理想的数式の集合
「じいさん! あんたが育て屋ってのは知っているんだ! なんたって、オレたちプラズマ団だからさ!」
「オレたち、人のポケモン奪ってんだよ。育て屋といったら、いろんなポケモン預かってんだろ? それをオレらによこせよ!」
ゲートを抜け、ようやくライモンシティに辿り着いたオレを迎えてくれたのは、キラキラした電飾でも遊園地のパレードでもなく、 ピカピカと頭を光らせたじいさんを襲うてるてる坊主みたいな格好をした2人組だった。
てるてる坊主――正式名称プラズマ団の男たちはチンピラのようにじいさんを取り囲んでいる。じいさんは「なんというムチャを!」と抵抗するが、流石にただの老人じゃ青年2人に敵わず、いやらしい笑みを浮かべたやつらに腕を掴まれただけだった。
プラズマ団の事件に遭遇するのは、これでいったい何度目だろうな。いい加減飽き飽きしてきた。
とはいえ、じいさんを見捨てていくのは忍びない。まだ気付かれてないみたいだし、今のうちに警察を呼ぶか。
と、ライブキャスターを起動させたところで、偶然にもじいさんと目が合ってしまった。
「おお! 強そうなトレーナーさん、助けておくれ!」
「げっ」
じいさんはプラズマ団の手を振りほどき、盾にするようにオレの背後に回った。当然、プラズマ団も振り返って、オレを睨んでくる。
くそっ、また巻き込まれた。
「ジャマだてするなら、オマエのポケモンを奪うぜ!」
プラズマ団の1人がモンスターボールを取り出した。
だが、それが投げられる前にオレの腰につけたモンスターボールからシママのシーマとモグリューのグリが勝手に飛び出した。シーマが“ほうでん”で電気を撒き散らしながらプラズマ団に突撃し、その背に乗ったグリがプラズマ団たちの顔を鋭い爪でひっかく。プラズマ団たちは悲鳴を上げて飛び退った。
「プラーズマー! うひゃあ!!」
「なんだコイツ! ひとまず逃げるとするか! 遊園地でやり過ごそう!」
プラズマ団たちはよろめくように逃げ出し、大きなゲート――恐らくは遊園地の入り口――をくぐっていった。
よかった、今回はあっさり終わったな。あとは警察に報告だけして……なんて、甘いことを考えた時だった。
「ヒイイン!」
「ぐーりゅー!」
グリを乗せたシーマがそれはそれは楽しそうにプラズマ団が逃げていった方へ駆け出した。
「シーマ、グリ、待て!」
待てと言われて待つようなやつらではない。シーマたちは一目散にプラズマ団を追いかけ、今にも人混みに紛れて見えなくなりそうだった。
ああ、くそ。油断した。あのトラブルメーカー共め。
「じいさん、あとは他のやつを頼ってくれ」
「ああ、ありがとよ!」
じいさんの感謝を背中に受け、オレはシーマたちを追って遊園地に足を踏み入れた。
遊園地の中は人とポケモンでごった返していて、すぐにプラズマ団の姿もグリとシーマの姿も雑踏に紛れてしまった。
人の悲鳴を辿ろうにも、ジェットコースターから上がる悲鳴や、マスコットキャラクターやピエロのパフォーマンスに対する歓喜の悲鳴なんかがあらゆる場所で響いていて、どれがプラズマ団たちに対する悲鳴なのか判別がつかない。オレにできることは、とにかくあいつらが向かった方向に走ることだけだった。
「シーマー! グリー!」
2匹の名前を呼ぶが、すぐに遊園地の喧噪に呑み込まれていく。いつもならわくわくする軽快な音楽も人々のはしゃぎ声も、今は邪魔でしかなかった。
とにかく2匹を探して走り回るが、それらしい姿も見つからない。あんだけ目立つ格好してるんだから、すぐに見つけられると思ったんだけどな。
長い間全力疾走もできず、オレは大きなピカチュウのバルーンが見えた辺りでスピードを緩め、辺りを見回した。親子連れ、少年少女の集団、カップル、様々な人がポケモンとともに歩いているが、その中にシーマとグリはいなかった。プラズマ団を追いかけて、もっと奥に行ってしまったんだろうか。
きょろきょろしながら、駆け足で前に進む。
と、突然目の前に人影が立ち塞がった。
ぶつかりそうになって、慌てて足を止める。文句を言おうと見上げると、灰青の瞳とかち合った。
「N……!?」
少し跳ねた長い緑の髪、青白い肌、そしてなによりもこの仄暗い瞳は、旅の途中で何度も会った奇妙な青年のもので間違いない。
Nはオレを見下ろし、かすかに口角を上げた。
「プラズマ団を探しているんだろう?」
「……なんで、お前がそれを知ってるんだ?」
正確にはプラズマ団ではなくプラズマ団を追いかけていったシーマとグリだが、どちらにしろ、こいつがそれを知ってるのはおかしいだろ。
まさか、どこかで見てたのか?
それとも、またポケモンの声のおかげか?
「カレらは遊園地の奥に逃げていったよ。ついてきたまえ」
Nはオレの質問には答えず、背を向けて歩き出した。
そうだよな。こいつがオレの話を聞くわけないよな。
信用も信頼もしてないが、同じ方向には行こうとしていたから、早足で歩いてNを抜いてやる。だが、Nはすぐに追いついてオレの隣に並びやがった。くそ、コンパスの差か。
今回はなにが目的なんだ。こいつもプラズマ団を追ってるのか? 同じポケモンの解放を主張しているとはいえ、そのためならポケモンを痛めつけることも厭わないプラズマ団は、ただでさえ人間嫌いのこいつが最も嫌う人種だろうし、ありえない話でもないが。
それとも、まさかとは思うが、この前の恩返しのつもりか? そんな殊勝なことをする性格にはまったく見えねえけど。
……そういや、こいつに会ったらしようと思ってたことがあったんだった。
オレは歩きながら腰につけたモンスターボールを1つ手にとり、開閉ボタンを押した。腕の中にヒトモシのユラが現れる。
「こいつ、一応怪我は治ったぞ」
Nが立ち止まったから、オレも立ち止まってやった。ユラがNを見上げる。Nは優しげに目を細めた。
「元気そうでよかった」
ユラはなんの反応も返さなかった。無視しているというよりは、戸惑っているようだ。腕の中でかすかに身を捩られた。
そうか、あの時は気絶してたから覚えてないのか。
「ユラ、こいつがお前のことを助けたんだぞ」
教えてやると、ユラは慌てて頭――ほぼ全身だが――を下げた。
「キミが無事なら構わないよ」
Nが青白い炎がゆらゆらと灯る頭をそっと撫でる。ユラは気持ちよさそうに少しだけ目を細めた。
こいつは本当にポケモンと関わってる時だけはまともに見えるな。それ以外の言動が怪しすぎて完全に信用はできねえけど。
「解放しろって、言わないんだな」
「今はいい。ボクも見極めたいからね」
今は、ってことは、あとで文句つける気か。それはそれで面倒くせえ。
ユラを腕に抱えたまま、オレたちはまた歩き出した。ユラにも手伝ってもらいながら、シーマとグリを探す。
しばらくして、遊園地の奥にある観覧車の前に辿り着いた。中央でショーをやっているからか、他と比べると人気がない。
ここで行き止まりだが、まだらな人影を見回してみても、シーマもグリも、プラズマ団すらも見つからなかった。
「……いないね」
淡々とNが呟いた。
ここにいないってことは、柵を乗り越えて外に出たか、途中で別の方向に曲がったか。オレの2倍もありそうな柵を簡単に越えられるとは思えねえし、後者の線が妥当か。
「N、あっちを――」
「観覧車に乗って探すことにしよう」
Nは観覧車を見上げて当然のように言い放った。
オレは思わず「はあ?」と素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お前、頭大丈夫か?」
「怪我なら完治したよ。その後、異常もない」
「それはよかった。けど、そうじゃねえよ。お前な、よく考えてみろ。観覧車じゃ、見つけられてもすぐには追いかけられねえだろ。降りるまでの間に、また見失ったらどうする気だ」
Nは考え込むように顎を撫でた。考えなくてもわかるだろ。呆れてため息がでる。
だが、次にNの口から発せられた言葉は、軽々とオレの予想の斜め上をいくものだった。
「ボクは観覧車が大好きなんだ」
「はあ?」
また素っ頓狂な声が出た。
だが、Nは気にせず話を続けた。
「あの円運動……力学……美しい数式の集まり……」
うっとりした顔で観覧車を見つめて語る。声にはやけに熱が籠っていた。
なるほど、つまりだ。
「お前が乗りたいだけか!」
だったら1人で乗ってろ、とオレはユラを抱いたまま踵を返した。そんなことにつき合ってられるか。オレはシーマとグリを探すので忙しいんだ。
なのに、がしっと腕を掴んで引き止められた。あのもやしみたいな身体のどこにそんな力があるのか、ずるずると引き摺られそうになる。オレは必死にその場で踏ん張った。
「やーめーろっ! はーなーせっ! なんでオレを巻き込むんだ!?」
「あの観覧車は2人でないと乗れないんだ」
「お前、そのためにオレを連れてきたのか!」
プラズマ団はただの口実かよ。目的がくだらなさすぎて、うっかり脱力しかけたわ!
なんとかNの手を振りほどこうと暴れてみる。この野郎、思いっきり掴みやがって。食い込んでいてえんだよ。
だが、オレはすぐに抵抗をやめることになった。Nに絆されたからじゃない。ユラが興味深そうに観覧車を見上げていることに気付いたからだ。
ユラがなにか興味を持つなんて、はじめてじゃないだろうか。乗ってみたいっていうんなら、叶えてやりてえな。今はシーマとグリを探すのが先決だから、その後になるけど。ちょうど観覧車に乗りたがってるやつが、ここにもう1人いるし。
そんなことを考えていると、
「はい、お足元にお気を付けてお乗りください」
いつの間にか乗り場まで連れてこられていた。この野郎、ひとがちょっとぼーっとしてる隙に。
腕を引っ張られて観覧車に乗せられる。背後でガシャンと無情な音を立てて扉が閉まり、オレはなんでもないような顔で椅子に腰を下ろすNを睨んだ。
「オレの話も少しは聞けよ」
Nはどこ吹く風で窓の外に目を向けた。お前の耳は飾りか。それとも、ポケモンの声しか聞こえないのか。
仕方なくオレも椅子に座り、ユラを窓際に下ろした。
「なにか見つけたら、教えてくれよ」
ユラは頷いて窓に張り付いた。ゆっくりと観覧車が昇っていき、景色が上から下に流れていく。少しずつ小さくなっていく人と建物をユラは目を大きくして見つめていた。
上へ上へと観覧車は昇っていく。
目を凝らして離れていく地面と蠢く雑踏を見回していると、ユラが声を上げた。
「どうした?」
「シィ」
ユラが指さす先に、モグリューを背に乗せて駆け回るシママがいた。絶対にグリとシーマだ。少し視線を滑らすと、シーマたちに追われるプラズマ団の姿もある。
「でかした、ユラ!」
この高さなら、ジャノビーのタージャの手を借りて降りられないこともない。なんとか追いかけることができそうだ。
「ユラ、“サイコキネシス”で扉のロックを開けてくれ」
ユラは頷き、真剣な顔で扉に向き合った。ユラの瞳に怪しい光が宿る。
その時、窓の外に古代の壁画にでも描かれていそうな鳥ポケモンが現れた。古代の城で見たことがある。確か、シンボラーとかいうポケモンだ。それが、なんでこんなところに。
首を捻った瞬間、シンボラーが羽ばたき、ユラが弾かれたように後ろに飛んだ。ゴンドラの壁に叩きつけられて、悲鳴を上げる。「ユラ!」と咄嗟に名前を呼ぶと呻くような返事はあったが、ぐったりと床に倒れて起き上がれないようだった。
このシンボラーの仕業か? まさか、こいつ、プラズマ団のポケモンか?
「すまない」
ふいにNが床に膝をつき、労わるようにユラに触れた。痛ましげに目を伏せ、そっとユラの身体を撫でる。次第にユラの顔が安らいでいった。
ただそれだけの光景が、何故か妙に不可思議で、オレは言葉もなく見ていることしかできなかった。
ユラを椅子に乗せると、Nは立ち上がり、観覧車に貼りつくように同じ速度で上昇するシンボラーを見やった。
「アリガトウ、ボクのトモダチ」
「えっ……?」
今のは、どういうことだ。
今ゴンドラの窓から見えるのは、ゆっくり上から下に流れていく青空と、ユラを攻撃したシンボラーだけで、他にはなにもない。
じゃあ、こいつが礼を言ったのは――。
Nは再び椅子に座り、やけに偉そうな態度でオレを見上げた。
そう、それはまるで、
「最初に言っておくよ。ボクがプラズマ団の王様」
どこかの王様のように。