Negative Edge Trigger | ナノ





「…………ふうむ。参ったね」

壁に埋め込まれたコントロール・パネルをごちゃごちゃと操作しながら、ベルティーユは双眸を眇めた。垂れた前髪を掻き上げて、背後に控えるドロワットとゴーシュを振り返る。

「緊急用の電力供給バッテリがすべて破壊されているようだ。地上に繋がるエレベーターが全滅している。これはまずい。非常にまずい」
「どうしますか? 教授」
「テロリストたちに迎合するというのはどうだろう?」
「畏れながら、その提案は却下します」
「名案だと思ったんだがね」

しれっと嘯いて、ベルティーユは近くに置いてあった消火器でパネルを叩き割った。決して命の危機に瀕してトチ狂ったのではない。テロリスト連中がここまで辿り着いたとき、逃げ道を知られないようにするための行動である。

「あの。教授」
「うん? どうしたんだい、ゴーシュ」
「エレベーターが。降りて。きています。重い。音がします。たぶん。敵が。それも複数」
「想定よりだいぶ早いなあ。どこのエレベーターだい」
「“ジョーヌ”と。あと。“ヴィオレ”から。反応が」
「……仕方あるまい。ゴーシュは至急“ヴィオレ”へ。ドロワットは私とポイント・イグレクまで同行して、それから“ジョーヌ”へ向かっておくれ。ゴーシュは“ジョーヌ”を経由して、ドロワットと合流してから、ポイント・ゼドゥへ。私は直接ゼドゥへ行く。そこから離脱しよう」

ほとんどが三人の間でしか通じない暗号で構成された指示だった。仮に盗聴されていたとしても、その意味を理解することは他の誰にも不可能な内容である。

「殲滅指令だ。ゴーシュ、ひとまず、掃討しておいで」

軽い口調とは裏腹に、ひどく物騒な台詞であった。
ゴーシュは慇懃に一礼して、それから目にも留まらぬ速さで駆け出した。普段のスローな振る舞いとのギャップがありすぎていっそ不気味なほどだったが、現在そんなことの辻褄を合わせている場合ではない。ベルティーユとドロワットは小走りに通路を進み、そしてT字路に差しかかったところで一言も交わすことなく別れた。

ひとり廊下をひた走るベルティーユの耳にも銃声は届いていた。それが武装集団のものではなく、例の“研究所”からやってきたであろう追手のものではなく、ドロワットの愛銃──“ケーキ・デコレイター”と“チャーリー・キラー”が火を噴いている凱歌なのだということは、実際に見るまでもなくベルティーユにはわかっていた。派手な爆発音が轟いて、そして水を打ったように静かになった。

──のも束の間。

ベルティーユの前方、約十メートル。突き当たりの壁が突如として横にスライドして開いたのだ。
そこは隠し扉で、一見するとただのコンクリートの壁なのだが、床に填め込まれたキーボード(これも巧妙に隠されている)にパスコードを入力することで開く仕組になっていた。
限られた人間しか知り得ないパスコードを入力しないと開かない仕様になっていた。
それが──ベルティーユの目の前で、ぽっかりと四角く口を開けている。

そこから十数名ほどの、スーツ姿の集団が現れた。狭い通路に押し寄せる黒い波のようだった。例外なく全員が武器を手にしている。あからさまな暴力の象徴がこちらへ向かってくるのを視界に捉え、その一秒後には既にベルティーユは懐から拳銃を──イスラエル製のマルチ口径、ジェリコ941を抜いて構えていたが、

「待て! 我々はヒーロー協会から派遣されてきた者だ! あなたがたを助けに来た!」
「……フブキ組か」

黒をチームカラーとし、徒党を組んでいる者たちがいるということは小耳に挟んでいた。ベルティーユはジェリコを白衣の内側へ帰らせ、破顔しつつ乱れた襟を正した。

「いや、失礼した。なにせ動転していてね……。ヒーロー協会の上層部にここのパスコードを伝えておいたのを、すっかり失念していた」
「お察ししますよ。もう大丈夫ですから。さあ、早く脱出しましょう。他の三人は、どこに?」
「途中ではぐれてしまった。探さないと」
「……申し上げにくいのですが、もうこの地下にもテロリストたちが侵入してきています。ここへ到着する前にすさまじい銃声が聞こえました。恐らく、もう……」

黒ずくめ集団のリーダーらしき、やたら下睫毛の長い男が気の毒そうに首を横に振った。
しかしベルティーユは悠然とした笑みを崩さないまま、

「いや、心配は無用だ。──ほら」

と、こともなげに後ろを見た。
そこには、別段、これといってなにもない。強いて言うならば薄暗い“空間”があるだけで、注視すべきようなものはなにもない──ところへ、ドロワットとゴーシュが落ちてきた。天井の通風孔から、大人は絶対に通り抜けられないであろうその穴から、降ってきた。高そうな衣服はあちこち破れたり焼け焦げたりぼろぼろになっていたが、その中身、二人の体にはひとつのかすり傷もなかった。すべらかな陶器めいた白い肌に、アクション映画さながらの激闘を繰り広げた痕跡など微塵もない。

「ただいま。戻りました。教授」
「そちらの方々は?」
「ああ、ヒーローの皆さんだよ。助けに来てくれたそうだ」
「……そんな馬鹿な。どうやって逃げてきたんだ」

フブキ組のうちの誰かが、呆気にとられて呟いた。それを聞いたドロワットが、ふふん、と高飛車っぽく鼻を鳴らす。

「逃げてなんかいないわ。ちゃんと全員、極楽浄土へ送ってあげたわよ。十万億土を踏みやがれ、ってね」

それは。
そういうことは──つまり。

「こ、殺したのか……?」
「撃っていいのは撃たれる覚悟のある人間だけなのだよ。アニメの受け売りだがね」
「そうよ。おでこ撃たれたんだから。痛かったわ」
「撃たれたのが目でなくてよかったよ。眼球だけは繊細なパーツだから、衝撃対策にも限界がある」
「……なんの話をしているんだ?」
「彼らには、特殊な身体強化手術を施してあるのさ。投薬とナノマシンによる改造ブーステッド・チャイルド。つまりニュータイプなのだよ」

もはやSFの世界だった。これだけ広い地下なのだから、どこかにモビルスーツが安置してあっても不思議ではないな、と突拍子もない想像すら抱いてしまう。それだけの頭脳と技術力をベルティーユは持っている。その世紀の大天才の傑作、集大成がこの子供ふたりなのだった。

「……信じられない」
「まあ、細かいことは気にするな。敵さんがたと鉢合わせる前に、さっさと出ようではないか」
「そうですね。さっさと──終わらせましょう」

下睫毛がそう言って、素早く拳銃に弾倉を装填し、
ベルティーユに銃口を突きつけた。

それにドロワットとゴーシュが反応する前に、別の者が放った凶弾が二人を直撃していた。狙いは寸分狂わず、それぞれの右目を破壊して貫通し、内側をずたずたに引き裂いてしまう。
二人はそのままリノリウムの床に崩れ落ち、抉られた眼下から血液と脳漿をだらだらと垂れ流して、その活動を停止した。

「…………え?」

ぽかん、と。
事態が飲みこめず唖然としているベルティーユに。
黒スーツの集団が、一斉に各々の武器を向けた。

「悪く思わないでくださいよ」
「……え……あ……どうして……」
「これもヒーローの仕事なんで」

そして──残酷な銃声が、フロアを蹂躙した。
無慈悲な弾丸の雨。救済もなく、悲鳴もなく、鼓膜を劈く銃撃の嵐。

理不尽な暴力の行使によって、あまりにも呆気なく。
閉ざされた奈落の底で、希望は潰えた。