熱に孕む慈愛
「Chi diavolo sei!? Perché conosci il mio nome!?(てめ〜一体何者なんだ!?何故俺の名前を知ってやがる!?)」
「知ッテルよ〜ワタシ何デモ知ッテルよ〜ふふふフフ〜」
「Brutta sensazione……(気持ち悪ぃぜ……)」
目の前で起きている事が受け入れられない。私は真っ白な人(のようなもの)の腕の中で、金髪が美しく輝く男の人との言い合いを聞いている。
私は向日葵畑の道を走っていたけれど、誰にも会えなくて地面に蹲って泣いていた。そこに声をかけてくれたのが、目の前で顔を歪めている男の人だった。最初、何を話しているのか理解できなかった。英語とは違うその言語に眉を顰めていれば彼も同じような表情をしていた。それでも何かと私に話しかけてくれて、そして彼の口から零れた「Italiano」という単語を拾って、私は漸くこの地がイタリアであることを知った。
「In ogni caso rispondi alla mia domanda. Perché mi conosci?(とにかく、俺の質問に答えろ。何故俺を知っている)」
「ウふふふフフ〜ナイショ〜」
「Il figlio di puttana……!(この野郎……!)」
顔を歪めて彼は拳を握り締めている。私を抱き締めている白い人の飄々とした態度に苛立ちを覚えているようだ。
彼はイタリア人。だから話している言語もイタリア語だ。私は、イタリア語は分からない。けれど何故か彼と話している白い彼の言葉だけは理解出来ている。疑問ばかりが頭に浮かぶ。
『……』
なんで、白い彼の言葉だけは分かるのだろう。イタリア人の彼も言葉を理解しているから言い合いが続くのだろうと思うけれど、ならば白い彼は一体どんな言語を話しているというのだ。日本語でもあり、イタリア語でもあるというのだろうか。余計に混乱してくる頭がズキズキと痛みを訴える。何処かに頭を打った覚えはないのだが。
「トニカクね、助ケてよ」
「……Eh!?(……はぁ!?)」
「ワタシ達、行ク処無イの。助ケて」
「Mi stai leccando……!?(ナメてんのか……!?)」
「オ家に泊メて〜」
何故だろう。意識が朧気になり始めた。瞼の奥が疼いて痛い。目玉を取り出して掻き毟りたくなる。こめかみを抑えてみても治まる気配は無い。段々と脚に力が入らなくなって、身体も怠さを感じるようになった。思わず白い彼に身体を預けた。
「……ぁ、はァ、ッ、は……ハァ……」
「ヒカリ……?」
私の名前を呼ぶ声がする。遠い空の彼方から、深い海の底から、一面の向日葵畑から、誰かが私を呼んでいるような気がする。一瞬止まっていた涙が再び顔を出した。痛い。苦しい。そして悲しい。
白い彼の私を抱き締める腕の力がほんの少し強まった。回された腕が私の肩を寄せる。
「Ehi, quella donna...…(おい、その女……)」
「ダイジョブ。毎回のコトだから」
息が上がる。目を開けていられなくなる。誰かに助けを求めたいのに、誰かが私に助けてと言ってくる。もどかしさから涙はさらに溢れて止まない。
私の頬をするりと撫でて、白い彼は私を抱き締め立ち上がった。
「サ、早クオ家に行コ。ヒカリを休メナキャ」
「Ehi ... ... dannazione!(おい……クソッ!)」
ユラユラと揺籃が揺れている。揺蕩う微睡みが私を深奥へ誘い込み、連れ去ろうとしている。けれど痛みが私を引き止めている。
金髪の彼を置いて白い彼は私を抱えたまま向日葵畑の道を進んだ。少しだけ怖い顔をして、けれど私を見つめる螺旋模様の瞳には慈愛が満ちていた。
▲▼▲
「……」
過ぎ去る景色に目を移すこともなく、チラリとルームミラーで後部座席を確認する。
「んフフ〜たらリラ〜リラ〜」
薄気味悪いものが車に乗っている。俺は思わずため息を零した。なんで得体の知れないものを乗せて運転しているんだ。
女のスタンドだと言った白いあれは、自身の主でもある女を大事そうにその腕に抱えている。その中でぐったりと横たわっている女の体調を気遣う素振りを見せながらも、スタンドは鼻歌を歌っている。
「……おい」
女の浅い呼吸が聞こえる。頬の紅潮から察するに熱を持っているようだが、それにしてもスタンドは冷静だ。「毎回のことだから」と奴は言った。それは女が熱を出すことに対してか、体調を崩すことに対してなのか俺には分からない。俺の事も知っているようだし、なんなら車を置いている場所も知っていた。
「てめぇだよ、おい」
「ン?ワタシ?」
俺が声をかけると、奴は白い顔をキョトンとさせてミラー越しの俺と視線を合わせた。全身真っ白なスタンドなんて見たことも無い。見た目だけなら頭がキレそうな奴という印象を受けるのに、口を開いて喋り出すととても残念な奴だった。
こんな奴がどうして俺の事を知っているのか、それだけは確かめなければならない。チーム内に危険を持ち込む事だけはしない。
「何が目的なんだ。俺の名前を知っていて、車の場所も知ってやがった……予知能力か?てめーの力は」
「違ウよ〜ぶっぶー」
「……」
ぐっとハンドルを握る手に力がこもり、ついアクセルを踏み込む脚に力が入った。唇を尖らせて左右に揺れ楽しげな奴を見るのは腹立たしい。銃を額に突き付けて脅せば白状するのだろうか。
「安全運転ダイジよ〜ぷろしゅーと〜」
「うっせーよ……」
何故あれは馴れ馴れしく俺の名前を何度も口にするのだ。俺は奴の名前さえ知らないと言うのに。けれど悪びれる様子もなくただ幼い子供のような雰囲気を纏う奴に、俺の方が折れてしまった。
はァとため息を吐いて、どうしたものかと考える。白い奴も、そいつが抱えている女も、どちらも得体がしれない。それでも何故か俺はそれらをアジトに運んでいる。危険は無いと俺の勘が告げているが、それだけでチームは信じてくれるだろうか。俺だって信じられないものを、信じてくれるのだろうか。
「くそ……」
信号にかかり車を停めた。コツリと額をハンドルに当てた時、背後から優しさで溢れたような声が俺の耳に届いた。
「ダイジョブ。ワタシが全部説明スルよ。ぷろしゅーとは心配シナイで良イよ。説明は慣レテルの」
「……あ?」
「マたアノ場所から始メルの」
苦しげに息をする女の頭を撫でて、奴は独り言のように言葉を呟いている。心配するなだと?何を訳の分からない事を言っているんだ。追及しようと口を開いた時、信号が変わった。吐きかけた息を飲み込んで、俺は再びアクセルを踏み込む。問いかけの言葉さえ用意出来ていなかったのに、俺はなんて声をかけるつもりだったのだろうか。
「ワタシ皆のコト知ッテルよ。すたんどのコトも、ちーむのコトも、コレカラのコトも、色々」
俺に話しかけているのか、それともただの独り言か。奴はポツポツと言葉を零していく。俺はその波のような抑揚のある声に耳を傾ける。
「ヒカリのコトも、ズット見テキタんだ。ズットね」
奴は女の顔にかかった髪の毛を払う。3本しかない指の内の1本をそっと女の頬に滑らせた。
「チゃンと頑張ルよ。ワタシだってモウ苦シイのは嫌ダよ。逃ゲタイ。でも、ヒカリのコト好キだから、頑張ル。コノ子が笑ッテイラレル世界を目指スの」
「……」
「ソコにはチゃンと、君もイルのよ。ぷろしゅーと」
名前を紡がれて視線だけをミラーに送れば、奴は目を細めて俺を見ていた。狂気さえ感じるその笑顔に、けれど奴は慈愛を込めていた。たかがスタンド如きに俺は何故慈しまれなければならないのだ。そんな物はとうの昔に捨て去ってきたのに。