遥か遠き白銀の
ようやく見られた無表情以外の顔に胸がすく。
「やったな」とどこか達成感を感じながらオレはタージャをボールに戻した。
これでオレのポケモンは全滅。対して、ヒヅキさんのポケモンはまだ2匹残っている。
「オレの負けです」
宣言すると、まだ惚けた様子のヒヅキさんが「そうだね」と呟いて、プテラをボールに戻した。負けたが、一泡吹かせることには成功したようだ。
悔しさはもちろんあるが、あまり悪い気はしていなかった。あえて言うなら、最初から全力を出せなかった自分の不甲斐なさが一番悔しい。だが、それは今言ったところでどうしようもないことだろう。それも含めてオレたちの実力だっただけだ。
それでも、あの鉄面皮をあっと言わせてやれたんだから、いきなりバトルを仕掛けられたことへの仕返しとしては充分だろう。
「で、今度はオレの話を聞いてほしいんですけど」
「まだ」
「えっ?」
「まだ終わらせたくない」
淡々と、しかし駄々をこねる子供のようなことをヒヅキさんは言う。
その瞳からはまだ闘志が消えていない。またプレッシャーが肌を刺して、オレは戸惑った。
「そう言われても、オレにはもう戦えるポケモンもいないし……」
「いるよね?」
有無を言わさない眼光がオレを射抜く。
「セキが騒いでる」
ヒヅキさんは腰につけたモンスターボールをそっと掴んだ。
確かに、もう1匹だけ戦えるポケモンはいる。普通のポケモンバトルには決して出せないポケモン。かと言ってボックスに預けることもできず、ルール違反とわかっていながら常に連れていた7匹目。
「ボクも戦ってみたい。イッシュの伝説と」
その言葉ですべて理解した。
この人はあいつと出会って、話をしたんだ。あいつから聞いていたんだ。
あいつの黒いドラゴンポケモンがイッシュの伝説のポケモンであることも、その対となる白いドラゴンポケモンにオレが選ばれていることも。
「……ルール違反になりますよ」
「いい、やろう」
真っ直ぐな瞳に輝くのは強敵への闘争心と未知のものへの好奇心。
表情も口数も少ないこの人は、その実かなり子供っぽいのかもしれない。
どうしてだろう。その瞳が、ほんの少しだけあいつと似ている気がした。ポケモンバトルを楽しむどころか憎んでいたあいつと似てるところなんてないはずなのに、本当にどうしてか、そんなことを思ってしまった。
「わかりました」
オレは鞄の中に手を突っ込んだ。ライトストーンだった頃からの定位置に収まったモンスターボールを――イッシュ地方の伝説のポケモンを取り出す。
ヒヅキさんも腰のベルトからモンスターボールを1つ手にとった。
視線が交わったのを合図に、同時にモンスターボールを投げる。
オレのボールから現れたのは、イッシュの建国伝説に語られる純白のドラゴン――レシラム。
ヒヅキさんのボールから現れたのは、尻尾に炎を灯した赤い翼竜――リザードン。
リザードンを見据え、レシラムは青い目を眇めた。遠吠えとともにターボのような尻尾から熱気が放出され、辺り一帯の雪を溶かす。白に覆われていた大地から黒い岩肌が露出し、一部は溶岩となって山肌を流れた。
「やっぱりすごいね」
それを見て、ヒヅキさんは圧倒されるどころか楽しげに呟いた。声色も表情も淡々としていたが、あれは多分楽しげだ。
「セキ、出し惜しみなしでいこう」
ヒヅキさんの言葉にリザードンが頷くと、ヒヅキさんのつけていた腕輪が光を放った。共鳴するようにリザードンの首にかけられた石も光り輝く。その光がリザードンの全身を包み込んだ。
あれは、もしかして……!
一際強い光を放って、リザードンを包んでいた光が四散する。そこから現れたリザードンは姿が変わっていた。
赤銅の肌は黒に、腹や翼の内側は青に。赤い炎も青に変わり、尻尾の先だけでなく口の両端からも青い炎が牙のように生えている。
リザードンではないが、同じような現象をホウエン地方で見たことがあった。
進化ではない。フォルムチェンジでもない。キーストーンとメガストーンと呼ばれる2つの石、そしてポケモンとトレーナーの絆が揃ってはじめて発動する進化を超える進化――メガシンカ。
こんなものまで習得していたのか。
「レシラム、相手に不足はないみたいだな」
リザードンを鋭利な瞳で捉えたまま、レシラムは低く喉を鳴らした。
そうだな。オレに言われるまでもなく、お前はわかってるよな。
「全力でいくぞ、“りゅうのはどう”!」
「“りゅうのまい”で受け流せ」
レシラムの口から衝撃波が放たれる。リザードンはそれを力強く舞うことで受け流し、同時に攻撃力と素早さを上げた。ダメージがまったくないわけではないが、うまく威力を軽減されたらしい。
「“ドラゴンダイブ”」
舞の最後の足踏みで地面を蹴り、リザードンはレシラムに向かっていった。広げた翼で暴風雪に乗り、ロケットのように迫りくる。
「“じんつうりき”で押しとどめろ!」
レシラムの瞳が怪しく輝き、目に見えない力がリザードンを包む。だが、リザードンはそれを押し切ってレシラムに突撃した。後ろに倒れ込みそうになるが、なんとか踏み止まって空へと飛び上がる。リザードンもレシラムを追いかけ空を駆けた。
「“りゅうのはどう”」
「“ドラゴンダイブ”」
レシラムが放つ衝撃波。その中をリザードンは再び風を味方につけて突っ切ってきた。真正面から突撃され、バランスを崩した2匹は一緒に落下していく。
その最中、
「“かみくだく”」
リザードンがレシラムの喉元に噛みついた。深く牙を立てられ、悲鳴を上げながらレシラムは激しく暴れる。腹を蹴ってなんとか顎を外し、
「“じんつうりき”で地面に叩きつけろ」
不可視の力で背負い投げのようにリザードンを地面に叩きつけ、自分は再び空へ逃れた。リザードンもすぐに起き上がり、レシラムを追いかける。
空を駆け、ぶつかり合う白と黒。交わるような激闘は、あの日の決戦を思い起こさせた。
だが、気持ちはあの時と違う。あの時よりも開放的で、子供みたいに興奮して、純粋に心が震えた。
何度も攻防を重ね、弾かれたように2匹は距離をとる。
レシラムもリザードンも息が上がっていた。恐らく、次がお互いに最後の一撃になる。
レシラムは振り返りもしない。だが、その背中が雄弁に語っていた。オレも同じだ。お前のことを信じている。
「いくぞ、“あおいほのお”!」
「セキ、“ブラストバーン”!」
レシラムの放つ青い業火。リザードンの放つ青い猛火。
互いにすべてを曝け出した一撃がぶつかり、爆発する。熱風が雪雲を吹き飛ばす。白銀の世界はすべてを燃やし尽さんとする炎に呑まれた。
熱で目が痛い。それでも、オレは揺らめく炎の向こうを、レシラムとリザードンの影を凝視していた。
少しずつ炎が鎮まっていく。
そして、炎が完全に消えるのと同じくして、レシラムとリザードンは糸が切れたように倒れた。
「すげえ……」
あのレシラムと完全に互角に渡り合えるやつがゼクロム以外にもいたなんて。
それも、メガシンカしたとはいえ伝説でもないポケモンに。
「お前も楽しかったか、レシラム」
オレはレシラムをボールに戻し、なんとなく問いかけた。
世界の命運なんて関係ない、ただ実力を競い合うだけのバトル。そんなものをレシラムとするのははじめてで、楽しくて、レシラムもそうであればいいと思った。
ボールの中のレシラムはなにも答えない。だが、その顔はどこか満足げに見えた。
「楽しかったね、セキ」
ヒヅキさんもリザードンをボールに戻し、通常よりは柔らかく目を細めた。わかりにくいが、あれがあの人の笑顔のようだ。
ふいに顔が上げられ、その笑顔がオレにも向けられる。
「ありがとう」
「こちらこそ」
礼を言われたこと以上に笑顔を向けられたことに驚いてしまったが、すぐににっと笑みを返す。
オレたちはしばらく興奮が冷めず、バトルの余韻に浸っていた。
だが、ふっと冷たい風が雪とともに吹き込んできて、寒さとともにここにきた理由を思い出させた。
「そうだった。ヒヅキさんに訊きたいことがあるんですけど」
「それは中で聞くよ。ついてきて。ハヅキとアオイも」
「えっ?」
ヒヅキさんの視線を追って振り返ると、そっと岩陰から名前を呼ばれた2人が出てきた。
ハヅキさんは「ばれてた?」と悪戯が見つかった子供のような顔をして、アオイさんはちっと舌打ちをして。
思いも寄らないことに目を丸くしつつ、やっぱりあの人なにか企んでたんだな、とここに来るまでに何度も浮かんだ疑惑が確信に変わった。