murmur | ナノ


「Like a Bubble」わか様よりいただきました。
大感謝!ありがとうございます!





「大先生、今日もお元気そうで何よりです」
 真顔で話しかけてきた、綺麗な金色の髪の青年――といっても、両腕はどこからどう見ても人間のものではない――ジェノスを前に、トウカは盛大にため息をついた。ここはZ市内のスーパー。彼は買い物に来た客。そして、トウカは……現在レジを打っている。
「ジェノス君?」
「はい、なんでしょう大先生」
「その【大先生】ってやめてくれない。あと会計1204円になります」
「すみません。それでは……お名前で、トウカさんと呼ばせて頂いても構いませんか?」
「うん、もういいから会計1204円になります」
 17時のスーパーのレジとはとても混雑する。1番から5番まであるレジは全て会計を待つ客が並んでざわざわ騒がしい。さらにレジ係を呼ぶために店内放送ボタンを押しながら、トウカは金属で出来た指からお札と小銭を受け取った。2204円のお預かり。1000円のお返し。賢い子なのになあ、と思いながら。

 * * *

 ジェノスとその師匠であるサイタマと出会ったのも、トウカが働くこのスーパーであった。
 仕事を終えた帰り、閉店間際の店内には処分価格の食品が置かれている。それを狙ってやって来たトウカが目の当たりにしたのは、パーカーを着た禿げ頭の男性と、男性に付き従う美しい金髪の青年。染めたのではなく、地毛のように思えた。両腕の鉄でできた腕よりも金色の髪のほうが印象に残った。
「やっぱこっちの方が安いし、鯖でいいか」
「しかし、先生は元々鮭を買うつもりでここに来たはずではないのですか?」
「けどなー、今月厳しいんだよ。もうちょい少ない量で安い値段だったら丁度いいんだけどさ。やっぱこういう細かいところで節約しておかないとだな……」
 どうやら目的の鮭の値段が予算よりも高かったらしい。禿げ頭の男性は見比べるように二つのパックを両手に持っている。相当切り詰めているらしい、目が血走っていた。
 悩んでいるのは結構なのだが、その位置に立たれているとトウカの目的の品であるお値打ち品のタコ(調理済み、50円引き)がいつまで経ってもトウカの手に収まらない。だからトウカは後ろからそっと二人に声をかけた。
「あのー、向こうのスーパーだったら閉店間際に行けば値引きされてるのでそっちの方がお得ですよ」
 禿げ頭と金髪が同時に振り向く。
「いや、それは知ってる。50円引きのシールが貼られるんだよな?」
「だが向こうの方が安いとは限らない。それに、もし向こうのスーパーまで確かめに行って安くなかった場合ここまで戻ってきたならこのスーパーは閉店するだろう。それを考えて先生は悩んでいるんだ」
「ああ、知ってましたか? じゃあ火曜……つまり今日の本当の閉店ギリギリ直前だと、実はそのシールがもう一枚追加されるっていうのも知ってますよね?」
「なんだって?」
「え、マジで?」
 二人が同時に目を丸くした。サイボーグの彼……金髪の向こう側の眼球は真っ黒で、なんだか奇妙だった。
「あそこの鮭は売れ残ってることが多いですよ、冷凍だから。味は落ちますけど安さに関してなら保障します。もし安くなかったら……そうですね、おにぎり2個でも良ければあげますからそれで勘弁して下さい」

 顔を見合わせた二人組はトウカの言うことを信じたらしい、二人揃ってスーパーを飛び出していった。(禿げ頭の男性は携帯電話を持っておらず、別行動が出来ないそうだ)そしてトウカがやっとタコに手を伸ばし、会計を済ませ、バックヤードから警備員のチェックを受け退出した頃、従業員入り口側に先程の男性二人組が待ち構えていた。……50円引きシールが2つ付いた鮭のパックを袋に提げて。

「マジで師匠と呼ばせてください」

 本気の顔で禿げ頭が頭を下げ、その様子を見たサイボーグの青年が慌ててそれに倣い、トウカに向かって黄金色の頭を下げる。
 これが、彼ら……禿げ頭のサイタマ、そしてサイボーグの青年・ジェノスとの出会いだった。

 * * *

 トウカは安売りの情報に精通していた。というのも、トウカはレジ打ちがメインではあるものの、品出しや他の部署の手伝いまで回る少し特殊な立場で、そういった情報が入りやすいのだ。休憩中のおばちゃん達には別のスーパーで働いている友達も多いらしく、他店の情報もよく回ってくる。よって買い物客ではなかなか手に入らない情報などもトウカは把握していた。
「トウカさんのお陰で、サイタマ先生は本当に助かっています。いつも情報提供、本当に感謝しています」
 そして、彼。今日は品出しをしているトウカの傍らに手ぶらで立つこのジェノスは、サイタマの強さに憧れる【弟子】だそうだ。サイタマもジェノスもあのヒーロー協会で認定を受けたプロのヒーローであり、ジェノスはつい先程まで怪人と戦闘を行い、ついでにトウカの顔を見に来たのだそうだ。
 何故彼がトウカに敬語なのかと問われれば理由は一つ。ジェノスの師匠であるサイタマが、トウカのことを【師匠】などと呼んだせいだ。あの日以来サイタマはトウカの情報網を頼り、度々このスーパーを訪れては情報を求めてきた。それに応じてやったトウカも悪かった。気づけばサイタマに師匠と呼び慕われていた。
 そのサイタマの弟子であるジェノスは、自分の師匠が師匠と呼んでいる人物に対し当然横柄な態度を取れるはずがない。生真面目な正確をしているのだろう、運動部の後輩がOBに頭が上がらない様子と似ている気がした。
「ジェノス君、私にそんなに気を遣わないでいいよ? 敬語とか全然いいし。気軽に世間話とか、なんでも話してくれていいから」
「いえ、サイタマ先生が【師匠】と呼んでいるトウカさんに対して、弟子の俺が失礼な態度を取るわけにはいきません。師匠の師匠なんですから」
「……はあ」
 はきはき真面目に答えてくれるこの青年にトウカは頭を押さえた。駄目だこいつ、どうにもならない。
 頭痛の種はこれだけではなかった。トウカはこのジェノスとメールアドレスと電話番号を交換している。いつでも情報のやり取りが行えるためだ。毎日3回は必ずメールのやり取りが行われ、電話をしない週などない。内容は安売りの情報のやりとりや、余った食材のお裾分けなどの会話。他にタイムセール情報のリーク。あとはせいぜい、あいさつや、体調を気遣ってくれるような短文や、トウカさんは気遣いもしてくれる素敵な方ですというお世辞のようなコメントが社交辞令程度に添えられているくらい。

 それだけ。ものの見事に、それだけだ。

(私個人に興味がないっていうのは知ってるけどさ)
 かといって本当にそれだけというのも悲しいものがある。けれど同時に、真面目で、ひたむきで、時々あの美しい髪の向こう側で、危うい光の瞳を見せるジェノスのことがトウカは気になっていた。
 事情はよく知らないけれど、怪人がはびこり、身体の一部を失っても運がいいなんて言われ、運が悪ければ命を落とすようなこのご時勢。両腕と両目が機械に成り変わってしまった、顔に幼さを残すこの年下の青年は、きっと人よりずっと苦労してきた子だろうという事くらいトウカにも想像できた。

「ジェノス君」
「はい、なんでしょうトウカさん」
「貰い物なんだけどさ、良かったらこれ。ジェノス君いつもサイタマさんのために働いて大変そうだし」
 トウカはエプロンのポケットの中に入っていた小さな缶をジェノスへ差し出した。赤色と金色のパッケージの、ゴールドなんとかという栄養ドリンクのジュース缶。キャンペーンの余り物として飲料メーカーの男性がレジの皆に手渡してくれたものだった。

「いつもお疲れ様」
 トウカにできることは少ないけれど、このくらいなら。ほんの少し気にかけてやるくらいならできる。
 ジェノスはトウカが差し出した缶を両手で受け取るが、眉尻を下げほんの少し困ったような顔をした。カチリと鉄の缶と自分の指がぶつかる様子を見つめる表情は戸惑っているようにも見える。
「お気持ちはありがたいのですが、俺には味覚や食事をする機能はあるものの、身体の殆どが機械化されているため役に立たないのではないかと思います。栄養剤でしたらトウカさんが摂取された方がいいのでは」
「でも人間、プラシーボ効果っていうんだっけ。ホントは効かないはずなのに、効いてるみたいに錯覚できて元気になれるらしいよ。ジェノス君も人間なんだし、効果ゼロじゃないと思う」
「俺が、人間ですか」
「当たり前じゃん」
 身体は機械になっているけど、どこからどう見たって人の形をしている。トウカが笑顔で頷くと、ありがとうございます、と失礼します、の言葉と一緒に会釈して、ジェノスは歩み去って行った。両手で大切そうに持って行ってくれた缶には【非売品】の文字。それから念を入れてシールも貼られているので、万引きと間違われる事はまずないだろう。

 遠ざかっていく黄金色の髪を眺めていると、最近出入りしている金髪の男とすれ違った。ああ、やっぱりジェノス君の金髪の方が綺麗だなあと改めて感じながら、トウカは品出しを再会した。