障子の影
「あれ?」

英語の予習をしようとしたところで、紡は英和辞典がないことに気が付いた。学校に置き忘れてきてしまったらしい。
窓の外は茜色に染まりつつある。取りに行けない時間でもないが、ちさきに借りた方がはやいと判断し、隣の部屋に向かった。
閉ざされた障子にちさきの影が映っている。紡は障子越しに声をかけた。

「ちさき、ちょっといいか?」

「待って、今着替えてるから!」

慌てた声とともに影が揺れる。つられるように紡も少し狼狽えて、気のない返事をしてしまった。
影の手が腰にかかる。そして、ゆっくりとスカートが下ろされて――紡は慌てて顔を背けた。
たかが影、と割り切れるほどできた人間ではない。考えてはいけないことを考えてしまいそうで、必死に今見たものを忘れようとした。なのに、背後から聞こえる衣擦れの音が抑え込もうとしたものを煽ってくる。爪が食い込むほど拳を握り込むが、そんなものに意味などなかった。

「お待たせ」

しばらくして、障子の開く音とともに少し上擦った声が背中にかけられた。
気まずさを覚えながら振り返る。Tシャツに七分丈のパンツといったラフな格好をしたちさきを確認し、紡は人知れず息を吐いた。

「どうしたの?」

「英和辞典、貸してくれないか?」

「忘れてきたの? しょうがないなあ」

ちさきは苦笑して部屋の中に戻ると、鞄から辞典を取り出して紡に差し出した。

「私もあとで使うから、はやめに返してね」

「ああ、ありがとう」

受け取って礼を言うと、ちさきは姉ぶるような笑みを浮かべた。

「紡は意外と抜けてるんだから、気を付けないとだめだよ」

その小言が忘れ物のことを指しているとはわかっていても、先程の不注意を咎められているように聞こえて余計にきまりが悪くなる。
いたたまれなさに目を伏せ、深く内省した。

「絶対にもうしない」

「そこまで神妙にならなくてもいいけど……」

予想外に真剣な反応にちさきが困惑する。
別に彼女が意味を理解する必要はない。すべて自分が気を付ければいい話なのだから。



雪見障子って鍵はかからないし下半分は透けてるし上半分も影は映るしで、女の子の部屋を仕切るものとしてはすごく危ないよなーと。
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