寒夜
一人きりは嫌だった。
こんな寒い夜は、あの日の荒波が一際強く響く。きっとこの凍えた空気が、なにもかもなくしてしまったあの日の寒々しさを思い出させるせいだ。
後悔の音。すべてを奪っていった音。もう記憶の中にしかない音。
眠ろうと目を閉じても、波の音は止まない。むしろ、より近く強くなっていった。

逃げるようにちさきは布団から抜け出る。
暗い部屋の外に出ると、隣の部屋から漏れ出た明かりが見えてほっとした。

「紡、まだ起きてる?」

つい声をかけてしまってから、こんな夜遅くに迷惑だったろうかと不安が過る。もう一つの家族と思えるようになってから、甘えすぎてしまっているのではないか。
しかし、なんでもないことにする前に障子が開かれ、紡が顔を出した。

「どうした?」

「えっと……ただ、明かりがついてたから起きてるのかなって」

我ながら、下手な誤魔化しだった。
紡がわずかに眉を寄せる。

「眠れないのか?」

結局見破られて、きまりの悪い顔で頷く。
紡は一度踵を返して照明を消し、すぐにまたちさきのもとに戻ってきた。

「ホットミルクでも淹れるか」

「それなら、私が」

階段を降りる紡を追いかけて、台所に向かう。
一人でも問題ないが、鍋で牛乳を温めている間に紡がマグカップと砂糖をだしてきてくれた。二つのマグカップに牛乳を注ぎ、砂糖を混ぜる。一つは紡に渡して、上がり端に並んで腰を下ろした。

「あったかい」

マグカップを包み込むように持つだけで、冷えた指先が温められていく。甘いホットミルクに口をつけると、身体の内側からも温まっていくのを感じた。
いつの間にか、波の音も遠くなっている。きっと一人きりだったら、こうはならなかった。身体が温まったくらいで、消えてくれるものではない。
なのに、ただそばにいてくれるだけで、どうしてこんなにも慰められるのだろう。
浮かんだ疑問は疑問のまま霧散していく。そうしなければ、ならなかった。

「紡は、なんで起きてたの? 寝付けなかった?」

「勉強してたら、こんな時間になってた」

「勉強も大事だけど、あんまり根つめすぎるのもよくないよ」

ちさきは苦笑し、またホットミルクを一口飲んだ。
マグカップから口を離し、畳の上に左手をつく。
と、小指がごつごつとした手とぶつかった。
偶然だった。いつもなら、謝って手を引くところだ。けれど、今ばかりは小指の先に触れた温度から離れがたかった。また見抜かれているのか、紡もなにも言わず、そのままでいてくれた。

この手のあたたかさに何度も救われた。油断すると、もっと縋りたくなってしまう。
でも、それは許されない。許してはならない。あの波の音を忘れてはいけない。
それでも、今だけだから。これ以上は望まないから。だから、もう少しだけ。


紡ちさを書く天城さんには「一人きりは嫌だった」で始まって、「だから、もう少しだけ」で終わる物語を書いて欲しいです。可哀想な話だと嬉しいです。
#書き出しと終わり
https://shindanmaker.com/828102

メモに載せていたものを少しだけ推敲しました。そんなに変わってませんが。
ちさきにとって、あの波の音は後悔の音であると同時に戒めでもあったのかもしれないなと思います。その辺もっとちゃんと深めたのも書いてみたい。
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