この子が泣いたらお前のせい

「……」

「んフフ〜ヒカリだ〜起キテる〜」

「……」

「元気シテる?虐メラレて無イ?ダイジョブ?」

ソファに沈み込み女を抱きしめているそれは、もはや全身が弾んでいた。ホールド・スリーパー。それが白い体をしたものの名乗った名前だった。螺旋模様の瞳を暗い色で染めて、女の頬を挟んで右に左に捏ねていた。

「……あいつ、失礼じゃないか?」

「そう?まぁ、それは最初っからじゃない?」

上から聞こえた声に笑って返せば、不服そうに眉間にしわを寄せてしまった。可愛いなと思いながら、しわの寄ったそこを指先でトントンと突く。男の首に腕を回してコツンと額を合わせる。機嫌を直せと暗に込めて。

「リーダーが使えるって判断したんだ。危険性も無いって言ってたし、大丈夫だろ」

「……」

「ソルベ」

「……ん」

名前を呼んでやれば漸く穏やかな表情を見せた。普段からこんな顔をしていればいいのに、と思うだけで言葉にはしなかった。俺の首元に顔を埋めたソルベの背に腕を回す。温もりを肌に感じて、生きている実感が湧く。

「やダもォ〜ヒカリごミンね〜ワタシがソバに居てアゲたカッたんダケドね〜ナンカね〜オ仕事がね〜アッてね〜」

『あの……』

「一人にシてごミンね〜コレからはズット一緒よ〜んフフ〜」

『……』

声が聞こえる。視界にそれを入れなくても、間延びした子供のような声が耳につく。俺の背に回る腕に力がこもるのが分かる。抑えろ、と俺はソルベの背をトントンと叩く。首を回してキッチンの方を向けば、ホルマジオとプロシュート、それからリーダーが難しい顔をしながら話していた。きっとリーダーが同行したやつの話と、このアジトに残されていた女の話をしているのだろう。俺とソルベは、リーダーが出て行った後少し散歩に出ていたので女がいつ目覚めたのか知らない。

「ン?ナァに?ドした?」

螺旋模様の瞳がソルベを捉えた。何を考えているのか、瞳からは何も読み取れない。睨むようにそいつを見ていたソルベに、そいつは首を傾げてこちらを見つめたまま女に話しかける。

「なんだロ〜?なんダろうネ〜ヒカリね〜?変ナそるべ〜あはハハは〜」

「な……!」

「あはは!言われてやんの!」

思わず、声を上げて笑ってしまった。相方の機嫌が急降下していくのを肌で感じながら、口を抑えながらも肩の震えは抑えられなかった。

「ジェラート……!」

「ぐ、ふふ……ごめん……!」

俺を咎める声に言葉だけの謝罪を返す。向こうにいるホールド・スリーパーは自身の頬を女の頬にくっつけて擦り寄っていた。まるで猫のようだ。

「ネ〜ヒカリね〜、安心シテね〜、君はネ〜私が守ルからネ〜」

『……』

呑気な声音に女は眉を顰めていた。妥当な反応だろう。口元を手で覆ったまま、俺はじっとその二人のやり取りを見ていた。ソルベとは違い、睨むことなどせず、普通に。

『……あなたは、何者なの?どうして、私のことを知ってるの……?』

小さく、弱々しい声が耳に入った。初めて聞いた、女の声だった。なんて言っているのか、全く理解できなかった。どうやらあれがジャッポーネの言葉らしい。

「私はホールド・スリーパー。ホールディでもホリーでもスリーパーでも、ヒカリの好キに呼ンデね」

『はぁ……』

「君が生マレた時から一緒なの。君が気ヅカナカッたダケで」

柔らかな声で、女の頬に三本しか指の無い手を添えて、ホールド・スリーパーは女に笑いかける。女はいまいち理解出来ていないのだろう。首を傾げて目の前のやつを見ている。

「君は今日から此処で暮ラすノ」

『……』

「大丈夫。キッと、此処が好キになルヨ」

女は不安を感じているのだろう。当たり前だ。自分の知らない世界にきて、言葉が通じなくて、唯一言葉が通じる相手は人間でもない。根拠さえあやふやな存在が何をもってして「大丈夫」と言うのだろうか。俺はほんの少し女に同情した。

「ジェラート」

「分かってるよ」

「本当に?」

「……同情はした、けどそれだけだ」

俺を抱え込むソルベが、目敏く俺の感情の変化を感じ取って釘を刺してきた。自分でも分かっていた。気持ちを寄せればいざと言う時迷いが生じる。それだけはやってはいけない。俺はソルベに大丈夫だと告げる。俺は大丈夫。あの女を殺せと言われたら、確実に殺すことが出来る。

「ソウだ!ヒカリからイコウ!」

『……え?』

「オイでオいで〜」

暗殺のシュミレーションをしていた俺の視界で、ホールド・スリーパーは女の手を掴んでソファから立ち上がらせた。混乱する女をそのままに、俺とソルベが座るソファに近付いてきた。俺もソルベも息を飲んで、やつの行動の真意を探り、いつでも攻撃できるように体勢を整える。気付かぬ間に冷や汗が流れていた。

「そるべ、じぇらーと。アのネ、コノ子はヒカリ。私の主。カワいい女の子。23歳」

『そんな事まで……!』

「大事よ〜」

女の情報をペラペラと喋りだしたそいつの横で、女は顔を赤くして慌てている。そんな事より驚いたのは、女の年齢だ。15か16くらいだと思ってた。他の奴らもそうだろう。これは面白い話のタネになる。

「生くりーむと辛イものが苦手ナの。さっぱり系が好キよ」

『ちょっと……!』

「アトは何カナ〜?何聞キタい?」

個人情報を勝手に暴露されていく様を見るのは初めてではないが、こんなにも理不尽な出来事があるものか。呆気に取られていた俺とソルベだったが、そいつが首を傾げてへらりと笑った所で、俺も思わず噴き出して笑ってしまった。

「ぷッ……ふ、あははははッ!」

「ジェラート……?」

「はァー……ダメだ、腹痛てぇ……ふふ……っ!」

気でも触れたかとソルベが俺の頬を抑えて顔を覗き込んでくる。だってこれは仕方ない。笑ってやるしかないだろう。

「じぇらーと、ヒカリの何が知リタい?」

「んー?ふふ、そうだなぁ」

ソルベの膝の上で堪えきれない笑いが漏れて肩が揺れる。螺旋模様の瞳を持つそいつの背後で困惑した表情で俺を見ている女を見つめて、俺はそっと口を開いた。

「……初めまして、俺はジェラート。よろしくな、ヒカリ?」

情が湧いた訳じゃない。ただ、馬鹿みたいに純真無垢なそいつに対して警戒心を剥き出しにする方が馬鹿みたいだと思っただけだ。難しいことを考えるよりは、楽しいことを考えて人生を楽しみたいじゃあないか。



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