>> 凪あす
木洩れ日に揺蕩う

そういえば、言ったことなかった気がしますが、タイトルの『木洩れ日に揺蕩う』は『木洩れ日に泳ぐ魚』という小説からとってます。内容は全然関係ないのですが、なんか響きがいいなーと思って。木洩れ日からなんとなく木原家が連想される感じがしますし。この話だと泳ぐって感じじゃないので、揺蕩うにしましたが。


フリリク企画で書いた話ですが、これはリクエストを貰わなかったから書かなかった気がしますね。結構気に入ってるので書けてよかったです。
勇が倒れて、よくも悪くも変化していく日常を考えるのがすごく楽しかった記憶があります。
新婚みたいとからかわれるシーンとか書いててすごく楽しかった。あの時、紡は紡でクラスの男子とすれ違って「お前、ブレザーどうした?」「ボタンがとれかかってたから、今つけ直してもらってる」「できた嫁がいるやつはいいねー」「そういうのじゃない」みたいな会話してたら面白いかもなーと、今ふと思いました。
今まで登下校別だったのが急に一緒にするようになったら「あいつら、とうとう付き合ったのか」と思われてそう。否定しても距離が縮まったのは確かなので絶対になんかあったとは思われてそうだし。

ドラマCDでよかったと思ったことの一つが、ちさきに学校の友達ができていたことなので、清木さんと足立さんをだせたのもよかったですね。紡ちさ過激派ではあるのですが、勇とか学校の友達とか、紡以外にも地上で大切な人が増えていることに安心したので。
ちさきの五年間は大きな悲しみのなかでも小さな喜びを積み重ねていた時間で、それがとても愛しく感じるんですよね。

この話でもそうですが、紡の手に安心するちさきはよく書いてますね。紡に頭を撫でられて「あったかくてとても落ち着く手」と感じているちさきが本当に大好きで。実は凪あすで一番好きなシーンと言っても過言ではないかもしれない。その前におじいちゃんに似てると言ってるとこも好きで、ちさきは紡のことも勇のことも本当に大切なんだなと優しい気持ちになれます。
だから、ワンパターンとは思いながらもついつい書いてしまいますね。
一応、個人的な拘りとしては付き合う前は「手を握る」や「手を繋ぐ」という表現は避けて基本的には「手を掴む」という表現にしています。掌ではなく手首か手の甲辺りを掴んでいるイメージ。手を伸ばせば掴める距離ではあるけれど、それだけというか、まだなにか足りない、そんなもどかしさがでればいいなと。
同じ理由で恋人なら理由なく触れるけど、恋人でないなら普通は理由がなければ触れない、というのも気を付けてるところで、個人的な萌えとしては物理的な接触をさせたくなるけれど、最終回前は触れさせる場合はそれなりの理由をつくっています。そういうもどかしさも紡ちさのよさですよね。
(2024/01/16)
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