気付く理由
表紙を開いてから夢中になって読んでいた本に一つの区切りがつき、ふっと集中が切れて紡は顔を上げた。栞をして本を一度畳に置き、軽く身体を伸ばす。随筆など普段はあまり読まないが、著名な海洋学者が執筆したこの本は着眼点が面白く、つい読み耽ってしまった。

ふと、横を見やると、ちさきが花を生けている。本を読んでいる最中に花を抱えたちさきが居間に入ってきたことには気付いていたが、ちさきがこの家にいることがもう当たり前になっているせいか、それで気が散ることはなかった。むしろ、不思議と心地のよさすら感じる。
ちさきはどう生けようか悩んでいるらしく、青い竜胆を手に持って眉を寄せていた。剣山の上で竜胆を彷徨わせて、恐る恐る刺す。何度かそれを繰り返し、イメージ通りの形になってきたのか、眉間の皺が消えて口元に笑みが浮かんだ。

くるくると表情が変わる横顔をじっと見つめてしまっている自分に気付いて、紡はそっと視線を外した。
あまり見つめすぎると、またちさきに気付かれる。鈍感なのか、その理由にまでは思い至らないようだから、心配する必要はないかもしれないが。

本を手にとり、中断していた読書を再開する。続きを読みはじめれば、すぐにまた文字の海に没頭することができた。
だが、何度かページを捲ったところで指先に鋭い痛みが走った。見やると、切れて赤い血が浮かんでいる。反射的に舐めとり、絆創膏を求めて腰を浮かすと、何故か先にちさきが立ち上がって箪笥に向かった。箪笥の引き戸を開けて、中を漁る。少しして、ちさきが取り出したのは絆創膏だった。ちさきもどこか怪我したのだろうか。

「切ったのか?」

「切ったのは紡でしょ。ほら、手だして」

絆創膏を掲げて、ちさきは紡の隣に腰を下ろした。面食らいながら言われるままに切った方の手を差し出すと、そっと人差し指に絆創膏が貼られる。ゆっくりと小さな手が離れて、絆創膏にうっすらと血が滲んでいるのが見えた。
顔を上げると、「そんなに深くなくてよかった」とほっとしたような笑みを浮かべられらる。紡はまた絆創膏が貼られた指に視線を落とした。

「よくわかったな」

「なにが?」

ちさきはきょとんと首を傾げた。

「俺が怪我したしたこと」

紡が答えると、ちさきはますます不思議そうな顔をする。

「そんなの、見たらわか……」

だが、急にはっとして固まった。みるみるうちに頬が染まっていく。

「た、たまたまだから! たまたま! ちょっと首を動かしたら、紡が怪我してるのが見えただけ!」

慌てて言い募ると余計に怪しく見えるだけだが、それは指摘せずに「そうか」と頷く。
これ以上この話を続けたくないらしく、ちさきは「もう怪我しないよう、気を付けてね」と言い置いて花の前に戻った。その顔も耳もまだ赤い。その理由を探るように、紡はまたちさきの横顔を見つめた。
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