0と1と
コーヒーを買うか、サイダーを買うか。
もう十分も自動販売機の前で悩んでいるのに、未だに決められなかった。
今日は肌寒いから温かいコーヒーで体を暖めたいけど、サイダーのあの弾けるうまさも捨てがたい。
些細な問題ではあるけれど、決めがたい問題だ。

「先に使わせてもらってもいいかな?」

後ろから声が聞こえた。声からして、青年だろう。
邪魔になってたみたいだ。
悪いことしたなと思い、すみません、と謝って自動販売機の前から退いた。

それにしても、どちらを買おうか。
うーんと唸りながら考え込んでいると、突然、はい、という声とともに頬に温かい物が触れた。
思考を中断して何事かと確認すると、頬に缶のココアが押しあてられていた。
顔を上げると、そのココアを持っている青年と目が合った。
その青年が誰であるかを認めた途端、オレは盛大に顔を顰めた。
関わり合いになりたくないほど電波なNとかいう野郎がそこにいた。

「お前、いつからいた」

「さっきからいたよ」

「いなかっただろ」

「いたよ。一応、キミと会話らしきものもしたはずだけれど」

さっきまでの記憶を引き摺り出し、ようやく合点がいった。
顔まで見てなかったから気付かなかったが、さっき自動販売機の前譲った人か。
うわー、謝るんじゃなかった。

「そうか。ところで、このココアはなんだ?」

「悩んでいるようだったから、ボクが決めてあげたよ」

お子様にはこれ、とにっこりという擬音が付きそうな笑顔とともにココアを渡された。
今すぐその無駄に整った顔に投げつけてやりたいが、食べ物−−正確には飲み物だが−−を投げるのは躊躇われた。昔、それで怒られたからな。
代わりにきっと睨み付けてやった。

「なんでお前が決めるんだよ」

「あれ、ココア嫌いだったかい?」

「そういう問題じゃない!」

こいつと話していると本当に疲れる。常識というものが全く通じない。
頭のネジが二、三本外れているんじゃないか?

「勝手にオレに関することを決めんな」

「キミは変わっているね」

「お前にだけは言われたくねえ!」

速攻で突っ込んだが、Nは涼しい顔で無視して話を続けた。

「世界には0か1しか存在しないというのに悩んで、ひとがわざわざ答えを示してあげても撥ね除ける。ボクには不可解で仕方ないよ」

よくわかりやすいと称されるオレが不可解とは、物事を複雑に考えすぎだ。
それに、世界には0と1しかないとか、極論だろ。コンピューター言語じゃねえんだから。

「お前は、0と1の間にどんだけの数があると思っているんだよ」

「数学上では無限にあるけれど、それとこれは違うよ」

「同じさ。小数点以下を四捨五入して0か1に分けてるだけで、実際は色んな数がある」

本当に0か1しかないような単純な世界なら、人はこんなに悩まない。
切り捨てた分があるから、自分の決定に後悔したりするんだ。

「それに、探せば2とか3とか別の数もあるだろ。例えば、コーヒーかサイダーで悩んでいたら何故かココア渡された、とかな」

にっと口角を上げてココアの缶を見せつけてやる。
Nは目を丸くした。擬音をつけるなら、きょとん、だな。
こういう人間らしい表情もできたのか。

「やはり、キミは面白いな」

Nは指を口元にあてて上品な笑みを浮かべた。
女性ならば見惚れてしまうであろうその笑みも、オレにとっては腹が立つだけだ。

オレはヤケ酒のようにココアを一気飲みし、大きく振りかぶって無駄に綺麗な笑みを浮かべる顔に空缶と120円を投げつけてやった。
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