バーボンからの電話を切った私はすぐに愛車の運転席へと乗り込んだ。任務を遂行したはいいが、どうやら小さなミスを起こして追われている立場となってしまったらしい。隙を見て連絡をしてきた彼がすぐに殺されるような男だとは思っていないが、今、彼の窮地を救えるのは私だけ。そう思ったら裏切られていることなんてやっぱりどうでもよくなって、彼の身の安全のために、ただただアクセルを強く踏み込むことしかできなかった。
「このへんね…」
バーボンに指定された埠頭へと辿り着いた。シンと静まり返るそこは近くでそんなチェイスが行われているようには思えない。車を停めて、辺りを見回してから外へ出れば磯の香りが頬をかすった。
「…いるんでしょ?バーボン」
その言葉で魔法が解けたかのように、10人ほどの男が拳銃を構えながら私を包囲した。
「さすが、あの組織の幹部だね」
私の目の前にその男達の間を縫って現れたバーボン。もちろん何かから逃れてきたような雰囲気はどこにもなく、あれは私をおびき寄せるための罠だったのだと理解する。
ーーやっぱり、利用する為だけの関係だったのね。
「…あなたに褒められるとは思ってなかったわ」
「気付いてたんだろう?僕の正体に」
バーボンはそういうと、私との距離をどんどん詰めてくる。彼が側にくるだけで、どうしても忘れられない彼独特の甘い匂いが私の鼻をくすぐって、思わず涙腺が緩みそうになった。
「…何故組織に報告しなかったんだ?」
「…」
「名前」
そんな風に、名前を呼ばないで。いつもみたいにアマレットって、コードネームを呼んでよ。あなたと私は違う世界に住む人間なんだって、私に分からせてよ。
そんな思考とは裏腹に私の口からは思ってもいない言葉が次から次へと飛び交う。可愛くない、そう言われたってなんだってどうでも良かった。
「確証を得たら報告するつもりだったわ。まさか貴方がノックだったなんて…ガッカリよ」
これで、いい。警察に突き出されても、組織に消されても、目の前の彼に殺されても、もうなんだって構わない。スッと息を吸って、目を瞑った瞬間だった。バーボンが私から目をそらす気配を感じて何事かと思っていれば、そんな彼から思わぬ言葉が発せられた。
「悪いが風見、全員撤収させてくれ」
「えっ…あ、はい。わかりました」
風見と呼ばれる後輩にそう指示した彼の瞳は、何故か切なげに揺れていて、私はどきりと胸を痛める。
ーーねぇ、そんな目で見られたら私、誤解しちゃうって。
3.4台の国産車と共に消え去った公安の人間。取り残されたバーボンと私を重い沈黙が取り巻いていて、ただすぎてゆく時間だけが長いように感じられた。
「…君は本当に、馬鹿な女だ」
ふっと笑ったバーボンが、私の腕をぐっと引っ張って私を腕の中へと収めた。苦しさは胸の中いっぱいに広がって、彼の私に込める力が強いからだけではない。バーボンの匂い、体温、力。全てを身体が忘れてくれなくて、私はこれからもずっとこの人から離れられないという事を本能で察した。
「僕は組織を潰す。そして、君に自首をさせるつもりだ」
「…バーボン……」
「でも」
バーボンの身体が少し離れ、私の顔を覗いた。苦しげに笑顔を作る彼のそんな痛々しい表情を見ていたくなくて目を逸らそうとしても、彼がそれを許してくれない。ぎゅっと握られた手。その手をバーボンが彼の胸元へと押し付ける。どくどく。私と同じくらい早く脈打つ彼の鼓動が直に伝わってきた。
「それまでは、僕が君を守る。君が警察の世話になって、出てきてからも君の命は俺が守るから」
だから。そう続けた彼の顔が涙でぼやけて見えない。それでも、初めて見るくらいに優しい表情を浮かべた彼が私の耳許へと口を運んで、こう言ったのだ。
「これからも君のそばにいることを、許してくれるかい?」
眩しいほどの夕陽が私たちの重なる影を創り出した。幹部のくせに、私は彼が組織を潰して、あそこを連れ出してくれる日を夢見てしまった。
*
短編「真っ白になりたい、それは口実2」
2016.05.23
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