※死ネタです。苦手な方はご注意下さい。――これは何度目かの、君が居なくなった後の物語。
「栄光は……お前に……あるぞ」
遠くなり霧がかる世界の中で、弟分が戦っている音を耳にした。未だ人を殺した事の無いという珍しい
ママっ子野郎な彼には俺が檄を飛ばしてやらねばと、死にぞこなった男の掠れた声が外に出る。
「やれ…………やるんだ、ペッシ……」
もうあまり力は残されていない。意識を保つのも精一杯だ。もしかしたらコイツの闘いを最後まで見ることは叶わないかもしれない。それでも、と俺はどうにか言葉を絞り紡いだ。
「おれは……おまえを……見守って……いるぜ」
途切れ途切れの俺の言葉は彼に届いただろうか。もう痛みさえ感じなくなってきた。此処が俺の正念場だ。傍にスタンドを出現させて、彼の手助けをしてやる。こんな血塗れで無様な姿だろうと一応は彼の兄貴分なのだから、踏ん張ってやろうじゃあねぇか。
「兄貴が逝っちまう前に兄貴の目の前でよぉぉぉ――」
下がる瞼を無理やり持ち上げて、覚悟を決めた弟を見つけた。なんだ、そんな眼も出来るんじゃねぇか、ペッシよぉ。
「償いはさせるぜぇぇぇェェーーーーッ!!!」
ペッシのスタンド『ビーチ・ボーイ』がしなりを見せた。どうやら漸く俺の言葉は彼に届いたようだ。ブチャラティに向かうペッシを見て少しだけ安堵した。兄貴としてやれる事は此処までだ。呼吸が段々と浅くなる。
「はァ…………」
列車の隙間に収めたぐちゃぐちゃの身体はもう動かないだろう。俺の頭上付近にいる『
偉大なる死』の腕が視界に入った。ふと視線をそこに向ければ幾つもある瞳が全て俺を見ていた。暗殺向きではない能力だとは思うが、命の間際に仲間の手助けが出来るのなら案外コイツも悪くねぇのかもしれない。
「……あぁ、そうだな」
俺の思念体だからか、俺の精神の現れだからか、『ザ・グレイトフル・デッド』の瞳が何を言わんとしているのかが理解出来た。ペッシが俺の為にと闘っている最中、俺の意識は空に向いていた。
「……ようやく、アイツに逢える……」
太陽のように笑って、俺の名前を呼んでくれ。
なぁ、ヒカリ。
▲▼▲
あの女と出逢ったのは、灼熱の太陽がイタリアの地を熱く照らした8月の事だった。それから色々な現実を経て今は俺の隣を歩くようになっている。
「プロシュート。こっち」
「ヒカリ、テメェよ〜……遠慮ってモンを知らねぇのかぁ?」
「non……non sai……Cosa?(何?)」
「……Non è niente.(なんでもねぇ)」
時々思い出されるのが、この女は生粋のイタリア人では無いという事だ。流暢とまではいかないが、ある程度の語学力はあるようで、簡単なイタリア語ならば理解できている。しかしたまにこうして意味が理解できずに聞き返してくる時がある。
首を傾げて俺を見つめるその漆黒の瞳が美しいと、思わず見つめ続けてしまう。
「プロシュート。なんて言ったの?」
「Non importa.(気にすんな)」
ぽんとヒカリの頭に手を置いて先を歩く。あ、と声を上げて俺の後を付いてくる彼女はどこか子犬のようで可愛らしい。追い付いてそっと俺のスーツの裾を摘むその癖も未だに治らない。
「……ッ」
「シワになんだろ。掴むならこっちだって、何度言わせんだ」
「……あぅ……」
スーツの裾を摘んでいる彼女の小さく細い指先を辿りながら、すっぽりと俺の掌で覆い隠すように握る。煙草の煙を吐きながら横目に彼女を見れば頬を赤く染めていた。この行動が早く彼女の中での習慣となればいいとあと何度願えばいいのだろうか。
「で?あとは何処に行きゃあいいんだ?」
「……あっち」
「Sì .(了解)」
俺の左手には2つの紙袋がぶら下がっている。今日はリーダーからヒカリへ買い出しの任務が言い渡されていた。日常品の買い足しは暇な奴に任されるのだが、この女は手伝いがしたいと申し出た。暗殺チームの仕事に到底彼女の手伝いは必要ないのだが買い物くらいならば頼めるだろうと、リーダーが気を利かせたのだ。俺はそんな彼女の護衛兼荷物持ちという所だ。
「いい匂い……」
「あ?」
俺の隣を歩きながら視線は別の所を向いている。その先を辿ればイタリアでは珍しくもないジェラートの店があった。ヒカリはどうやら甘いものが苦手のようで、生クリームが何よりも嫌いだった。アイスやジェラートならば味を選べば食べられるらしく、それを知った彼女の輝かしい笑顔は今でも忘れることは無い。
「後で、な」
「うん」
まだ任務の途中だと、そっと彼女の手を引き寄せれば抵抗無く傍に寄ってくるが、視線はジェラート店から離れない。どうやら店頭に並ぶ味を此処から見て何を食べようか考えているらしい。ジェラートにも負けるってのか、この俺が。
「……ヒカリ」
「うん」
「なぁ、ヒカリ」
「うん」
名前を呼びかけても上の空。俺よりもジェラートを見つめるとは、舐められたモンだ。彼女の手を握るそこに力を込めて、俺はヒカリの耳元に唇を寄せた。
「ヒカリ」
「うわっ」
「無視してんじゃあねぇよ」
「ひィっ……!」
ふとヒカリの耳に息を吹きかければ、彼女は肩を跳ね上がらせて空いている右手で耳を抑えた。真っ赤に熟れたトマトのような表情をした彼女は、漸くその漆黒に俺を映した。悪い笑みを浮かべた男がその深淵にいた。
「プ、ロシュート……!?」
「È una donna terribile guadare il gelato di me. Sono più attraente con tutti i mezzi? Se perdi per gelato è imbarazzante il nome di Prosciuto. (俺よりジェラートを見つめるだなんて酷い女だ。俺の方が断然魅力的だろ〜がよぉ〜?ジェラートに負けたとあっちゃあプロシュートの名折れだぜぇ)」
「……ッ?」
「È guisto?(そうだよなぁ?)」
「うぇ、あッ……」
「逃げんな」
グイグイと彼女に顔を近づけていくその度に、彼女は背中を仰け反らせて俺から距離を取ろうとする。しまいには繋がれた手を解こうとするものだから逆にその手を俺の方へ引っ張った。荷物を持った左手をそっとヒカリの細い腰へ添えた。
「聞いてんのか、テメーよぉ」
「Sì !聞いてる!」
「理解したか?」
「Sì !」
言葉だけは一丁前に吐きやがる。ギュッと目を瞑った彼女はきっと俺の言葉の半分も理解出来ていないだろうから、アジトに戻ったら彼女の勉強用ノートに書き出して教えてやろう。
「なら、行くぞ」
「……あい」
顔を真っ赤に染めたヒカリの手を引き、任務遂行の為歩き出す。周りで俺達の事を見ていた奴らからの生暖かい視線が背中に刺さってむず痒い。彼女以外、俺の言葉を理解しただろう。何故肝心の彼女に伝わってはくれないのか。
「……プロシュート」
小さくか細い声は、けれど確かに俺の耳に届いた。俺の名前を呼んだヒカリを振り向けば、未だに頬は赤く染っていた。
「なんだ」
「……」
「おい」
先を促し、漸く決意したのか彼女は俯かせていた顔を上げた。漆黒の瞳が俺を映す。俺の手を握る彼女がほんの少し力を込めたのが分かった。頬を染める彼女の小さな唇が動いた。
「なんでもない!」
▲▼▲
「……リゾット、てめぇ……」
「……確かな情報だ」
「ッ、ざっけんな!こんな……ッ!!」
思わずチームのリーダーの服を掴み上げて彼と目線を合わせていた筈なのに、いつの間にか縋り付く形になっていた。リーダーの紅い瞳が哀しみに揺れたその瞬間、俺は口から出す筈だった言葉を吐き出せなかった。コイツも、俺も、瞬時に状況は理解出来る頭を持っているから、このような掴み合いなんて本当は無駄なことだ。けれど、何処にも発散できない胸の底でグツグツと煮え滾る激情を、俺はどうにも出来ないでいる。
「……マジ、なんだな」
「そうだ」
「……そっか」
「あぁ」
アジトのリーダーの部屋の、机を挟んで二人。俺は彼の執務用の机に片脚で乗り上げて、殴り掛かる勢いでリーダーであるリゾットに迫ったのだ。信じたくないその情報は、けれど確かに現実だった。きっともう埋めることの出来ない大きな空洞が、胸に空いた。
「……最期にアイツに会ったの、いつだ」
コツンとリゾットの肩に額を乗せた。ぐしゃぐしゃになった彼の服の胸元には、最早添える程度に俺の手が置かれていた。閉じた瞼の裏に揺らめく彼女が、どうして太陽のように輝いているんだろうか。
「俺は、そうだな……任務があったから、5日前、か」
「……そうか」
まだ脳裏に焼き付いて離れない彼女が、笑い、泣き、困り果て、愛おしげに俺の名前を呼んだ。胸がズキズキと痛み出す。ポン、とリゾットが俺の背中に手を回した。上下にゆっくりと動く彼の無骨な掌が、何故か無性に涙を誘った。
「お前には最初に知らせるべきだと思った」
「……気遣い、ありがとよォ」
「……辛いか」
まだ、顔を挙げられない。眉間に皺が寄るばかりで、涙は出ない。鼻先がツンと痛むが、涙を流してしまえば俺の中の何かが崩れ去る気がして、泣けなかった。
「……あと、1分だ。待ってくれ」
「いいだろう」
タイムリミットは1分。それまでは、許可が出た。彼女を思い浮かべて感傷に浸る時間だ。彼女へ想いを馳せる時間としては短過ぎるが、此処で気持ちに整理をつけ、切り替えなければいけない。リゾットは変わらずに俺の背中を撫で続ける。
感傷が心を砕こうとしていて、散らばった硝子の破片が身体中の至る所に突き刺さった。もう泣いても叫んでも、君の声は聴こえないのだ。
「……ッし」
「もういいのか?」
「嗚呼。手間ァかけた、悪ぃ」
そっと彼の胸元から手を離し、さっと整えてやる。探るような視線を正面から受けて、俺は机から身体を退ける。書類を散らかしてしまったが、まぁリゾットが片付ける筈だ。俺は、机に散らばる書類の中から一枚の紙切れを見つけた。それをさっと手に取って、リゾットに背を向けた。
「ちょっくら行ってくるぜ」
「ッ、お前、プロシュート……!」
「俺がやる。これは誰にも譲らねぇぜ」
「……ハァ……」
頭を抱えたリゾットを見て俺はハンッと笑って見せた。ひらりと手を振って部屋を出て一度、ふと息を吐き出した。リゾットの溜め息とは違う、覚悟を決めた音だ。
「ヒカリ、待ってろよ」
俺は一人、自己満足の為に任務とは関係無しに人を殺す。彼女の冷たい亡骸を求めて、扉を開いた。
彼女、ヒカリが殺された日の夜、俺は彼女が死んだことを知った。おはようと言って、二人で朝食を食べて、行ってくるとキスをした。それが君との最期だった。君の微笑みで包まれたおかえりはもう一生耳にする事が出来ず、君の柔らかい肌に触れる事さえ、もう叶わない。
▲▼▲
「……ペ……ッシ……」
ブチャラティ相手によくしがみついていると思うが、やはりブチャラティの方が強い。『ザ・グレイトフル・デッド』は俺の身体を列車の隙間から引きずり出した。ブチャラティに列車から落とされて叩き付けられた右半身の感覚がもう無い。頭から止まることなく血が流れていくのが分かる。
「……ガハッ……」
この戦いは俺達の敗北だが、ただでは負けてやらない。懐から電話を取り出す。チームに、まだ生きている仲間に情報を伝えるべく俺は最期の力を振り絞る。そんな無様なナリをした俺の行動を『ザ・グレイトフル・デッド』はじっと見つめている。物言わぬこのスタンドは、何を考えているのだろうか。
「……リ、ゾット」
任務は失敗した。娘は奪えず、ブチャラティチームは誰一人欠けず、俺達のチームだけがいつも仲間を失っていく。ソルベとジェラートから始まり、ヒカリを失ったあの時に、俺の心は多分この世界には無かった。嗚呼、どうしてこんな時になって涙なんか出てくるんだ。彼女が死んだと知らされた日、リゾットの前でさえ泣けなかったのに。
「……わり、ぃ……」
けれど不思議と嫌な感じはしない。寧ろ穏やかな心中だ。リゾットに電話を掛けて、伝えるべき事を伝え、そして終わりにすまねぇと謝罪した。生きて帰るつもりだったし、そうなる予定だった。けれど死が目前に迫っている今、あの日からポッカリと空いた胸の穴の正体を知った。そうか。ヒカリが死んだ時、俺も死にたくなったのか。死に場所を無意識の内に探していたのだ。
――プロシュート。
不意に彼女の声が聞こえた気がした。静かな水面に投石して生じる波紋のように、ヒカリの声はいつだって俺の心に深く侵入してきた。俺の手を握って幸せだと微笑む彼女の表情が、目の前にあるような気がした。なんだ、手を伸ばせば君に届くのか。待てよ、俺の傍にいるって言ったじゃねぇか。
「……ヒカリ……」
最期に君の微笑に見守られて逝けるのなら本望だ。
「……ブチャラティ」
「分かっている」
ミスタのスタンド、『セックス・ピストルズ』のNo.6に名前を呼ばれるも、ブチャラティは列車の隙間から這い出た血塗れのプロシュートの遺体の傍に膝を付く。右腕を失い、右脚はぐちゃぐちゃに変形し、それでも仲間の為にスタンド能力を維持し、そして他の仲間へ連絡をとる。そんなプロシュートの命を懸けた覚悟にブチャラティはただ賞賛を贈る。出会いが違えば、運命が違えば、この男とは良き友人になれたかもしれないと、ブチャラティはそっと追悼の意を示す。
「……何故、最期に微笑んだのか……いつか理由を教えてくれよ」
生きていたプロシュートは綺麗で美しい顔だった。光を反射して輝く髪を後ろできっちりと纏め上げ、瞳の奥に覚悟を光らせた意志の強いアメジスト、イタリア男ならではのファッションセンスを匂わせ自分の身体をよく分かっていてスーツを華麗に着こなす。
そんな男の美貌は血に塗れても尚、損なわれる事は無く、寧ろ彼の輝きを抑える為のエッセンスにさえなっている。そんな男の最期を、ブチャラティは純粋に知りたかった。何を思い、何を考え、誰を想って微笑を浮かべたのか。
「なぁ……プロシュート」
ブチャラティはそっと、開かれたままのプロシュートの瞼を閉じた。彼はもう死んでいる。もし死んだ者の魂が集まる場所があるのなら、彼の御霊もそこへ誘われるだろうか。自分も死んだ暁には、そこへ逝けるだろうか。ブチャラティはプロシュートに尋ねたいのだ。純粋に、彼の人生を知りたかった。
――最期にプロシュートが見たものは、君の魂の欠片かもしれない。