murmur | ナノ





「…………あ」

トウカが漏らした声に、ソニックは怪訝そうな顔をした。

「どうした」
「傷が増えてる」

バスルームから上半身裸のまま出てきたソニックの胸元を指でなぞって、トウカは眉根を寄せた。

「また無茶したの?」
「お前には関係ないことだろう」
「関係なくはないでしょ。こんなところに来てんのに」

こんなところ──と、トウカは言った。

光度を絞った薄暗い照明に包まれた室内の中央には、キングサイズのベッドが置かれている。豪奢な造りで、レースの垂れた天蓋までついていた。ひどく悪趣味といえなくもないデザインではあるけれど、そういう演出なのだろう──ここはそういう場所なのだから。

ホテルの名を冠しながら、純粋に宿泊のみを目的として使われることはごくごく稀な──そういう施設なのだから。

「いきなり連絡つかなくなったと思ったら、いきなり現れてさ。それでまたこんなところ連れてくるんだから、本当ソニックって……なんていうか……若いよね」
「相変わらずうるさい女だな」
「あんたも相変わらず、素直じゃない男だわ」

シャワーを浴びて濡れた黒髪の隙間から、ソニックが剣呑な視線をトウカに向けた。まるで子供が拗ねて機嫌を損ねたときのような──トウカは思わず吹き出してしまう。

「そんな怒らないでよ」
「お前が面白くないことを言うからだ」
「よかったと思ってるんだから」
「……なにがだ?」
「今回も生きて帰ってきてくれて」

彼は忍者で、暗殺者で、ボディーガードで──とどのつまり裏社会、闇の世界に生きる請負人だ。一般人であるトウカには想像もつかない過酷な“仕事”を生業とし、常に命の危険が伴う任務の中に身を置いている。彼がなにも言わずに姿を消すのはいつものことなのだが、無事に戻ってきてくれるかどうかは神のみぞ知るところなのだ。ただのしがないOLであるトウカに介入する余地など微塵もない。

そんな悲しいほど非力なパンピーであるトウカが、こうしてソニックと逢瀬を重ねるに至った経緯としては、一言では説明できないほど複雑なものなのだけれど──そんなことは、まあ、どうでもいい話である。

「俺がそう簡単に負けるわけがない」
「そうやって油断してると、そのうち足元すくわれるよ」
「……知ったふうな口を利くな」
「あんたより人生経験は豊富なんだから。年上の助言は素直に聞きなさ……ひえっ」

トウカの声が途中で裏返ってしまったのは、突然ソニックが彼女の腹部を無遠慮につまんだからだ。ふにふにと揉むように指を動かしながら、ソニックは底意地悪く口角を上げた。

「ちょっと、まっ、なによ急に、やめてよ」
「お前、少し太ったんじゃないか?」
「……………………」
「どうなんだ」
「……こないだ会社の人とケーキバイキングに」
「過剰に糖分を摂取した結果がこの様か」
「ううっ……」

ぐうの音も出なかった。

しかしこのままニヤニヤしているソニックにいいようにされるのは愉快じゃない。どうにか引き剥がそうと体をよじるトウカだったが、先程も述べたように彼は悪鬼羅刹の跋扈するアンダーグラウンドを駆ける忍者で──人体を制圧することにかけては折紙つきの男なのだ。逃げられるはずがない。

「くそう! 揉むな! デリカシーなし男め!」
「脂肪を燃焼させてやってるんだ」
「余計なお世話だよ! バイキング行ったときも、リョータ君が“トウカさんは細いですからいっぱい食べても大丈夫ですよ”って言ってくれたし──」

ソニックの動きが、ぴたり、と止まった。

「……リョータ君?」
「新しくうちの部署に入ってきた子で、バイキングもその子の歓迎会だったんだけど」
「男がいたのか」
「え? いや、他の社員さんたちもみんないたから……」
「………………ふん」

ぱっ、と手を離して、やっと解放された──と安堵したトウカの肩を、ソニックは乱暴に突き飛ばした。あまりにも素早い一撃だったので、トウカはバランスを取ろうと踏ん張ることすらできず、背後のベッドに倒れた。反射的に体を起こそうとしたが──ソニックに上から覆い被さられてしまったことで、それは叶わなかった。

「え? ……え? ちょ、え、ソニック?」
「のうのうと他の男にかまけていた話をするんだな」
「いやだって大人数だし! 浮気とかじゃないでしょ全然これくらい社会人として許容範囲でしょ!」
「黙れ」

有無を言わさずソニックが首筋に噛みついて、トウカはわずかに走った痛みに体を震わせた。歯を立てられ、舌で舐められ、唇で吸われ──ぞくり、と背筋を得体の知れないものが這い上がって蝕んでいく。

「や、だ、ちょっとタンマ……」
「お前が悪いんだ」

服の上から胸の膨らみに触れられて、びくっ、と体が跳ねる。どうやら火がついてしまったらしいソニックの顔には一切の容赦がなく、まるで飢えたケモノを目の前にしたかのような悪寒にトウカは唇を噛んだ。どうにか必死に彼を押しとどめようと頭をフル回転させる。

「まだ私シャワー浴びてないから……っ」
「後でいい」
「え、やだってば、ソニック!」

抵抗するトウカの口を封じるように親指で押して、ソニックは空いた左手をシャツの裾から侵入させていく。直接こう──他人が肌を撫でるこの感覚には、どうしても慣れない。

「っ、ふ……」

頑なに閉じていた唇を強引に抉じ開けられて、口腔を掻き回される。意地で逃げていた舌もあっさり絡め取られ、弄ばれて、唾液が頬を伝う。みっともないとわかってはいても、どうすることもできない。

「ひゃ、め、やら……っ」
「トウカ」

甘い声が降ってくる。ただ名前を呼ばれただけで、脳の奥が痺れるような、腹の底が熱を帯びて疼くような──

「俺のことだけ考えろ」

劣情に掠れた囁きが全身に染み渡る。

ああ、だめだ、これはもう──完璧に詰みだ。
勝ち目など万にひとつもない。

観念して、トウカはソニックの背中に腕を回した。どこまでも素直じゃなくて、強情で、そのくせ独占欲が強くて──そんな愛おしい年下の恋人に。

すべて委ねて、トウカはゆっくり目を閉じた。








めろめろマシュー

(mellow, mellow, my sweet!)



※紫苑様リクエスト