murmur | ナノ





ただ、強くなりたかった。

そのために肉も骨も五臓も六腑も捨てた。両親から授かったすべてを擲って生まれ変わった。温度は数値でしかなく、風景は情報でしかなく、命あるものを焼き尽くすことに微塵の躊躇いもない、生きているのか死んでいるのかもわからない身体になった。

後悔はなかった。
代償と引き換えに得たものは相応の価値を持っていた。

それでも満足できずに手に入れた刃を研ぎ続けた。もっと鋭く、もっと迅く、もっと強くなりたかった。復讐を果たすという目的だけを心に秘め、努力を惜しまなかった。犠牲も厭わなかった。

そのために肉も骨も五臓も六腑も捨てたのだ。
すべてを擲って生まれ変わったのだ。
そう──すべてを。
感情さえも切り離して置き去りにしてきた。



と。
思っていた。



“そいつ”と出会ったのはそんな折のことだった。仇敵の影を追いながら街から街を渡り歩いて正義活動に従事していたとき、怪人との戦闘中に現れたのがそいつだった。油断が災いして窮地に陥っていたところを間一髪で救ってくれた。細身の小さな体にはとても似合わない大振りのグリフォン・ナイフを軽やかに鮮やかに操って、自分よりも遥かに巨大で強大な異形を切り裂いたそいつはトウカと名乗った。ベリーショートの黒髪に、どこか幼さの残る顔立ちで、まるで少年のようだった。塒を持たず、仲間も作らず、ひとりで旅をしながら悪と戦っているのだと話した。ああ、こいつも同じだ、と思った。

トウカは全身のあらゆる部位に刃物や銃火器を装着し、切ったり斬ったり打ったり撃ったり、相手を完膚なきまでにずたずたにすることに命を懸けていた。憎悪すら感じさせるその手口もまた同じだと思った。どこまでも似た者同士だった。

なんとなくトウカと会うようになった。これといって理由もなく、意味もなく、最近こんな怪人を殺しただとか、秘密結社を壊滅させただとか、そういう物騒な会話をとりとめもなく交わした。トウカはよく笑った。戦っているときとはまったく種類の違う表情だった。もしかして別人なのではないかと疑ってしまうほど屈託がなかった。そこだけは同じではなかった。

トウカはお世辞にも丈夫そうには見えなかった。胸板は薄く、すらりと伸びる腕も脚も華奢で、とても鍛えているふうではなかった。まったく男らしさがないな、と言うと、トウカは一瞬きょとんとしてからまた笑った。なにがおかしかったのか理解できなかったが、トウカが楽しそうだったので追及しなかった。

ある日、過去のことを打ち明けた。故郷を暴走した狂サイボーグが火の海にしてしまったこと。家族や友人を失ったこと。仇討のために自らも身体改造をしたこと。いまだ怨敵には辿り着けず、月日ばかりが無為に経過して、四年が過ぎようとしていること。

トウカはそれを聞いて“復讐はなにも生まない”と言った。しかし“だからそんな馬鹿なことはやめろ”とは言わなかった。無念のうちに天へ召された故郷の人々に軽く黙祷したあと、眩しそうに目を細めて“あなたの迷える魂もいつか救われますように”と口にした。神を信じてなどいなかったが、それでも胸が軽くなったような気がした。先の見えないこの修羅の道にいつか終わりが来たら、今度はトウカの助けになろうと心に決めた。トウカは自分自身の過去や経歴について語りたがらなかったが、恐らくなにかあったのだろうとは勘づいていた。わかっていた。当然のことだ──なにせ似た者同士なのだから。

いつか話してくれればいいと思っていた。

果たしてその“いつか”は、永遠に訪れることはなかった。
トウカは死んだ。知らない場所で、知らない何者かの凶刃によって、トウカは死んだ──あっさり殺されてしまった。その報せを風の便りに聞いて駆けつけて、引き取り手が見つからず役所の霊安室に安置されていたトウカを目の当たりにして、目の前が真っ暗になった。

名前を呼んでも、闇雲に揺すっても、返事はなかった。反応はなかった。四年前と同じ絶望感に打ちひしがれた。このときだけは、自分のこの身体を恨んだ。大切なひとを失って涙を流すこともできない。気が狂って死んでしまいそうなほどのこの悲しみの行き場がどこにもなかった。

トウカの心臓が動くことをやめたのだと信じたくなくて左胸を撫でて、自分の過ちにもうひとつ気がついた。男らしくない、と言ったときに彼女が腹を抱えて笑っていたその訳を悟った。その膨らみは控えめではあったけれど、確かに指先へ弾力を伝えてきた。自分のとんでもない無礼を謝りたかったが、その相手はもういないのだった。苦悶のない安らかな寝顔で、静かに眠っている。二度と目覚めることのない眠りについている。

トウカは共同墓地の一角に埋葬された。数日が経っても、数週が経っても、数ヶ月が経っても、彼女の墓参りに自分以外の誰かがやってきた痕跡はなかった。自分の供える花と線香のそれ以外を見ることは一度もなかった。彼女は寂しがっていないだろうか。ひとりぼっちで戦って、ひとりぼっちで死んで、ひとりぼっちでこんなところに埋められて──いっそ化けて出てくれでもしないだろうか、とかなんとか、素っ頓狂なことを割と本気で考えていた。

照りつける日差しのもと、今日も新しい花と線香を持って、トウカのもとを訪れた。茹だるような炎天下で、彼女もさぞ暑かろうと思い、柄杓で水をかけてやった。雨風に晒されて汚れた墓石の掃除をして、この下に眠っているトウカのことを想った。なんの足しにもならない感傷を捨てられずにぶら下げて、引き摺って、どこへ行けばいいのかわからなくなっていた。

それでも。
進まなくてはならないのだ。

「……そろそろ行く」

語りかけたところで返事はない。
蝉の鳴く声だけが耳障りに反響している。

「また来るよ」

今更なにを言ったところで──手遅れなのだとしても。
生ゴミのようなノスタルジィを手離せずに持ち歩いて。
味のしないこの世界を上手に食べてしまいたいと願う。



もう、とても、正気でなんていられない。



彼女に背を向けて歩き出した。なんでも大量発生した新種の蚊が、この近辺で猛威を奮っているらしい。相当数の被害も出ている。早急に対処せねばならない事態だった。この命を賭してでも。

未知の敵への恐怖は皆無だった。
麻痺してしまっていた。

それも致し方ないだろう。

なにせ──守りたかったものは。
失いたくなかったものは。

とっくのとうに、すべて掌から零れ落ちてしまっている。








(君はいない)
(いつだってもう)
(この手 離してしまったんだ)

君はいない
いつだってもう もうとっくに

(正気でなんていらんないぜ)

Syrup16g「生きたいよ」



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