ただ一つ確かなもの
ホドモエシティから西に進むと、清涼な小川と新緑が生い茂る木立に囲まれた6番道路に出る。ヒウンシティ、ライモンシティ、ホドモエシティとこれまで通ってきた賑やかな都会とは打って変わって、見渡すかぎり瑞々しい緑が辺りを覆っていた。
ぱっと見自然に溢れているが、道路と名がついているだけあって適度に舗装はされていて歩きやすい。穏やかなせせらぎと葉擦れの音が心地よく、ハイキングにはぴったりな場所だった。
急げば今日中にフキヨセシティに辿り着けそうだが、せっかく天気もいいし、今日はこの辺を散策して電気石の洞穴の手前で野宿するか。

「今日はゆっくり行こうぜ」

一緒に歩くポケモンたちに伝えると、ジャノビーのタージャ、ハーデリアのリク、コアルヒーのアルは素直に――タージャは自分が光合成したいだけだろうが――頷いた。
だが、モグリューのグリとヒトモシのユラを背に乗せたゼブライカのシーマは、

「ヒイィィン!」

何故か楽しげに嘶きを上げて駆け出した。

「待て待て待て!」

慌ててシーマのあとを追いかける。だが、軽やかに地を蹴るゼブライカに人間の脚力で追いつけるはずがない。
とにかくオレは声を張り上げた。

「待てこら、シーマ! ゆっくりって言った途端に走るんじゃねえよ! グリも囃し立てんな!」

走るシーマとその背の上でいけいけー! とばかりに腕を振り上げるグリに向かってオレは精一杯怒鳴った。頼むから言うことを聞いてくれ。

一緒に背に乗ったユラもしぃしぃと鳴いているが、そっちは焦ったような声色からして止めようとしてくれているのだろう。
ありがとう、ユラ。お前はいい子だ。

それから100メートルくらい駆け抜けて、ようやくオレとユラの声が届いたのか、シーマは足を止めた。こっちを振り返って、なんかあった? と言いたげな顔で首を傾げる。
ありまくりだ、と怒鳴りたくなったが、その顔を見ていたら毒気が抜かれた。いきなり全力疾走させられたせいで――100メートルの自己ベストを更新できたんじゃないだろうか――息切れしていたのもあって、「置いてくな」とシーマとグリの頭を軽く小突くだけにしておいた。

「頼むから、急にどっかいくなよ。はぐれたら困るだろ」

シーマもグリもわかっているのかいないのか微妙な顔だが、オレの顔を見てはくれているから一応聞いてはいるのだろう。
そう信じてオレはその場に座り込んだ。

バッグから取り出したおいしい水をあおる。と、一緒にシーマを追いかけてくれたリクとシーマの背から降りたユラが心配そうに寄ってきた。癒される。
「大丈夫だ。ありがとな」と撫でてやれば、2匹ともほっとしたような顔をした。

そうこうしているうちに、この騒動の中でもゆったりと歩を進めていたタージャとアルも追いついた。
アルはマイペースなだけだが、タージャは巻き込まれたくなかったんだろうな。手伝ってくれよ、と目で訴えるが、すげなく目を逸らされた。

そこで少し休憩してから、また6番道路をゆっくりと進んでいく。
今度はシーマとグリも比較的大人しかった。野生のポケモンに襲いかかられた時は血気盛んに迎え撃ったが、それで多少満足したのか、誰彼構わず見かけたポケモンに攻撃することはない。今も向こう岸で川の水を飲んでいるシキジカとメブキジカの群れを興味なさそうに眺めているだけだった。いいことだ。

メブキジカの角に生い茂った新緑が、風に揺れてさやさやと鳴っている。
道中にあった季節研究所で教えてもらったことだが、シキジカとメブキジカは季節によって姿が変わるらしい。今目の前にいる若葉色の体毛を持つシキジカと、新緑が生い茂った角のメブキジカは夏にしか見られないものだそうだ。確かに鮮やかな緑は夏らしく爽やかだ。

旅立ったのは春だったのにもう夏になるんだと思うと、時間の早さに少し驚く。それでもまだイッシュの半分も旅できていない。イッシュだけでこれなら、世界中を旅するのには何年かかるんだろうか。
その広大さに妙にわくわくした。

高揚した気持ちのまま、たまに野生のポケモンや他のトレーナーとバトルしながら進んでいくと、川辺にぽつんと一軒家が建っていた。
こんな人里離れた場所に住んでいる人がいるとは思わなくて、ちょっと目を丸くする。
なんとなく近付くと、家の前に立っていたじいさん――多分この家の住民だろう――に声をかけられた。

「旅のトレーナーかい?」

「ああ、はい」

「電気石の洞穴に行くつもりなら、やめておいた方がいい。デンチュラが入り口に巣をつくってしまってな。ホドモエには連絡したから、明日にはヤーコンさんがどうにかしてくれるだろうが」

「そうなんですか。わざわざどうも」

もともと今日はこの辺で野宿するつもりだっから、ちょうどいいな。
予定通り、夕方まで散策してよう。

「なら、フキヨセの洞穴に行ってみてはどうだ?」

頭の中で考えていただけのつもりだったが、声にでていたらしい。
ちょっときまりが悪いが、じいさんの提案には興味が惹かれた。

「フキヨセの洞穴?」

「この川を上った先にある洞穴だよ。その奥には大昔イッシュのポケモンを火の海から守ったと言われる伝説のポケモン――コバルオンがいるそうだ」

伝説のポケモン、か。はじめて聞く話だが、なんかすごそうだな。

「じゃあ、せっかくだし行ってみます」


******


アルの“なみのり”で川を上っていくと、大きな洞穴の入り口が見えた。あれがフキヨセの洞穴だろう。
近くの岸に上がり、お疲れさん、とここまで連れてきてくれたアルにハートスイーツをやる。アルは嬉しそうにハートスイーツを頬張った。

大口を開けた洞穴の先には、すべてを呑み込みそうな暗闇が続いていた。明かりがないと進むのは難しそうだ。
川を渡るためにボールに戻していたポケモンたちをまた外に出し、シーマに“フラッシュ”を指示する。シーマの身体全体がライトのように明るい光を放ち、辺りの暗闇を払った。よし、これならいけるな。

「“フラッシュ”で照らせる範囲はそんな広くねえから、はぐれないように気を付けろよ」

ポケモンたち、とくにグリに向かって注意する。わかってるって、とでも言いたげな顔をしているが、本当にわかっているんだろうか。
なるべくグリから目を離さないようにしよう。

洞穴の中は暗く、しかも入り組んでいるようだったから、簡単にだがマッピングしながら進んでいくことにした。
メモ帳にペンを走らせながら、こまめにポケモンたちの様子を窺ってゆっくりと奥に向かっていく。

ポケモンと自然の力で掘られたのであろう洞穴は不規則にごつごつとした岩肌に囲われていた。川が近いからか湿った空気が漂っている。外よりもひんやりとしていて、夏だというのに少し肌寒いくらいだった。
伝説のポケモンがいると言われている洞穴だが、見たところ変わった点はない。時々暗闇から現れるポケモンも、コロモリやガントルといった洞穴ではお馴染みのやつらばかりだった。はじめて見たのはキバコという小さなドラゴンポケモンくらいだ。
洞穴探検自体は楽しいが、ちょっと拍子抜けだな。

なんて、余裕ぶっこいていたせいだろうか。
奥へ奥へと進み、突き当たりで引き返して分岐点まで戻ったところで、来た道も現在地もわからなくなってしまった。
一応メモはとっていたが、これといった目印がないからわかりにくい。ポケモンたちに頼ってみるが、こいつらにもお手上げみたいだった。
リクの鼻でも難しいらしく、しょんぼりと耳が垂れてしまう。よしよしと頭を撫でて慰めてやると、アルとユラも真似してリクの背を撫でた。

なんとかしろとばかりにタージャに蔓で叩かれ――お前もなんとかしようという気概を見せろよ――仕方なく、自力でマッピングしてつくった地図に視線を落とす。指で線をなぞりながら、頭の中で来た道を辿った。

「えっと、ここを右に曲がって、次は……」

と、グリがぴょんっと肩に跳び乗ってきた。重い。

「グリ、今は遊んでる場合じゃねえから」

「ぐりゅ!」

下ろそうとするが、グリは暴れて鋭い爪を振る。ぶんぶんと勢いよく空を切った爪が、自作の地図に振り下ろされた。
びりっと音を立てて地図が破れる。
一部分だけとはいえ穴の空いた地図に、思わず悲痛な声が漏れた。
せっかく苦労してつくったってのに!

「グリ!」

「ぐりゅう!」

なのに、何故か得意気に胸を張るグリに腹が立つ。わざとじゃないならまだ許せるが、これはだめだ。こっちは必死だってのに。

「邪魔すんじゃねえ!」

堪えきれず怒鳴り、乱雑にグリを肩から引き剥がす。驚いたような叫び声が聞こえたが、知るか。
ああ、くそ。この地図まだ使えるか?
乱暴に頭を掻いてじっと地図を見つめる。ポケモンたちがなにか騒いでいるが、どうせグリが駄々を捏ねているだけだろう。無視だ無視。

だが、その時

「ヒイィィン!」

嘶きとともに背中に衝撃がきた。あまりの不意打ちにろくな受け身もとれず、硬い地面に倒れてしまう。痛みに呻きながら振り返ると、シーマが目を怒らせてオレを見下ろしていた。

「なにすんだよ!」

わけがわからず、かっとなって怒鳴ると、シーマが苛立たしげに唸りながら地面を蹴った。リクが間に入って、シーマを押し留めようとする。
シーマまでいったいなんなんだ!
急に攻撃される覚えはねえぞ!

「グリ! シーマ!」

今日という今日はみっちり説教してやる。
そう意気込んで立ち上がった時、「クアクア」とアルが嘴で裾を引っ張ってきた。

「今度はなんだよ」

「クア」

こっち、とばかりアルが嘴を向けた先を見やると、心配そうな顔のユラと呆れ顔のタージャが地面に空いた穴を見ていた。つい最近掘られたばかりなのか、穴の周りにはこんもりと土が盛られている。
こんな穴、さっきまでなかったような……あっ!?

さっと辺りを見回す。
1、2、3、4、5……やっぱり足りねえ!
ユラとタージャは穴を見てる。アルは足元にいる。シーマは何故か怒っていて、リクはそんなシーマを宥めようとしていた。
だが、1匹だけ――グリだけがどこにもいない。
まさか、あいつ、穴を掘ってどっかに行きやがったのか!?

「グリのやつ、また勝手にぎゃっ!?」

悪態をついた途端、またシーマに突き飛ばされた。しかも、何故かタージャまで便乗して後頭部を蔓でぶっ叩いてきやがる。
まじでなんなんだよ!

「しぃ」

その時、ユラがメモ帳――いつの間にか落としていたらしい――を差し出してきた。手書きの地図のページを開き、グリが破ったところを示す。

「それがどうかしたのか?」

「しぃしぃ」

ゆっくりとユラが小さな手で地図をなぞる。なにを言いたいのかわからず首を傾げると、もどかしそうに身体をゆすったが、根気よく何度も同じように地図をなぞり続けた。
ユラの頭で穏やかに揺れる炎のおかげだろうか。血が上っていた頭がだんだん冷えて、ユラが示す道筋が見えてくる。
そして、ふと気付いた。グリが穴を空けたこの場所は――

「これ、もしかして現在地か……?」

「しぃ」

ほっとしたような顔でユラが頷いた。
これが現在地だとすると、まさか、あいつは、

「グリは道を教えようとしてくれてた……?」

「しぃ」

ユラが大きく頷き、やっとわかったかとばかりにシーマも嘶く。
グリはちゃんと手伝おうとしてくれてたのに、勘違いしたオレが怒鳴ったせいでいなくなっちまったのか?
ようやく状況がわかり、さっと血の気が引いた。

「グリ、オレが悪かった! 戻ってきてくれ!」

穴に向かって大声で謝る。だが、聞こえていないのか、無視されたのか、一向に返事はなかった。

「リク、グリがどこに行ったかわからないか?」

「くぅん」

尻尾を下げて、リクは首を横に振った。穴の中の匂いは辿りづらいんだろう。
縋るように他のポケモンたちにも目をやるが、結果は同じだ。シーマには噛みつかんばかりの勢いで怒られた。

どうすればいい。こんな暗闇の洞穴で、手分けして探すのは無理だ。だからって、闇雲に探して見つかるとも思えねえし。
グリが戻ってくるのを待ってみる?
いや、戻ってきてくれるとは限らねえしな。
くそ、どうすりゃいい。とにかく探してみるしかないのか?

どうしようもなく途方に暮れた時だった。
バッグからなにかが零れ落ちた。重い音を立てて地面に落ちたのは古代の城で見つけた白い石だ。グリが見つけ、妙に気に入っていた石。
その石が暗闇に向かって転がっていく。

それを見た瞬間、何故かあの石の向かう先にグリがいるような気がした。
普段なら、そんなスピリチュアルなこと考えもしない。多分、オレは今どうかしている。
なにかに呼ばれるように、突き動かされるように白い石を追いかけた。
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