夜と騎士

都会の夜空は星が見えない。ただただ暗く、広く私の上を澄み渡るそれは孤独ーーまるで、私の心の中を描写しているようだ。そんな曇ったある夜、側にいてくれたのは、酷く頭のいい少年だった。

「ねぇ、名前さん…そろそろお家に帰ろうよ」
「ごめんね、コナンくん。もう少しここに居たいんだ」

下手くそな笑顔を、小学1年生相手に向けた。物言いたげな顔をしたコナン君も、そんな私の表情を見て口を結ぶ。なんて情けない大人ーーそう呼べるかはわからないけどーーなのだろうか。フェンスの前にしゃがみ込んで目を瞑る。もしも先輩が生きていたら、そんな顔でここに来るな、なんて言われてしまいそうだ。

「降谷さんは、まだ頑張ってるんですよ…」

精一杯の嫌味を言ってやったつもり。力なく呟かれたそれは、地上よりも空に近いそのビルの屋上から、広くて寂しい夜空へと消えていった。

「…苗字。ここには来るなって言っただろ」
「あ、安室のにーちゃん…」
「ごめんね、コナン君。彼女が迷惑をかけたね」

背後で聞き覚えのある声がして目を開けた。ここで亡くなったあの人と一緒に例の組織に潜入していた、降谷さん。私に口うるさく、ここには絶対来るなと言っていた人だ。

「ほら名前、帰るよ」
「…」
「おい、名前…」
「嫌です」

ぴくり、彼の行動が止まるのがわかる。振り返るつもりはない。私には、帰る気もないのだから。降谷さんはいつもこうだった。自分は全く気にしてない、私がこうやってあの人のところに来るのをどうしようもない部下だって思いながら、ただため息を吐くだけ。彼が死んだということを、半年経ったある日、上司から淡々と聞かされた。一緒に仕事をするなんてままならず、感謝もなに一つ伝えられなかった。彼の遺品はなに一つ残っていない。お墓もない。弱音を吐かずに1年間、必死に頑張ってきたつもりだ。仕事でミスなんて一つもしなかったし、先輩の死を考えることだってできる限り避けてきた。ーー漸く、漸く、あの人が死んだことを受け入れた私が、漸く此処に来ることができた。それなのに降谷さんは仕事で来れない代わりにコナン君に私の監視を頼んで、私が此処にいることを許してくれない。わかっている、此処にいたら彼の苦労も、先輩の苦労も水の泡になってしまうこと。それでも、もっと別の方法で私に彼の死を伝えてくれてもよかったじゃないか。そんな憎しみにも似たの激情がもう、自分でも抑えきれなくなっていた。

「お花、あげたかった…な…」
「名前…」

初めて聞いた、降谷さんのか細い声が私の耳に届く。予想を反するその声にびっくりして後ろを振り返れば、唇が切れるんじゃないかってくらい噛み締めた上司の姿が目に入って驚愕した。降谷さんって、こんな顔もするんだ。そう思ったら、私は降谷さんになにも言い返すことはできなくて、ただただ、彼の口から言葉が出るのを待っていたような気がする。彼から言葉が返ってきたのは、三分ほど経った後だった。

「…俺だって、そうしたいよ」
「ふるやさ…」
「だから俺たちは今、奴らに噛みつこうとしているんじゃないか」

降谷さんが私の隣にしゃがみ込んだ。彼のものであろう、薄い、薄い血痕。そこにあの人がいるかのように、降谷さんと2人でそれを囲む。ーー3人で。昔みたいに、3人で一緒にいるような感覚。降谷さんが私の肩に手を置く。何度も何度も同じところを規則正しいリズムで、ぽんぽんと優しく叩きながら、降谷さんは何も言わなくていい、そう言ったんだ。

「俺たちができることを、あいつの分までやるんだよ、名前」
「…っ、」
「全てが片付いたら、一緒に大きな花を持ってこよう」
「ふるやさ…っ、」
「だから今日はもう帰ろう、名前」

降谷さんが私の顔を覗き込んだ。必死に込み上げてくるものを耐えているのだろう。降谷さんの眉は、ハの字に下がっていて、その目に映る私と同じような顔をしている。部下になってから初めて、彼の人間らしいところを見たような気がした。

「絶対、派手なやつにしましょうね」

私の言葉に優しく笑った降谷さん。その顔が、あの人に重なって見えた私は、一粒の涙を残して前を向いた。私達の後ろで、静かに話を聞いていたコナン君の手を取り、3人で階段を降りる。最後の1段を降りるとき、ぽん、と、力強く背中を押されたような気がした。
ーー天国の貴方へ。どうか、どうか降谷さんが、無事に帰ってこれますよう。どうか、彼を殺させないで下さい。
強く握り締めた右手。降谷さんの車に乗り込んだ頃には、雲が切れて月が顔を出していて、その光が私達の任務遂行への道のりを照らしているようだった。



「夜と騎士」
2016.05.05

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