汗ばんだ掌中
アジトに着いて玄関扉を開けて、短い廊下を早足で進み、リビングに続く扉の前で立ち止まった。ここらで一度深く息を吸い込んでゆっくりと吐き出し、ガチャと扉を開けた。全員ではなかったが、始まりのメンバーが揃っているのを見つけて思わず身が固まる。
「おー。遅かったじゃねぇか」
一人掛けのソファに重なるように座るソルベとジェラートが俺に手を振った。膝の上に嫌がる猫を乗せて戯れているホルマジオが俺に声をかけて、リゾットがパラパラと報告書を捲りながら視線を此方に向けた後おかえりと言った。苦い顔をした俺を見逃さなかったのは、ジェラートだった。
「どうした?その顔、何かあった?」
「……」
クリーム色したふわふわの髪が揺れた。ジェラートを抱え込むように座るソルベも同じような視線を俺に向けた。煙草を咥えたまま何も喋らず動かない俺に、ホルマジオとリゾットまでもがその目を向けてきた。
「任務は達成してるんだろう?」
「どっか怪我でもしたのかよ、おめェ」
いって、と猫に引っ掻かれたホルマジオは猫の拘束を解き、再び俺に視線を戻してきた。猫は何処かへと走っていった。居た堪れない。ポケットに両手を突っ込んだまま何も言う事が出来ずに、眉を寄せて皺を作るばかりだった。そんな俺の行動を不審に思った面々を代表するかのように、リゾットが立ち上がり俺に近付いてきた。
「怪我をしたのか?どうした?……おい、喋ってくれなければ分からんだろう」
「……」
「プロシュート」
リゾットを無視している訳では無い。声が聞こえていない訳でも無い。ただなんと言葉を紡げば彼らに真意が伝わるのか、考えあぐねているのだ。下手な言葉では通じない。かと言って長ったらしい説明も俺の性分では無い。奥歯をギシリと噛み締めたその時だった。
「ぷろしゅーと〜、ワタシ腕が限界ダよ〜……」
まるで猫の鳴き声のように、そいつの声は静まり返るリビングにはよく響いた。俺以外の奴全員が警戒態勢に入る。リゾットの瞳が鋭利な刃物のように鋭く尖り俺に説明を求めた。額に手を当てて零れそうになる舌打ちを寸でで止める。
「どういう事だ。プロシュート」
「……」
「その扉の向こうに居るのは、誰だ」
警戒するのは当たり前だ。俺だってそっちの立場にいたらそうする。それが出来ないのは、俺が当事者だからだ。説明の義務がある。理解していても、思うように頭と口が動かないのだ。沈黙を貫く俺に、更なる追い討ちをかけるように奴は喋り続けた。
「コノままじャあヒカリの熱が下ガラナイよ〜。ワタシの腕も限界ね〜。早クそふぁで寝カセてアゲテよ〜ぷろしゅーとォォォ〜……」
「……」
「……え?」
皆まで言われずともその表情だけで彼らが何を言いたいのか理解出来る。目の前で俺に鋭い瞳を向けていたリゾットは毒気が抜かれたように、不思議そうな表情で俺を見ていた。思わず零れた疑問の声に、俺は煙草の煙をふっと吐き出した。
「……ま、マジに誰が居やがるんだ……え?おい……」
「ひ……拾ってきた……とか?」
ホルマジオとジェラートが頬を引き攣らせ、ソルベが眉間に皺を寄せていた。俺も覚悟を決めなければならない。変な抑揚を付けて話すそいつを、これ以上隠してもおけない。
「あー……その、よォ〜……」
けれど説明の為の言葉が思い付かなくて、視線を色々な場所へと泳がせる。スパッと言ってしまえば良い。分かっているのだが、言葉が詰まって出てこない。うだうだと考えるのは性に合わない為、声を上げて頬を掻いた。
「ッ、あぁ〜、めんどくせぇ……!」
「おい、説明しろ」
リゾットが眉を寄せて俺を見つめてくる。赤く光る瞳が俺を捉えて離さない。状況を理解して打開策をとでも思っているのだろうが、見当違いもいいところだ。だって扉の向こうにいる奴は、敵ではないのだから。
「……俺が、よォ……」
任務が終わって向日葵畑に行った所から、と言葉を紡ごうとし時、俺の背中に衝撃が落ちる。
「――ッ、だッッ!?」
「プロシュート……!?」
「もォ〜遅〜イ!ワタシ待チキレナイよォ〜!」
俺の背後にあった扉が勢いよく開いたおかげで、俺の身体は前につんのめった。倒れかかってきた俺を易々と抱き支えるリゾットは目を丸く開いていた。
「てめ……ッ!」
「落チル落チル〜!」
抗議の声が届く前に奴は女を抱えて部屋に侵入してきた。腰を丸めて腕に抱えている女は今にも床に落ちてしまいそうな状態だった。緊迫していた筈の空気は、奴の登場により一瞬にして霧散していった。誰もがポカンと口を開けて呆けている。
「ゴミンね〜こノそふぁ借リルよ〜ゴミンね〜」
「……」
「あ〜ンヒカリ〜、ダイジョブ?辛イ?苦シイ?ユックリ寝テテいいノよ〜」
ぽふんと女をソファに横たえ、奴は床に座り込んで女の額に手を当てていた。頻りに話しかけているのだが、その喋り方に苛立ちが募る。けれどすぐにハッとなって意識を現実へと戻せば、リゾットが攻撃態勢を取ろうとしている所だった。
「ばッ……やめろ!」
「ならば、相応の説明をしてもらおう。話はそれからだ」
「……ッ!」
ゴクリと生唾を飲み込んで、俺はもう一度奴に視線を向けた。心配そうに、けれど慈愛を携えた瞳で女を見つめるそいつは、危険ではないのだ。きっと弱い。俺達の誰にもそいつは敵わない。それでもこの場所に来たかった訳でもあるのだろう。俺にだって説明を求める権利はあるのだ。
能力を発動させようとしていたリゾットの手を掴んだまま、俺は真っ直ぐにリーダーの顔を見つめた。
「……任務の帰りに、拾った」
「……それで?」
「俺の名前もスタンド能力も、チームの事も色々と知ってやがった。……だから連れてきた」
訝しげに首を捻るリゾットとの間に気まずい空気が流れているが、嘘は言っていない。詳細を省いてはいるけれど、概ね事実と変わりはない。今、一番重要なのは敵か、否かだ。
「……な、なぁ、その子……ケガでもしたのか?」
リゾットが真意を図りかねている傍らで、ソファの上から女の顔を覗き込み、彼女のスタンドに声を掛けているホルマジオが居た。不用意に得体の知れないものに近づく性格ではないアイツが近づくと言うことは、いつでもスタンドで攻撃可能だという俺達への意思表示だ。
「違ウよ。チょっト熱が出タダけよ」
「へぇ〜、そうなのか」
ホルマジオの背後から現れ、ソファの影に移動したアイツのスタンドが見える。リゾットが目配せをするだけで、若しくは奴が妙な動きを見せただけで、ホルマジオは簡単に能力を発動するだろう。俺の背中に嫌な汗が流れ落ちたのを感じた。ソルベとジェラートも口を閉ざして状況を冷静に見ている。
「ウん。ヒカリは今、記憶の整理中ナの。ダから『りとる・ふぃーと』で傷ツケテモいいケド、ホンのチょっトよ?ホン〜の、チょっト!」
「……は?」
真っ白な奴は指と指の腹をくっ付けて、「ほんのちょっと」の割合を具体的に示している。それは割合ゼロに等しいじゃねぇかと俺が思っている間に、ホルマジオが驚いた顔をするのは無理もない。此処に居る俺以外の奴は皆、同じような顔をしている。俺を含め誰一人、ホルマジオのスタンド名を声に出していない。それなのに、奴はホルマジオのスタンド名を当然のように口にして、そして能力も知っている風だった。
「てめぇ、なんで……!」
「ん〜デもヒカリが嫌ガル事はシタク無イし〜、デもりーふぃーが能力発動シヤスイ様にシテオクと、りーだーも信ジテクレル?」
「は……!?」
「んンン〜、ワタシ一人ジゃあ決メラレナイよ〜!」
「……おいおいおい、これはさァ〜……」
ヤバいんじゃないの。ジェラートが顔を引き攣らせながら零した言葉は、この場にいる全員の総意だった。誰もが思った筈だ。俺もヤバいと感じたのだから。奴はホルマジオのスタンド名を口にして、そして「リーダー」と言いながらリゾットの方に目を向けた。俺以外の名前は決して出なかった筈のこの場で正確にリーダーと呼んだ奴は、確かにヤバいのだ。
「……きちんと、説明をしてもらおうか」
一歩、リゾットが奴に近付く。リーダーが動くのならとホルマジオはスタンドを引っ込めた。ソルベとジェラートも目の前の状況に注目している。
「ワタシ?」
「……あぁ」
「イよ〜」
殺伐としていた空気は一瞬にして霧散する。奴は物事の重要性を理解しているのだろうか。我らがチームリーダーは暗殺のプロだ。感情のままに殺しはしないだろうが、それでも答えを間違えた場合、奴を待ち受けているのは死だ。
「あッ、ねェねェマズは自己紹介カナ?ねェねェ?ワタシは皆のコト知ッテルけど、皆はワタシのコト知ラナイもンね?ね?」
「……」
俺はリゾットの背後でひっそりと頭を抱えていた事を、奴は知らない。