Negative Edge Trigger | ナノ





少年が、咆哮する。

上品な貴族風の衣装に身を包みながら、獣のように吠える。
びりびりと、空気が震えた。その雄叫びに圧倒され、訓練を積み鍛錬を重ね最先端の重装備を纏った武装小隊の誰もが竦んで動けなくなる。凶暴な野生動物と相対したかのような緊張感。圧迫感。
小銃を構えることすらも忘れ、狼狽する連中めがけて──少年が跳躍した。
一番近い場所に立っていた男に飛びかかった。大きく腕を振り上げて、その頭へ一撃を叩きこむ。拳を握ってすらいない。指を軽く曲げただけの平手で、男の頭を守っていたヘルメットを砕き、床に昏倒させてしまう。男はそのまま動かなくなった。

硬いものが割れる乾いた音の反響が消える前に、二人目の腹へ次の攻撃が入っていた。平手を打った腕を返すように振り上げただけで、その威力は防弾チョッキを貫通し、少年の倍ほどもあろうかという体格の男を吹っ飛ばした。大型トラックに撥ねられたかのような勢いで宙を舞い、壁に叩きつけられ、彼は妙な呻き声を残して哀れにも再起不能となる。

異常な光景だった。

「………………ひぃっ!」

常軌を逸脱した事態に、もはや戦意などとうに失った小隊は、生物の本能のままに危機から脱しようと──この場から一目散に逃げ出そうとした。しかしその背後には、同じく得体のしれない少女が仁王立ちで、道を塞いでいる。
しかし彼女はただ立っているだけで、少年のように食いかかってこないところを見ると、こんな戦闘力は彼女には備わっていないのかもしれない。そんな希望的観測に追いすがり、連中は少女のいる方向へ殺到しかけた。

そんな都合のいい話があるわけもないのに。

「なに逃げようとしてんのよ。オトコ見せなさいよ」

そう吐き捨てて、少女はおもむろに──ワンピースのスカートの裾から、中に両手を突っ込んだ。その行動に連中は一瞬、刹那、うろたえて体を硬直させる。
それが命取りだった。

少女がスカートから、ずるり、と両手を引き抜くと。
右手には短機関銃。十一ミリ口径、ストレート・ブローバックの、M3サブマシンガンM3A1。
左手には擲弾発射器。全長七十センチを超える、中折れ式単発のグレネードランチャー、コルトM79。
悪夢のような、悪魔のような火力である。
その道のプロフェッショナルである男たちが顔面蒼白になるのが、ガスマスクの上からでも目に見えるようだった。この矮躯の一体どこにそんなものを隠し持っていたのだろうか。

「さあて、害虫駆除のお時間ですわよ。せいぜい歯でも食いしばっていなさいな」

それぞれ数キロはあろうかという凶悪きわまりない銃火器をまるでバトンのようにくるくると軽やかに弄びながら、少女は流れるような動作で男たちへ銃口を向けた。



夜明けと同時にジェノスは目を覚ました。
すぐに体を起こすことはせず、体の末端まで意識を巡らせ、すべてのパーツが正常に稼働していることを確認する。上半身を持ち上げ、室内を見渡した。部屋の隅でタオルケットを被って熟睡しているサイタマは視認できたが、ヒズミが使用していた布団は蛻の殻だった。まさか罪悪感に耐えきれず夜のうちにどこかへ姿をくらましてしまったのか──と、ジェノスは素早く生体感知センサーを発動した。そして彼女がそう遠くない座標、詳細にいうならばベランダに座っていることを把握すると、サイタマの安眠を妨害しないよう細心の注意を払いながらそちらへ向かった。

「あ、ども。おはようございます」

案の定というべきか、彼女は柵にもたれてだらだらと煙草をふかしていた。ジェノスに軽く会釈して、もう既に吸殻で溢れそうになっている空き缶に灰を落とした。

「随分と早起きなんだな」
「いつもの習慣で」

へらりと笑ってそう言ったヒズミの左手首をジェノスが唐突に掴んだ。いきなりのことに目を白黒させて危うく右手に持っていた煙草を落としかけているヒズミを後目に、ジェノスはその細い手首を軽く締めたり、緩めたり、なにかを確認するような手つきで撫でまわす。

「……下手な嘘をつくな」
「えっ? はい?」
「脈拍が安定していない。それに、目の下に隈ができている。眠っていないのだろう」
「あ、いや、えーと……」

困惑して視線をうろうろとさまよわせているヒズミの反応を怪訝そうに見て、そしてジェノスは自分が彼女の手を握っている──年頃の女性の素肌に触れていることに気がついて、慌てて離した。

「……すまない」
「え、あ、いや、……すいません」

気まずい空気が流れる。

空が白んできた。静謐な朝の匂いが鼻先をくすぐる。
朝日に照らされたゴーストタウンの街並みの陰影が濃くなって、ふたりの眼下で別世界のように佇んでいる。

「…………眠れないのか?」

静寂を破ったのはジェノスだった。ヒズミは新しい煙草をくわえて火を灯し、はぐらかすように息を洩らしただけで、質問には答えない。

「俺もずっと眠れない時期があった」
「……………………」
「故郷を滅ぼされたときの夢を見て、魘されて起きる。その度に例の暴走サイボーグと、弱い自分自身への怒りと憎悪がこみあげて……、毎晩、胸が焼き尽くされるような思いだった」
「……………………」
「そのときの苦痛も、今となっては糧だ。俺を突き動かす原動力だ。あの苦しみが、痛みがあったからこそ、俺は戦い続けていられる」
「……怖くないんですか?」
「俺には使命がある。怯えてなどいられない」

故郷の無念を晴らすまでは、立ち止まるわけにはいかない。
ジェノスの力強い断言に、ヒズミは眩しそうに目を細めた。

「若いのに、大したもんですね」
「年齢ならお前もそう変わらないだろう」
「S級ヒーローとクズフリーターを一緒くたにしますか」

陽気に自虐を飛ばすヒズミ。
自己を卑下することによって陶酔に浸ろうというような小狡い目的の発言でないのは、人心を察するのに疎いジェノスにも伝わっている。
彼女は一体、なにを考えているのだろう。
基本的には明朗で快活で、頭の回転もそれなりに早く、人当たりがいい。しかしふと、意図的に距離を感じさせられる瞬間がある。打ち解けようと歩み寄っても、それ以上のスピードで離れていってしまう。パーソナル・サークルの線引きが繊細すぎるような、精密すぎるような、そんな印象。
どこか病的なものすら感じさせる。

「例の“研究所”の連中が、憎くはないのか?」
「……どうなんでしょうね」
「今のお前なら、戦うこともできる」
「そう簡単にはいきませんよ」
「そんなことはない。お前の強さは俺がよく知っている。俺も手を貸そう。だから」
「だから戦え、って?」

氷のような。
底冷えのするほど怜悧な声で。

「付き合ってらんねーよ」
「ヒズミ……」
「こんな事故に巻き込まれただけでもうざってえのに、これ以上どうしろってんだよ。ふざけんじゃねーよ。家族ともうまくやれなくて、学校も面倒になって辞めて、ただ死ぬためにだらだら生きてたようなクソみてーな女になにを期待してやがるんだよ、どいつもこいつも」

今までの温和で柔和な喋り方が嘘のような乱暴さで、ヒズミはくわえていた煙草を地面に落とし、踏みにじって消した。

「世の中の誰もが、お前みたいにカッコいい生き物じゃねーんだよ」
「……………」
「誰もがお前みたいにヒーローになれるわけじゃねーんだよ。なにかと戦うことができるってのは、それだけで才能なんだよ。他人のためになんて、自分のためにだって、一生懸命になんか到底なれねークズもいるんだよ」

胸の内を吐露しながら、口振りが平然としているのが空恐ろしかった。あまりにも平坦すぎて、平淡すぎて、それが本心なのかどうかすらジェノスには判別がつかない。
そうこうしているうちにサイタマが目を覚ましたらしく、室内から物音がした。ヒズミは足の下でひしゃげた吸殻を拾って空き缶に押し込んで、ジェノスと目を合わせることもなく無言で部屋の中へ戻っていった。

しばらく呆然と直立していたジェノスだったが、室内から「朝メシにするぞー」というサイタマのお呼びが掛かったので、ふらふらとベランダをあとにした。白飯とインスタントの味噌汁と焼いたソーセージのみの質素な献立がテーブルの上に並んでいる。ヒズミは先程の余韻でジェノスを避ける──ようなこともなく、いつも通りだった。どこまでも変わらなかった。
さっきの会話は夢だったのではないかと疑ってしまうような。

三人で朝食を囲んでいると、テレビの画面がなんの前触れもなく変化した。毒にも薬にもならない芸能ニュースから、報道フロアの映像に切り替わった。なにやら慌ただしい雰囲気で、裏方のスタッフの大声がうっすら流れてしまっている。
その様子を何事かと凝視していると、やっとキャスターの手元に原稿が渡ったようで、ベテランの風格のある女性アナウンサーが「番組の途中ですが、臨時ニュースをお伝えします」と自分の仕事を開始した。



『昨日の夜、X市総合病院が武装集団に占拠された事件の速報です。警察およびヒーローが今朝未明、犯人グループ全員を捕縛したとの情報が入りました。患者や病院関係者から怪我人は出ていないと発表されていますが、その後の調査により地下室で外国人女性と子供二人が倒れているのが発見され、間もなく死亡が確認されました。女性は白衣を着用していたことから当病院の医師である可能性が高いと見られていますが、遺体は銃で撃たれたことによる損傷が激しく、身元の確認が困難な状況であり、…………、……………………』