murmur | ナノ




トウカの仕事は、職業の多様化が進んだこのマルチな世の中においても少しばかり特殊である。

──鍛冶屋。

曽祖父の代から続いている商売で、包丁や鋏など生活に欠かすことのできない刃物を製造して暮らしている。金槌も作る。鍬や草刈り鎌も注文があれば作る。

両親が早くに他界したためトウカは若くしてこの店を継ぐことになったのだが、持ち前の鋭い勘と度胸、先代からの教え、そして天性のセンスでもって今日まで看板を守っていた。

若い女性が愚痴も言わず文句も吐かず粉骨砕身して健気に頑張るハートフルな鍛冶屋として、ここいらの界隈ではそこそこ有名なのだった──表向きは。

そう。
“表向き”は。

表があれば、当然、裏もある。

「おい、トウカ、どこにいる。邪魔するぞ」

昼下がりに工房を訪れてきたのは一人の男だった。肩まで届く黒髪をアップに結い上げて、目の下に特徴的なフェイスペイントを施している。鍛造および溶接を行うための大がかりな機材がところ狭しと並べられた作業場内を見渡すその眼光は鋭く、とても“包丁が切れなくなったので新しいのを買いに来ました”といった雰囲気ではなかった。

名前を呼ばれて、トウカが溶鉱炉の陰から姿を現した。彼女は防熱素材の繋ぎを身に纏い、両手に分厚いグローブを装着し、色気も茶目っ気もない無骨なゴーグルをはめている。出入り口に立つ男の顔を見てトウカは驚いたように口を半開き、ゴーグルを額に押し上げた。

「誰かと思えば、ソニックさんじゃありませんか」
「ああ。久し振りだな」
「脱獄したとは小耳に挟んでいましたけれど、お元気そうで……今日はどうなさったんで?」
「刀が壊れた。直せるなら直してくれ」

“仕事”の話だった。トウカは頷いて、町工場を思わせる工房の奥へソニックを手招いた。自分たちの背丈の何倍もある機械類の隙間を縫うように横切って、揃って古めかしい鉄製のドアをくぐり、事務所として使用されている隣室へ入った。書類や設計図で散らかったスチールデスク、流しっぱなしになっているラジオ、山積みになっている空き缶──とても女性がひとりで切り盛りしている店のオフィスとは思えなかった。

しかしトウカもソニックも、そんな些事には一切触れることなく、客人用に設えてあるソファに腰かけた。ガラス製のローテーブルを挟んで向かい合い、挨拶程度の世間話を交わすこともなく、本題に入る。

「見せてください」
「……これだ」

ソニックが肩に提げていた大きな巾着から取り出してテーブルに置いたのは、一振りの日本刀だった。照明を反射して、ぎらり、と不穏に光る刃。さぞかしよく斬れるのであろう──折れていなければ。

「これはまた派手にやられましたね」

刃のひとかけを手に取って、トウカは苦笑した。自分が精根込めて打った業物が、こうも完膚なきまでに破壊されているのを目の当たりにすると、残念というより、落胆というより、意気消沈というより、いっそ清々しい。

「修復できそうか?」
「これなら、まあなんとか……打ち直せると思いますけど……大仕事ですね。一日や二日じゃあとても無理ですよ」
「承知した。任せる」
「わかりました。請け負いましょう。私の名に懸けて、この刀は必ず元に戻します」

ぱん、と手を打って、トウカは堂々とソニックに宣言した。

「なるべく早く頼みたい」
「高くつきますよ」
「構わん」
「さすが金のある人は言うことが違う。儲かってるんですね」
「そうでもない。お前ほどじゃないと思うぞ」
「私だってジリ貧ですよ。最近は皆さん“これ”ばっかりですから」

トウカは右手の親指と人差し指を伸ばし、拳銃を撃つようなジェスチャをした。

「手軽に扱えるモノの方が受けるのは、どこの世界でも一緒ですねえ」
「俺にはまったく理解できんがな。あんなもの、弾が切れたらただの文鎮だ」
「刀だってナイフだって、刃が欠けたら使えませんよ」
「そうなったら鋸だ。敵の首を挽くことくらいはできる」
「怖い怖い。ソニックさん物騒ですね」
「お前がそれを言うか? お前が──“刀鍛冶”が」

刀鍛冶。
ソニックはトウカをそう称した。

「刀鍛冶は副業ですから。できるなら紙とか野菜とか、そういうものを切る平和な刃物だけ作っていたいですよ」
「くだらん。鋏でも包丁でも人は殺せる」
「ええ、仰る通りです」

ソニックの反論を予測していたかのように、トウカはあっさり肯定した。

「まあ、今は副業の方が儲かっていますからね。私も食って生きていかなきゃあいけないんで、そこは割り切ってますよ。曽祖父や祖父や父が築き上げてきた“闇鍛冶屋”の地位と名声を私の代で終わらせることはできませんし。その刀で斬られてお亡くなりになる方には申し訳ないですけれど、他人の命よりも自分の食い扶持とプライドのが重いですね、今のところは。鉄を打つしか能のない私には、これしか手に職はありませんから」
「手に職──か」
「これしか天職はありませんから」

わざわざ言い直したトウカに、ソニックは口角を吊り上げた。ひどく歪で、陰惨で、どこかぞっとさせられる冷たい表情だったのだけれど──本人にしてみれば微笑んだつもりなのだろう。そこそこ付き合いの長いトウカには、それがわかる。理解できる。

「手土産を持ってきた」
「私にですか?」
「いつも世話になっているからな」

ソニックが巾着から取り出したのは菓子折りの箱だった。受け取って包みを開くと、薄く砂糖のまぶされた豆大福が行儀よく整列していた。

「いいんですか?」
「ああ。前金の代わりだ」
「そうですか。では遠慮なく……せっかくですし、一緒に食べましょう。お茶を淹れます」
「気遣いはいらんぞ」
「そう言わずに。話し相手になってくださいよ。毎日こんな暑苦しい作業場に閉じこもってて、ろくに喋る相手もいなくて寂しいんですよ」

あまり乗り気でないソニックを押し切って、トウカは湯呑みに二人分の緑茶を注いだ。出されたものを突き返すのは無礼なので──などという殊勝な価値観をソニックは持っていないが、それでも素直に口を潤したのは、無理を聞いてもらったせめてもの礼といったところだろう。

「たまには殺伐としたことを忘れて、こうして暢気に過ごすのもいいものですよ」
「それはどうだかな。体が鈍ってしまう」
「ところで──あの刀、なにがあって折れたんです? 強く叩かれて割れたような、砕かれた印象を受けましたが。鉄筋のビルでも斬ろうとしたんですか?」
「……よくわからん」
「はあ?」
「見えなかった。斬り込んだと思ったら折れていた。なにをされたのか──わからなかった」

ソニックは苦々しげに言う。トウカは豆大福を口いっぱいに含んでもぐもぐ味わいながら、にわかに信じ難い彼の言葉を脳内で反芻した。

「あなたほどの方が──わからなかった、見えなかった、と。世の中には化け物ってのがいるんですねえ。ひょっとして、ソニックさん、その人にしてやられて捕まったので?」
「……今回は後れを取ったが、次はそうはいかない。警察に侵入して刀も取り返したしな」
「わざわざそんな危険を冒してまで……いくらでも新しいのを、もっといいのを打ちますのに。お代さえいただければ」
「俺はこいつが気に入ってるんだ」
「愛着がおありですか。鍛冶屋冥利に尽きますね」
「お前から初めて買った刀だからな」
「……おやおや。ちょっと照れてしまいます」

砂糖で汚れた口元をティッシュで拭って、トウカがはにかんで笑う。
つられてソニックも息を洩らした。それは先ほどの微笑よりもいくらか柔らかで和やかで棘のない、彼の常を知る者が見れば驚天動地したであろう──穏やかな表情だった。

「俺はいつか必ず奴を倒してみせる」
「怪我しないように気をつけてください」
「……気の抜けることを言うな」
「だって、私は刀を直すことはできても、人は治せませんから。命は拾えませんから。ソニックさんがここに来てくれなくなったら、私きっと泣いちゃいますので」
「──それは、お前が俺を」
「お得意様ですから。収入が減りますので」
「…………………………」
「おや? なぜ不機嫌そうなのです?」
「…………もういい」

ソニックは腕をこまねいて、ぶすくれてそっぽを向いてしまう。それに構わずトウカはもそもそと豆大福を齧る作業を再開した。頬をいっぱいに膨らませ、無心で甘味を堪能しているトウカの無邪気な姿をソニックは横目でちらりと窺って、大概こいつも御しがたい強敵だな──とばかりに、長い溜め息をついた。








(悲しい出来事は全部)
(ぼくが引き受けるよ)

きみは尖がってる牙でいて

(きみの幸せそうな顔を見ていたくて)
(今日も搾り取られます青い房)

天野月子「かぼす」



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