murmur | ナノ





大陸から海を渡ってこの国にやってきて、もう何年が経ったのか、しっかりとは覚えていない。二百年くらいまでは律儀に健気に数えていたような気もするが、もうそれも定かでない。

最初は人里離れた山に篭って暮らしていたが、みるみる発達してゆく文明を目の当たりにして、好奇心を抑えられなくなった。人の姿に化けて街に出ることが多くなった。大通りを行き交う老若男女の群れをただ見ているだけで面白くてたまらなかった。ファストフード店のハンバーガーをぱくついたり、公園に設置された奇怪な形状の遊具で戯れたり、さまざまのきらびやかな衣服を纏って歩いたり、それらの行為が非常に愉快だった。

どうにも変化に乏しい毎日に退屈していたので、こうやって他愛ない娯楽の微温湯に浸かりながらのんびりと生きていくのも悪くないと思っていた。

しかしある日、致命的なミスを犯した。塒にしていた山の麓で、人の皮を被らずに活動しているところを、鹿狩りに来ていた団体に目撃されてしまったのだ。彼らは“怪人が出た”と叫んだ。この国では人ならざる化け物の類を怪人と定義し、忌み嫌い、恐れをなして、ヒーローと呼ばれる民間の戦闘員に退治させているのだということは現代における常識のひとつとして知っていた。

正直なところ、かなり腹が立った。
その理由については後ほど語るとして──重要なのは、そのときに出会った彼のことだ。

彼が現れたのは、自分を撃退するために続々とやってきたヒーローたちを全員ことごとく死なない程度に返り討ちにして、これもまあいい暇潰しにはなるかも知れないな、と興が乗り始めてきた頃だった。これまでのヒーローたちは、巨悪を打ち滅ぼして名を上げよう強い意思を感じさせる、ぎらぎらと野心に光った目をしていたけれど、彼はお世辞にもそうは見えなかった。

どこまでも無気力で、面倒くさそうで──気怠そうに煙草をふかしていた。戦闘能力もそれに比例してさほど高くはなく、あっという間に、完膚なきまでに、こてんぱんにやっつけてしまった。



しかしそれで終わらなかった。
終わらなかったのだ。



今日も彼はこの山へやってきた。いつものように生気のない、覇気のない顔で訪れてきた。その両手に携えていたのは“レッドホーク”なる名前を持つ大口径のマグナム・リヴォルバだった。一トンを超えるバッファローすら仕留めることができるという、狩猟用の拳銃である。

彼が“ゾンビマン”という、その名の通りに不死身のS級ヒーローであることを知ったのは、つい先日のことだった。どんな致命傷を負ってもたちどころに回復し、元通りになって立ち向かってくる。愉快でたまらなかった。どれだけ乱暴に扱っても壊れない玩具を見つけた気分だった。

「飽きもせずに、よく来るネ、あなた」
「お前が悪いんだろうが」
「あれ? ワタシなにかしたかナ」
「昨日G市のファミレスで無銭飲食したろーが。一昨日はI市のスーパー銭湯に不法侵入した。あといつだったかJ市でワンピース万引きしたろ。お前みたいな災害レベル鬼の怪人が、そんなちゃっちい悪事ばっかり重ねてんじゃねーよ」

呆れたように言いながら、彼は遠慮もへったくれもなく撃ってきた。素早く身を翻して、唸りを上げて飛来する弾丸を躱す。背後に立っていた太い木の幹がごっそり抉られて、ばきばきと豪快な音を立てながら倒れた。

「ワタシを“怪人”呼ばわりするナと、他のヒーローたちには口酸っぱく言ったのだけれどネ。ワタシをそんじょそこらの妖怪変化と同じにするナと」
「俺らにとって、害をなす化け物は全部なんでも怪人だよ。たとえそれが精霊だろうが神様だろうが──なんだろうがな」

精霊。
神様。
彼は相対するモノをそう称した。

「ワタシの故郷では、ワタシは伝説の化身なのだけれどネ」
「知ったことか。そうだとしても、ファミレスで食い逃げだの風呂屋でタダ湯を浴びるだのする伝説の化身なんて嫌すぎるだろ」
「だってしょうがないヨ。とてもいい湯だったヨ。それに和風おろしハンバーグもおいしすぎるのが駄目ネ。アレ素晴らしいヨ。アナタ食べたことアル?」
「悪りいな、俺はデミグラスソース派なんだ」

連続で放たれる殺人的な攻撃をひらひらと、どういう原理なのか、空を滑るように回避しながら、ふたりはのんびりとそんな会話を交わす──交わしながら──ゾンビマンの眼前で、その“精霊”はみるみる姿を変えていく。肌を白い鱗が覆ってゆき、唇からは先端が二又に別れた長い舌がちろちろと覗き、赤く爛々と輝く瞳は爬虫類を思わせる。

そう、まるで──白蛇。

「ワタシのコト倒したいなら、バズーカでも持ってこないとダメ、こないだ言ったネ?」
「バズーカで倒せんのかよ、伝説の化身が」
「知らナイ。ワタシ、まだバズーカ見たことナイ」
「……見たいだけかよ」

弾切れになったレッドホークに、次弾を装填──するかと思いきや、ゾンビマンは大きく腕を振りかぶってそれを投擲した。予想外の行動に、反応が一瞬だけ遅れた。顔面めがけて飛んできた銃身を、不可視の力が叩き落とした。

「ふー、危ナイ危ナイ。オンナノコの顔にこんなモノ投げるなんて、アナタよくない男ネ」
「わけのわからん超能力使いやがって……」
「不是。超能力と違うネ。コレ仙術。鍛錬の賜物ヨ」

ふわふわと中空を漂いながら、どこか得意げに言う“怪人”を──ゾンビマンは苦々しげに、しかしどこか思索を巡らすような顔つきで、じっと見つめている。

──白娘子。
海の向こうに、そういう伝奇がある。

長ったらしい説明を省いてわかりやすく述べると、霊山で修行して、その力を身につけ、千年も生きた白蛇の精霊の話である。文献によれば絶世の美女の姿をしているというが──なるほど確かにそこに嘘はなかった。すいすいと宙を舞う彼女の見た目は、美しいという形容詞すら役不足に感じられるほどの輝きを放っている。

「もう攻撃は終わりカ? ワタシもっと遊びたいヨ」
「遊びでやってんじゃねーんだよ、こっちは」
「ワタシ退屈してたネ。だから、アナタが構ってくれるの嬉しいヨ」
「……デートかなんかと勘違いしてんな、お前」
「ああ、ワタシもデート知ってるヨ。男と女が愛しあって仲良しこよしネ。ワタシそういうの好きヨ。アナタも好きカ」

無邪気に──そんなことを。
笑いながら問いかけてくる。
これじゃあまるで、普通の女の子と変わらない。

ゾンビマンは左手に構えていた銃を下ろした。

「お前──名前は」
「そんなモノとっくに忘れてしまたヨ」
「……退屈してるって言ったな」
「言ったネ」
「ヒーローにならないか」

ゾンビマンの申し出に、白蛇は紅の双眸を見開いた。

「ワタシが? ヒーローに?」
「最近は怪人の出現件数が鰻登りでよ、人手が足りねーんだ。このところ休む間もなくてよ」
「それ、楽しいカ?」
「保証はできねーけど、たぶん、退屈はしない」

煙草をくわえて、火を点けて、ゾンビマンはぽかんとしている彼女に視線を戻した。

「……ナルほど、退屈しないカ」
「たぶん、な」
「アナタともっと遊べるカ」
「俺より面白いのが腐るほどいるよ」

空中から地上に降り立って、白蛇の彼女は──穢れを知らない少女のように、屈託のない笑顔を浮かべた。

「それ素晴らしいネ」
「俺が協会に紹介してやる」
「謝々だヨ、お兄サン」
「ヒーローになるからには、二度と食い逃げすんなよ」
「え? もうハンバーグ食べられナイ? それはワタシ嫌ヨ」
「……お前には、ヒーローになる前に教えておかないといけないことがたくさんあるな」

絶望的な表情で固まっている名もなき精霊に、ゾンビマンは痛む頭を抱えながら、溜め息に乗せて煙を吐き出した。








なんて素敵な気分 魔法みたい
ずっとこのままじゃれてたい

(今ここにある全てで僕らは)
(生きていくからジャマしないで!)

毛皮のマリーズ「ボニーとクライドは今夜も夢中」



大和悠奇様リクエスト