天上に響く鐘の音
山から吹き下ろしてくる風が色とりどりの花びらを運んでくる。どこかに花畑でもあるんだろうか。花びらたちは青空に集まり、くるくると舞い踊っていた。
その時、一際強い風が吹き、花びらの中に白い羽根が混じった。白い翼を太陽に煌めかせながら、大きな鳥ポケモンが花びらのように空を舞う。
自由自在に空を飛ぶ白い鳥ポケモンに向かってオレは手を振った。少しして気付いたらしい鳥ポケモンがゆっくりと下降し、地面に降り立つ。

「すっかり空を飛べるようになったな」

「クォーン」

白い鳥ポケモン――スワンナに進化したアルの翼を撫でると、アルは嬉しそうに羽ばたいた。進化しても、そういう仕草は変わらないらしい。

電気石の洞穴での一件のあと、オレたちはフキヨセシティの宿に泊まり泥のように眠った。
それから一夜明け、アルを外に出してみたら、あれだけ嫌がっていたのが嘘みたいに当たり前のような顔をして空を飛びはじめたから驚いた。一度自分の意志で飛んだおかげか、すっかり恐怖を克服できたらしい。しばらく飛行訓練をさせてみたが、まったく問題なさそうだった。

「これなら、また落ちてもアルに助けてもらえるな」

「クア!」

冗談めかして言えば、まかせて! とばかりにアルが翼で胸を叩く。頼もしいな、とオレは口角を上げた。
とはいえ、アルは飛べるようになったばかりだ。もっと飛行訓練をさせた方がいいだろう。アルもやる気みたいだし。
幸い、ここフキヨセシティは西端にフキヨセカーゴサービスという大きな飛行場がある以外はのどかで高いビルもない街だ。飛行機にさえ気を付ければ、のびのびと空を飛べるだろう。

「少し休憩したら、また空を飛んでみるか」

「クォーン!」

アルの頭を撫でて、ハートスイーツを食わせてやる。途端にアルの目が嬉しそうに細まった。

他のやつらも外に出してやるかとベルトにつけたモンスターボールに手をやる。
その時だった。

「おお! お前さん! ミスミだろ!!」

髭を生やしたおっさんが親しげな笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
久しぶりに会った親戚のおじさんのような態度で名前を呼ばれるが、こっちはまったく覚えがない。誰だ、このおっさん。新手の詐欺か? 
……いや、でも、近くで見ると、どっかで見たことあるような気もするな。もしかして、父さんの古い友人とかか? それなら、小さい頃に会ったことあるかもしれねえけど。

「ちょいと、お前さんのポケモン図鑑を見せてもらうよ」

困惑していると、髭のおっさんは当然のように手を差し出してポケモン図鑑を要求してくる。
思わずオレは身を引き、図鑑が入ったバッグのショルダーベルトをぎゅっと握った。アルが気にせずハートスイーツを堪能しているから、あからさまに害意があるわけではないようだが、怪しいものは怪しい。

「あんた、誰だよ」

警戒心を露に睨み上げると、おっさんははっとしたように目を見張り、少しきまりの悪そうな顔をした。

「おぉ、すまない! ちと興奮してな。私の名前もアララギ」

「アララギ?」

もしかして、アララギ博士の親戚か?
全然似てねえけど。共通点といったら、髪色くらいか?

「そう! お前さんにポケモンと図鑑を託したのは私の娘なんだ!」

「娘……ってことは、アララギ博士の親父さんか?」

「そうだとも」

そういや、アララギ博士の研究所に若い頃の博士と一緒にこの人が映っている写真があったような気がする。だから、なんとなく見覚えがあったのか。
長らくポケモンの調査に出掛けていてカノコにはほとんど帰ってきていないらしいから、会うのはこれがはじめてだけど。

「お前さんのことはアイツからいろいろ教えてもらっていてね。ここで会えたのはなんとも嬉しいかぎりだよ! では出会いを記念して、お前さんのポケモン図鑑をパワーアップ! だね」

「じゃあ、頼みます」

今度は素直に図鑑を渡すと、アララギ博士の親父さんは慣れた手つきで操作しはじめた。それから1分も経たずに「できたよ」と図鑑を返される。

「同じポケモンでも姿が変わるポケモンがいる。見たことがある姿なら、これでいつでも確認できるよ。あわせて検索機能も追加しておいたからね」

「ありがとうございます」

試しに検索機能を使い、オスとメスの見た目が大きく違うケンホロウのページを見てみると、以前はオスの姿しか見られなかったのにメスの姿も確認できるようになっていた。これは便利だし面白いな。

「アララギ博士、そちらのトレーナーさんは?」

感心していると、アララギ博士の親父さんの後ろから今度は若い女性がやってきた。
水色の飛行服を着ているから、多分パイロットなんだろう。よく日に焼けた肌と高く結い上げた赤い髪からは明るく活発そうな印象を受けるが、アララギ博士を見る目にはどこか険しいものが混じっているような気がした。「おお! おう! すまんすまん」と苦笑を浮かべるアララギ博士に気にした様子はないから、ただの気のせいかもしれないが。

「フウロくん、こちらはミスミくんといって、私の娘の知り合いだよ! ポケモン図鑑完成をめざしイッシュを旅しているのだ」

アララギ博士に紹介され、どうもと軽く会釈をする。
すると、女性――フウロという名前らしい――の顔にぱっと明るい笑みが咲いた。さっきまでの真顔よりも、こっちの快活な笑顔の方が似合ってるな。

「そうなんだ! だったらジムに挑戦するでしょ? わあ! とっても楽しみ!!」

「そうだな、ミスミくん、ぜひ挑戦するといいぞ! なにしろ、ここのジムはぶっとんでおるからな!」

当たり前のように目の前で繰り広げられる会話に目を丸くする。
いきなりでついていけないが、ジムってことは……

「あんた、もしかしてジムリーダーなんですか?」

「ああ、ごめんなさい。自己紹介がまだだったね。アタシはフウロ。ここ、フキヨセシティのジムリーダーです」

少し改まって名乗り、フウロさんはよろしくねと手を差し出してくる。
まさかこんなところでジムリーダーに会うとは思わなかった。アララギ博士の親父さんに出会ったことより驚きは少ないが、それでもびっくりはしていて、どうも、と握手を返すくらいのことしかできなかった。

「可愛いスワンナね」

と、フウロさんはオレの後ろでマイペースに羽繕いをしているアルを見やる。青空のような瞳には優しさだけでなく、こっちの実力を測るような鋭さもあって、この人も今まで出会ったジムリーダーと同じように手強い相手になるんだろうと予感させた。

「ではな、フウロくん。またなにかあったら頼むぞ」

アララギ博士の親父さんはフウロさんの方に顔を向け、朗らかに笑った。
けれど、フウロさんはさっきまでの笑みを引っ込めて、むっと唇を尖らせる。

「……博士、アタシの飛行機は貨物機です! 運ぶのは荷物で人は乗せないんですよ。しかも行き先はカントーとかシンオウとか軽く言っちゃって!」

「おいおい、かわいい顔してそんな固いことを言うな。人間は助け合い、ポケモンとも助け合いだ! それでは諸君、また会おうぞ!」

詰め寄るフウロさんに対して宥めるように苦笑し、アララギ博士の親父さんは軽く手を振ってポケモンセンターへと続く道に足を向けた。
そのまま去っていく背中を睨み、フウロさんは頬を膨らませる。

「……もッ! あんないいかげんな感じなのに世界的なポケモン博士って、いまだに信じられない」

事情はよくわからないが、フウロさんはアララギ博士の親父さんに色々無茶振りされているようだ。だから、最初アララギ博士の親父さんに険しい目を向けていたのか。また面倒事を頼まれるとでも思ったのかもしれない。
アララギ博士も強引なところがあるけど、あれは親父さん譲りだったんだな。

フウロさんはひとしきり地団駄を踏むと、「さてと、ミスミさん!」と笑みを浮かべて振り返った。切り替えはやいな。

「ジムに挑戦してくれたらジムリーダーとしてもすごく嬉しいんだけど、アタシ、その前にやるべきことがあるの。さっき貨物機を操縦していた時、タワーオブヘブンの天辺になにかみえたのね。きっと弱ったポケモンだと思うの! だとしたらほうっておけないでしょ? だから先に調べさせてね。ということで、7番道路のタワーオブヘブンに行くんだけど、よければアナタも来てね」

フウロさんは早口で捲し立てると、こっちの返事も聞かずにモンスターボールを地面に投げ、現れたスワンナ――アルより一回り以上でかい――に乗って素早く空へと羽ばたいていった。
アララギ博士の親父さんに振り回されているみたいだが、なんだかんだあの人もアララギ一族と同類なんじゃ……。
なんて考えが頭を過りつつも、フウロさんの言葉に気になるものがあって、思考はすぐにそっちにいった。

タワーオブヘブンの天辺に、弱ったポケモンか……。

ジムリーダーのフウロさんが向かったんだから、オレにできることはなにもない。
それでも、聞いた以上はこのまま放っておくのも気が咎めた。

「アル」

「クォーン」

名前を呼ぶと、よしきた、とばかりにアルは背中を向けた。その背中に乗ると、翼を広げてアルが飛び立つ。
落ちないようアルの首に腕を回し、あっちだ、とフウロさんが飛び立っていった方を指さすと、気遣ってくれてるのか単に重いのか、1匹で飛ぶ時よりはゆっくりと前に進んでいった。
向かう先には高い塔が見える。他に高い建物もないし、あれがタワーオブヘブンだろう。

アルに乗って飛ぶのはこれで2回目だが、とくに危なげなく空を進んでいく。もうすっかり空を飛ぶことにも慣れたみたいだ。
生い茂った緑の草木を見下ろしながら進んでいけば、背の高い石造りの塔が迫る。その天辺に向かってアルは羽ばたいた。

タワーオブヘブンを見るのはこれがはじめてだが、話には聞いたことがある。
生涯を終えたポケモンが眠る場所。ポケモンの墓地。
だからだろうか、外観からも静謐な空気が漂っていた。

そうして辿り着いた塔の天辺には大きな鐘だけがあった。その前にフウロさんが立っている。
フウロさんはなにかを抱えているようだった。あれが傷ついたポケモンだろうか。フウロさんの腕の間から灰色の羽根が見えるから、恐らくマメパトだろう。
フウロさんがそっとマメパトを頭上に掲げる。すると、マメパトは羽ばたき、すぐに空へと羽ばたいていった。

「今のが、さっき言ってた弱ったポケモンですか?」

声をかけると、フウロさんはちょっと肩を跳ねさせて振り返った。

「来てくれたんだ、ありがとう。さっきの子、やっぱり怪我をして弱っていたみたい。だけど、もう大丈夫よ! げんきのかたまりを使ってあげたら、元気になって飛んでいったの! ウフフ! すごく視力がいいでしょ! パイロットの目はどんなに遠くでも見えちゃうのよ!」

マメパトが飛んでいった方を見やり、フウロさんは誇らしげな笑みを浮かべた。
アルもマメパトの方を見て、ほっと表情を緩める。アルも飛行中に怪我をして、そのトラウマで飛べなくなっていたから、マメパトのことを心配していたのかもしれない。
オレも「元気になったんならよかった」と胸を撫で下ろした。やっぱりオレが来る意味はなかったが、なにごともないならそれが一番だ。

「そうだ! せっかく来たんだし、あの鐘を鳴らしたらどう?」

いいことを思いついた、という顔でフウロさんは大きな鐘を指し示す。
突然のことに戸惑い、オレは目を瞬かせてフウロさんを見つめ返した。

「鐘って、勝手に鳴らしていいんですか?」

「ええ、遠慮しないでいいのよ。タワーオブヘブンの鐘の音はポケモンの魂を鎮めるの。だから、ここに訪れた人はみんな祈りを込めて鐘を鳴らすのよ。それにね、この鐘は鳴らす人の心根が音色に反映されるの。せっかくだから、アナタの音色を聴いてみたいな」

「それなら、せっかくだし」

興味はあったから、そこまで言うならと鐘のもとへ進む。
綺麗な鐘だ。長年雨風に晒されているはずだが、そうは見えない。きっと大切に手入れされているんだろう。
そっと鐘の紐を手にとる。
ポケモンの魂を鎮める鐘か……。
頭に浮かぶのは、オレが死なせてしまったムーランドのランの姿。あいつの亡骸はカノコの森に埋葬したからここには眠ってないけれど、それでも、この鐘の音が天に届くなら、ランのもとにも届いているといい。
そう祈りながら、オレは鐘を鳴らした。

辺りに鐘の音が響く。波紋がゆっくりと空に広がっていくように。
大きな音だが、不思議と耳に心地いい。さざ波のように空気を震わせるその音は、聴いていると確かに心が静まっていくような気がした。

「優しい音色……」

ぽつりと呟かれた声に振り返ると、フウロさんが耳を澄ますように目を閉じていた。
その目蓋がそっと開かれる。その瞳は穏やかに笑っているのに、すべて見透かされるんじゃないかと思うくらい澄んでいた。

「でも、ちょっと籠ってる。いったい、なにをそんなに怖がっているのかな?」

吸い込まれそうなくらい青い空のような瞳に見据えられて、息を呑む。

「なんで……」

「鳥ポケモンってね、産まれる時は卵の内側から嘴でつついて殻を破るんだけど、アナタの音は殻に穴を開けたのに、そこから外を眺めるだけで殻を被ったままでいるような、そんな音だったから」

フウロさんの声は穏やかで優しくて、心の柔らかい部分をそっと掴まれたような気がした。

「……気のせいじゃないですか」

思わず目を逸らす。なんとか絞り出した声は自分でも呆れるくらい弱々しく掠れていて、逆に肯定しているようなものだった。
なにを恐れているのかなんて、そんなの自分が一番わかってる。あの零れていく生暖かな血の感触と匂いを忘れられたことなんかない。
それのなにが悪いって言うんだ!

きつく拳を握って石畳を睨む。
すると、ふっと笑う気配がしてオレは少しだけ顔を上げた。

「アナタはきっと弱い人ではないんだろうね」

「……はっ?」

「無遠慮に訊いてしまってごめんなさい。誰にだって触れられたくないことはあるのに」

素直に頭を下げられて、毒気が抜かれる。
そうなると謝罪を受け入れないわけにもいかず、「べつにいいですけど」と零せば、フウロさんは顔を上げてほっと息を吐いた。

「よかったら、ジムにも来てくださいね! 大歓迎しますから!」

大きく手を振ると、フウロさんはまたボールから出したスワンナに乗って空へと羽ばたいていった。
prev * 1/2 * next
- ナノ -