Negative Edge Trigger | ナノ





エレベーターから降り立ってきたのは、頭にガスマスク、迷彩柄の軍服に防弾チョッキ、そしてその手にはアサルトライフル──これ以上ないほどに攻撃的な格好の男たちだった。装備の上からではわかりづらいが、全員が鍛え抜かれた筋骨隆々たる肉体の持ち主であるようだ。
五、六人のその小隊は、周囲を警戒しながら通路を進んでいく。統率がとれていて、動きには一切の無駄がなく、こういった荒事の素人でないのは火を見るよりも明らかであった。

病院というよりはどこぞの工場のような廊下を進行していた彼らの前に、少女がひとり現れた。

「……なによ、アンタたち」

全身ピンクで、フリル盛りだくさんで、とてもこの物々しい場所には似つかわしくない少女であった。彼らのあいだに、緊張がにわかに走る。

「なんでこんなところに子供が? ってところかしらね。動揺がわかりやすすぎよ、この馬鹿な軍人かぶれども。……まあ、そんなことはどうでもいいわ。ここは関係者以外立入禁止よ。どうやって侵入してきたのか知らないけど、お呼びじゃないわ。教授は忙しいのよ。おとなしく帰」

撃った。
通路に銃声が──響かなかった。サイレンサーを装着しているのだろう。引き金を絞ったのは、集団の先頭にいた男だった。ぽふっ、というどこか気の抜ける音とともに放たれた弾丸は、正確に少女の眉間に命中した。少女はそのまま仰向けに倒れ、そして動かなくなる。

少女の死体を路傍の石がごとく転がしたまま通り過ぎて、すると奥からもうひとり、今しがた撃たれたばかりの少女と瓜二つの少年が現れた。服装も似たり寄ったりである。双子だろうか、と彼らが思ったのかどうかは神のみぞ知るところだが、少女へ向けて撃った男が再び銃口を持ち上げたところで、

「いったいわね、いきなりなにするのよ」

今度こそ、明確に、明瞭に、男たちは戦慄した。
その背後で──少女が立ち上がっていたからだ。

「これホローポイント弾じゃないの。なんて物騒なもん使ってんのよ、アンタたち。こんなもんで人間なんか撃ったら死ぬわよ。なに考えてんの?」

その額からは硝煙が上っている。確かに弾丸が命中したことの、なによりもの証拠だった。それなのに、少女は生きていて、ぴんぴんしていて、自分たちに語りかけてきている──

「まあいいわ。せっかく来てくれたんだし、歓迎するわよ」

少女の高慢な物言いに、腹を立てる余裕もない。
重装備の内側で冷汗をかいている連中に、少女は獰猛な笑みを浮かべてみせた。

「いらっしゃい。地獄へようこそ」



「はー、いい湯だった。天国天国」

禿頭から湯気を立ち上らせながら、サイタマが風呂から出てきた。小学生の落書きみたいな女性の胸部がプリントされたTシャツ姿で、満足そうに頭をタオルでわしわしと拭いている。

「あれ? ヒズミは?」
「ベランダで一服しています」
「かわいい顔してヘビースモーカーだな、あいつ」

冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターをあおって、サイタマはリビングの床によいしょと腰を下ろし、テレビの電源を入れた。中途半端な時間帯のせいか、報道番組しかやっていない。そしてどのチャンネルも件の立てこもり事件で持ちきりのようだった。どうやらまだ解決には至っていないらしく、内部の人間の安全は確認されていないらしかった。不思議なことにテロリストたちから要求や脅迫などのアプローチは一切なく、彼らの目的さえ掴めていないとのことである。緊迫した状況が続いています、と、女性アナウンサーが深刻な面持ちで原稿を読み上げたのち、現場からの中継に切り替わった。リポーターの背後には病院の周囲に集まった野次馬と、それを必死に押しとどめる警察とヒーロー協会から派遣された人間たちの混沌とした光景が映し出されている。
なんとなく見ていられなくて、サイタマはテレビを消した。

「えらいことになっちまったなあ」
「そうですね」
「大丈夫か、ヒズミのヤツ。だいぶへこんでたみたいだけど」
「……様子を見てきます」

ジェノスが立ち上がり、ベランダへ向かった。ひとり残されたサイタマはぼんやりと細く長い息を吐いて、

「……どこに布団敷こうかなあ」

と、散らかった部屋を眺めながらひとりごちた。



もう何本目になるかわからない煙草に親指で火を灯して、ヒズミは地面に直接あぐらを掻いて、星のない夜空へ濁った息を吹きかけた。少し頭痛がする。いろいろなことがありすぎた。頭の中で渦を巻く感情と感慨と感傷とをすべて煙に乗せて、言葉の代わりに吐き出した。

「少し吸いすぎではないのか」

ベランダの引き戸が開いて、顔を出したジェノスが嫌悪感を隠そうともせず眉をひそめた。

「すいません。煙たかったですか?」
「そういう問題ではない。健康上よくないから言っている」

狭いベランダだったが、それでもどうにか二人が座して語らうだけのスペースはあった。

「少し控えた方がいい」
「……善処します」
「いつ頃から喫煙しているんだ?」
「五年くらいですかね」
「お前、いま何歳だ」
「二十一です」
「……計算が合わないな」
「細かいことは気にしないでください」
「……………………」

呆れ返ったのか、ジェノスは黙り込んでしまう。
それからたっぷり五分ほど会話のない状態が続いて、ヒズミは短くなった煙草を灰皿がわりの空き缶へ落とした。箱から新しく一本を取り出しかけたのをじろりとジェノスが一瞥して、ヒズミは苦笑しながらそれをもとに戻した。

「ジェノスさん、厳しいですね」
「今まで誰にも注意を受けなかったのか?」
「まあ……、親しい友人とか、少なかったですから。それに両親も吸ってましたし」
「……無事だったのか? 家族は」
「さあ。今頃どうなっているのやら、ですね」
「確認していないのか」
「ずっと教授の研究室にいて、外の情報はまったく入ってこなかったので。それに」
「それに?」
「あまり仲良くなかったもので」

遠い目をして、ヒズミは自嘲気味に唇を歪めた。

「険悪だったのか?」
「両親はいつもなにかにつけて言い争ってましたよ。小さい頃から八つ当たりで、とばっちりで殴られたりとかしょっちゅうでした。親といっても生きている人間だから、仕方ないんでしょうけれど」
「……それは虐待というのではないのか?」
「そんな大それたアレじゃないですよ。ちゃんとメシ食わしてもらってましたし。人並みに愛されて育ちましたよ」
「しかし」
「もうやめましょう、この話。面白くないですよ」

手をひらひらと振って、ヒズミは強引に話を打ち切った。顔は笑みの形を作っていたけれど、その瞳は澱んでいて、底の知れないなにかが潜んでいるようにジェノスには感じられた。その奥を覗こうにも、たった今、彼女自身が拒絶した。シャッターを下ろしてしまった。
露骨に閉ざされてしまった。
無機物の塊の胸に、ちくりと掻痒感が走る。

「……俺の家族は、四年前に死んだ」
「え?」

突然の告白に、ヒズミは驚いて目を丸くした。

「暴走した狂サイボーグが、俺の故郷を壊滅させた。家族も、学校も、ビル群も……すべて壊していった。殺していった。廃墟と化した街で、俺だけが奇跡的に生き残って、そしてクセーノ博士に拾われた。俺はその狂サイボーグを倒して故郷の仇を討つために、自分自身もサイボーグになる身体改造手術を受けた。強さを手に入れるために各地を転々としながら、単独で正義活動を行ってきた。狂サイボーグの手がかりが一向に掴めず、その虚像を追いながら悪を排除しつづけていた俺はあるとき自分の油断のせいで化け物に破壊されかけた。そこを救ってくれたのがサイタマ先生だ。それから俺は先生の教えを賜りながら、故郷とクセーノ博士の想いを背負って戦っている」

真摯な眼差しでヒズミを見据えながら、ジェノスは語る。

「俺は強くならなければならない。力を手に入れなければいけない。そのために生きている」
「……そうだったんですか」

唇を震わせながら、ヒズミが呆然と呟く。

「すごい、ですね」

組んだ脚の上で指を絡めて、背中を丸める。
はるか頭上の月と同じ色をした髪が彼女の顔を隠してしまい、表情が読めなくなる。

「私は、そんなに強くなれない」
「…………ヒズミ」
「あなたみたいには、なれないです」

今にも泣き出しそうな頼りない声音で、ヒズミはそう零した。
しかし彼女は泣かなかった。
災難に遭って、弱音を吐いて、それでも泣かなかった。

滔々と更けていく夜の風が、二人のあいだを通り過ぎていく。