贈り物 | ナノ
  四周年記念【紗月様】
【世界と世界が混じり合う】



普段はあまり遠出をしない私が今日に限ってぶらぶらと気の向くままに歩いてみる気になったのは、ここのところぐずついた空模様が続いている中で、久し振りに日光を拝めたからだった。
見上げた空には雲ひとつなくて、楽しげなせせらぎが耳に心地好い川の水面は、まるでいろはのステンドグラスのようにきらきらと瞬いている。何か素敵なことが起きそうな、そんな子供じみた安易な予感に思わず胸を躍らせてしまう程には、本当に申し分のない天候なのだ。まさに散歩日和である。

「何か食事を調達するのもいいかもしれないな。」

独り言ちて、ほんのりと頬を緩ませる。店に入るのではなくて、買ったものを川べりだとか、どこか他の場所で食べる。俗に言うピクニックというやつだ。現代では勿論、この時代に来てからも私には縁遠かった言葉だが、今日は本当に天気がいい。仕事も休みで自由になる時間もたっぷりとあるのだと思えば、何もせずにただ歩いて帰るというのは何だか些か勿体ない気がする。となれば、ピクニックと洒落込むのも中々乙というものだろう。
そう思ってふと視線を辺りに向けると、丁度よく目に飛び込んできたのは古めかしい店構えの一軒の店。だんごと書かれた幟が出ているところを見るに和菓子屋だろうか、興味を引かれて立ち寄ると、

「おや、ご主人。新しいお客さんのようだよ。」

私を出迎えてくれたのは、人の良さそうな初老の店主――ではなく、人目を引く華を持った若い男性だった。着ている服こそ和服だけれど、纏う雰囲気は例えるならば現代人のそれに近いと言ってしまっても過言でないかもしれないその彼は、鷹揚に両手を広げてにこやかに私を店内へと招き入れる。

「余り見ない顔だね、この店は初めてかい?」
「……ああ、たまたま通りかかってな。」
「そうかそうか、それは運の良いお嬢さんだ。この店の団子はとても美味いのだよ。」

予め断っておくと、私とこの目の前の男性はまるっきり赤の他人、今初めて出会ったばかりの人間同士である。それなのこの彼は非常に気安く、否、朗らかに声をかけてくれている訳だが、何だろう、やはりこの時代にしては珍しい雰囲気の男だ。

「ちなみに僕のおすすめはこれなのだがね、」

そう言って微笑みながら私の手を極々自然に取って、店の奥へと誘う――ああ、私は昼間から物の怪達にからかわれているのだろうか?未婚の男女が並んで歩くことにも神経質になることが多いこの時代で、こんなにあっさりと異性と距離を詰める男がいるなんて。いや、例えここが平成の世だとしても、こんなにスマートな男性にはそうそうお目にかかれないだろう。

「どの団子も美味いことに変わりはないのだが、中でもみたらしは絶品なのだ。お嬢さんもぜひとも食べてみてくれたまえ。」

並べられているみたらし団子を指差して言葉を紡ぎつつ、その流れで彼は店主に「みたらしを5本頂こう」と言い付けている。余りに熱心にすすめてくるものだからてっきり売り子か何かかと思っていたのだけれど、どうやら彼も私と同じ客であったようだ。尤も、彼の方はこの店の常連なのだろうが。
みたらしやあんこ、それから醤油で焼いた団子などが並ぶそこで、彼の言う通りにみたらしを買ってみようか、それともと悩むこと暫し。ここがその店かどうか確証はないけれど、明治時代の団子といったら正岡子規や夏目漱石が愛したそれが有名だ。それにちなんでみたらしではなくあんこや醤油にしようか、それとも彼のおすすめであるみたらしにしようか。

「ふむ、悩んでいるようだね。」
「……どれも美味そうだからな。」

正岡子規や森鴎外に憧れてあんこや醤油に惹かれている面もある、と軽率に口走って色々と詮索される面倒を避けたかったがために曖昧にぼかすような物言いになってしまったけれど、これも仕方ない。まさか初対面の相手に、私は未来から来ましたと言えるはずもないのだから。

「それならば、一本ずつ買えばよいではないか。何も無理に一種類と決める必要もあるまい。」
「いや、三本も食べるのは些か厳しいものがあるぞ……。」
「なんと!確かに華奢な見目ではあるが、そこまで少食だとは!」

この男、目を見開く仕草もいちいち大きいが、もしや留学経験でもあるのだろうか。そうだとするなら、このどことなく時代にそぐわない華やかな立ち居振舞いにも納得がいく。等と呑気に思考を巡らせていた私は、再び彼に手を取られぎょっと目を見張る羽目に陥った。さっきから一体何なのだこの男は。

「それならこうしよう。お嬢さんは好きなものを一本買って、残りの二種類は僕が買おうではないか。」
「…………は?」
「そうすれば僕が買った団子をお前に分けてやれるし、全て解決だ。」

思わず瞬きを数回、それから思いきり胡乱な眼差しで彼を見上げてしまった。彼は何を言っているのだろうか。つまりは私に奢ってくれるということなのだろうが、何故?私と彼は何かよしみがある訳でもない、何度も繰り返すようだが全くの赤の他人だというのに。
そんな不信感が顔に出てしまったのだろうか、ふと彼の浮かべる表情がそれまでの笑みとは少し違う、困ったような色を滲ませたものに変わった。伸ばされた手、その行方を目で追えば私の頭の上へと行き着いて、ぽん、ぽん。二度、三度と軽く跳ねるその柔らかな感覚を、どうしてだろう、私は知っているような気がして、ならない。

「はは、そんなに警戒せずともよいではないか。僕はただ、こんな天気の日に気に入りの店で出会えたお前の力になってやりたいだけなのだよ。」
「……何を言っているのだ。」
「そうだなあ、僕は何を言っているのだろう?でもね、僕はどうにもお前とは初めて会った気がしないのだ。」

はて、どこかですれ違っていたことでもあっただろうか。そんな風に呟いて、彼の端整な顔がずい、と近付けられる。ナンパかと突っ込むよりも先に、反射的に後ずさってしまったのが不味かった、ろくに準備もせずにいきなりの動作についていける程私の体が優秀でないことくらい、私が一番よくわかっていることなのに。
ぐらり、足がもつれて体が後方へ傾ぐ。「お客様、!」と焦ったような店主の声が聞こえるけれど、どうせ尻餅をつく程度だろう。恥をかくことは免れないだろうが大怪我を負う訳でもなし、と直に感じるであろう衝撃を受け入れる体勢に入っていた私だったから、

「っな、」
「全く、危なっかしいお嬢さんだ。」

彼の手がいつの間にか背中に回っていたことにも気付かず、呆けたように声を漏らすばかり。先程の比ではない近さで感じる彼の体温と息遣いを、どうしてだろう、やはり私は知っているような気がして、羞恥よりも何よりも、まず最初に込み上げてきたのは懐かしさで。

「す、すまない。支えてくれてありがとう、おかげで助かった。」
「いいや、これくらい何てことはないよ。」

ゆっくりと手が離されて、穏やかに微笑む彼のその顔も、何だか見たことがある気がしてならない。それは何故だろう、彼が現代人に近い雰囲気を持っているから懐かしく感じられるのだろうか、――それとも、或いは。

「さあ、それでは団子を買ってお暇するとしよう。余り長居してしまうのもご主人に申し訳ないからね。」

団子屋の主人から渡された包みには、みたらし団子が一本に、あんこと醤油の団子が一つずつ。結局彼の言葉に甘える形となってしまったことが気になるものの、確かに決して広いとは言えない店内をいつまでも占拠しているのは申し訳ないために一旦外へ出ることにする。店を出たところで、彼にきちんと団子の値段を払えばいい。

「……これはなんだい?」
「すまないな、私は見知らぬ男に借りを作ることをよしとしないのだ。」

そう言って小銭を半ば強引に押し付けると、最初こそ渋る様子を見せていた彼も最終的には受け取ってくれた。その時浮かべていた少々面食らった顔も見覚えがあるような気がするのだから、つくづく不思議な男だと思う。私は、彼と、どこかで会ったことがあるのだろうか。何も思い出せないし、記憶にもないのだけれど。

「そういえば、お前の名を聞いていなかったね。よければ教えてくれるだろうか。」
「ああ、私は文乃篠原だ。君は?」
「篠原か、愛らしい名前だ。僕は森鴎外というのだが、さて、これでお前とはもう見知らぬ間柄ではなくなった、」
「おっと、それでは私はこれで失礼するとしよう。――ではまた、どこかで。」

皆まで言わせずくるりと反転した私の背中に、「ははっ、これは一本取られてしまった」とあっけらかんとした声がかかった。去り際に軽く手を振っては、そういえば、自分は今酷く自然に『また』と言ったのだなと気付いて、何となくこそばゆい心地に襲われる。何か素敵なことが起きそうだと、あの予感は強ち外れでもなかったのかもしれないなんて、抱えた包みから漂う香ばしいにおいに、ゆるりと口元を綻ばせた。



「あの男、森鴎外といった、か…………森、鴎外……!?」


は!?と遅ればせながらとんでもない事実に気付き、慌てて背後を振り返った時には――もう、あの目立つ彼の姿はどこにも見えなかった。



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相互サイト『トランキライザー』様へ、四周年本当におめでとうございます!
今回は、トランキライザー様で連載されている明治東京恋伽の長編『Verweile doch』より、ヒロインの篠原文乃ちゃんと鴎外さんをお借りしました。実際の連載とは違うifの世界、のイメージで書いたつもり、です……!
これからも、トランキライザー様で素敵なお話が読めることを楽しみにしています。本当に四周年おめでとうございます!

細やかながら、お祝いの気持ちを込めて。紗月。
2015.09.05.
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