プルルル

母の携帯が鳴った。

携帯に表示される名前は、私のよく知る人。

母は渋々と、電話に出た。

「もしもし…なんですか」

携帯から微かに漏れる、男の人の声。
私はこの声を、よく知っている。

「もうその話は終わったでしょう…」

母は立ち上がって隣の部屋へと移動した。

その人と顔を合わせなくなって3年あまり。
私は、その人に別れを告げることが出来ないままでいる。

その人は、私が覚えている記憶よりもずっと前から、私の面倒を見てくれた。毎日その人が「いってらっしゃい」と言って私を送り出し、私がその人を「おかえりなさい」と迎えるのが日課だった。

3年前から、その人は夜中に帰ってきて朝早くに出かける生活を繰り返していた。私はその人から「いってらっしゃい」を言われることも「おかえりなさい」と迎えることも無くなった。母が何を言っても、その人はその生活を改めようとしない。
私が電話をして「帰ってこないの」というと、いつもより2時間ほど早く帰ってきて、いつもより30分ほど遅い時間に出かけたのを覚えてる。手土産だったお饅頭は、よく食べる味だったけれどいつもより美味しく感じた。

そしてある日突然、夜中にも帰ってこなくなった。

私は冷える玄関でその人の帰りを待った。でも、ずっと玄関の扉は開かないまま、朝を迎えた。

私はもう帰ってこないのだと思った。
それを信じたくなかった。
だから私は待った。待って3日目にして体調を崩して断念した。

2年ほど前に兄が出先でその人に遭遇したときに、兄と私にと、お小遣いを渡して行った。
お小遣いの入っていた封筒には"ごめんね"と書かれた付箋がついていたのだが、母に見つかって捨てられてしまった。

そしてしばらく、私はその人の存在を心の何処かに投げた。

先日行ったラーメン屋の炒飯が、その人の作る炒飯に似た味がして、その人を思い出して泣きそうになった。心の何処かに投げたその人との記憶が次々と頭に浮かび、目尻が熱くて、必死で涙を堪えた。

そして、今日を迎える。

母の口からは何も語られない。
なぜその人は帰ってこないのか。
なぜ帰ってくるよう促さないのか。
なぜ、私の携帯からその人の電話番号を消したのか。
何も、語られない。

私は、玄関の扉の前に立つ。

あの人が、この扉を潜らなくなってから3年。
いい加減自分でも気付いていた。

でも私は
まだ心の何処かで、

その人の帰りを、待ち続けている。







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