える。五つ目の停留所に差しかかったところで、降車ボタンを押した。降りたのはサイタマとヒズミだけで、二人がバスから出たのを確認するやいなや即ドアが閉められ、運転手はそそくさとバスを出発させてしまった。まあ、この区画は凶悪な怪人が多数出現したせいでゴーストタウンと化してしまっているZ市のエアポケットのような場所なので、その行動も無理はなかった。それが人の心というものなのだ。

バス停から徒歩五分強でアパートに帰還すると、果たしてジェノスは先に帰ってきていた。
リビングに正座して、なにやら思案顔で虚空を睨んでいる。とても声などかけられそうな雰囲気ではなかったが、ジェノスの方から二人に「おかえりなさい」という至極真っ当なアプローチがあった。いつもの三割増しで刺々しい、物々しい、重々しい声音ではあったけれど。

「お、おう。ただいま」
「なにかトラブルはありませんでしたか?」
「え、いや別に、なかったけど」
「そうですか」

サイタマが面食らって目を瞬かせる。

「先生にお話ししたいことがあります。ヒズミ、悪いが少し席を外してくれるか」
「え? あ、はい。わかりました。……えーと」
「ああ、そんならシャワー浴びてこいよ。汗かいただろ。せっかくシャンプーとか買ったんだし、さっぱりしてこいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて……失礼します」

ぺこりと頭を下げて、ヒズミは足早にバスルームへ向かった。バスタオルは脱衣場にあるからなー、とサイタマが大声を張り上げる。はあい、という返事のあと、カーテンの閉まる音。

「……んで、話ってなんだよ」
「今日、病院へ行った件なのですが」
「なんか収穫はあったか?」
「ちょうどヒーロー協会の重役たちが集まっていたので、詳細を聞くことができました。遺体の身元はまだ判明していないそうです。実物を見たいと申し出たら「鑑識に回してしまった」と断られました」
「ってことは、まだ死体がベルティーユとガキふたり本人かどうかってのは、まだわかんねーんだな」
「それはまた追々、突っ込んでみようと思います。……そして、これです」

ジェノスはテーブルの上に、テオドールから渡された議事録を出した。
読め、ということか。細かい文字の並んだプリントにサイタマはうんざりしたが、面倒だなんてそんな理由で放棄できそうな空気ではなかった。渋々、その羅列に目を通していく。

「あ? ……X市地下研究施設爆発事故についての対応?」
「そこに書かれている“拿捕すべき生存者”というのは、まず間違いなくヒズミのことです」
「はぁあ!? なんで!?」
「それについては、地下研究施設についての項目をご覧いただきたいのですが」
「…………以上の痕跡から……施設では……以下のような開発実験が行われていたと推測され……この漢字なんて読むの?」
「……貸してください」

埒が明かないと判断したのか、ジェノスがサイタマから書類を返却するよう申し出た。

「つまり、こういうことです。ベルティーユ女史は、あの地下の“研究所”で行われていたのは“能力開発実験”だと言っていましたよね」
「そうだったっけ」
「言っていたものとして話を進めます。しかし協会は、もっと物騒な定義をしました。ヒトをヒトならざるものへ改造するための研究をしていた──と」
「……つまり?」
「特殊能力の覚醒、および肉体的な変異によってヒトと区別されるべき存在。動物との融合手術や投薬による精神撹乱によって、ヒトをヒトとは異なる生き物へ変貌させる試みが水面下で展開されていたのだと、協会はそう解釈したのです。これがどういうことだか、わかりますか?」
「いや、まったくわからん」

なに言ってんだコイツ、という懐疑的な態度が憚りなく、身も蓋もなかった。

「超常的な能力を持っていて、明らかにヒトではない外見を持っているにも関わらず人語を解して話すほどの高い知能を有し、不安定な精神による危険な思想のもとに、文明社会に害を及ぼす突然変異の存在を、俺たちヒーローはなんと呼んで忌み嫌い、戦っていますか、先生」

懇切丁寧に、ジェノスが問いかける。
さすがのサイタマも、ここでようやく答えを閃いた。



「……………怪人」



「X市の地下研究所で人知れず蠢いていたのは、人工的に怪人を生み出すための、悍ましい計画だったと、そういうことのようです。そして」

ジェノスはそこで言葉を切った。
その先を口にするのを躊躇うかのように。

「その研究所の影響を受けて特異体質に変態を遂げてしまった“生存者”も、すなわち怪人である、と」
「だからヒズミを始末しようってのか!?」

サイタマがテーブルを強く叩いた。

「ふざけんなよ。そんな馬鹿なことがあるかよ。あいつはただ巻き込まれただけの民間人だぞ。それをよりによってヒーローがよってたかって潰そうってのか? おかしいだろ。お前、そんなこと言われてはいそうですかってあっさり納得して帰ってきたのかよ」
「納得はしていません。断じて、していません。ヒズミは──被害者です」

庇護すべき弱者であって。
謀殺すべき仇敵ではない。

「この議事録を俺によこしてきたのは、テオドールという協会幹部の男でした。本名なのか、コードネームなのかはわかりませんが……俺は、この命令に従う気はありません」
「……まあ、お前ならそう言うだろうとは思ってたけどよ」

頭髪のない後頭部を掻いて、サイタマは舌打ちする。

「めんどくせーことになっちまったな」
「先生、俺は──この事件には、なにか巨大な陰謀が絡んでいると見ています。それを解決するまでは諦めません。ヒズミのことは、絶対に守り抜いてみせます」
「……イケメンが言うと普通にカッコいいから腹立つな」
「は? なんのことですか?」
「なんでもねーよ」

サイタマは身を乗り出してジェノスから議事録をひったくり、そしてびりびりと破いてしまった。恐らくは彼らヒーローにとって最重要事項であろうその指令書を、まるでつまらない小説を燃えるゴミに捨てるときのように細かくちぎって、細切れの紙屑にして、丸めてゴミ箱に投げ捨てた。
ホールインワンだった。

「まあ、俺も約束しちまったからな」
「約束?」
「乗りかかった泥船に、最後まで付き合うってさ」