あげるね全部春の嵐のせいにして

今日もポアロは暇だ。バイト3人も雇って赤字なんじゃないの…なんて心配になるほどにお客さんが来る気配がない。大学からわりと近くにあったこのポアロという喫茶店。こじんまりとした雰囲気は私好みで、初めて訪れたその日にここのバイトをしたいと申し出た。快く承諾してくれたマスターと梓ちゃん、それに最近入ってきた安室さんと楽しく仕事をしている。

「お客さん、来ないですね」
「そっ、そうですね…」

今日は梓ちゃんもマスターもお休み。ということは私と安室さんだけが出勤なのだが。正直言って、安室さんと2人っきりなんて心臓がいつ止まってもおかしくない状況…なんだよね。だって、安室さん例の組織の一員だってコナン君に聞いたし、それに、それに…

「名前さん、ちょっと」
「えっ?う、うわあっ!」
「髪の毛に花びら、ついてましたよ」

そう。安室さんはこの通り、スキンシップが激しいのだ。まあ悪く言えば女性に慣れてる、って感じなんだけど。吃驚して飛び跳ねてしまった私を見てクスクスと目を三日月型にして笑う安室さん。梓ちゃんに相談してもニヤニヤ笑われるし、コナン君に言っても騙されんなよって口を酸っぱくして言われただけ。こんなにかっこいい人と2人っきりでボディタッチとかされちゃったら胸が高鳴らないわけがないでしょう…?!
安室さんは私の髪から取った花びらを見て、桜かぁ…って呟いて、カウンターの端っこに置いてあった小さなガラス瓶を持ってキッチンの方へ消えてしまった。やっと息を吐いた私は安室さんに触れられた後頭部を抑えて窓を見る。ガラスに映った自分の顔は、情けないほどリンゴのように紅くなっていた。

「名前さん?そんなところでなにやってるんですか?」
「へっ?あっ、ちょっと机拭こうかなあなんて思ってまして…」
「それならこの雑巾使って下さい、ちょうど今洗ってきたところなので」

奥から戻ってきた安室さんから雑巾を受け取って安室さんの事ばかり考えていた頭の中をリセットするように、テーブル席の机をゴシゴシと拭いてゆく。没頭していた私は、安室さんがカウンターからどんな顔をしてこっちを見つめていたかなんて気付けなかった。


「そろそろ締めましょうか」
「そうですね」

あの後、2.3組のお客様がご来店されて、ついさっき最後のお一人様が帰られた。ようやく1日が終わる。んーっと伸びをしてからブラインドを閉めに行こうとすれば安室さんにその姿を目撃されて、またもやクスクスと笑われた。柔らかいその笑みを見てポッと顔が赤くなるのを感じる。安室さんに背を向けて顔を仰ぎ熱を逃がそうとするけど、私の頬から火照りは抜けなかった。

「名前さん、顔赤いですよ」
「なっ、そんなことはないです!」
「…そんなんじゃ心配だな」
「へ?」

安室さんがぼそりと何かを呟く。図星を当てられそれどころじゃなかった私にはその言葉を聞き取れなかったけど、妙に安室さんが寂しそうな顔をしていたのが気になった。奥にいますから何かあったら呼んでくださいと言って安室さんはお皿を洗いに行ってしまって、さっきの言葉を聞き返すことはできなかった。いつもとは違う彼の態度に首を傾げながらも私は空になった机を拭いてゆく。
カウンター席のテーブルに手をかけた時だった。ふと、隅っこに置いてあるガラス瓶が目に入る。
ーーあれって、さっき安室さんが持って行ったやつ…
可愛らしくレースのリボンが巻かれているそれを手に取ってみる。中には水が張ってあって、その上にはひとひらの花弁がポツリと浮いていた。これってもしかして…

「名前さ…」

ちょうどいいのか悪いのか。そんなタイミングで安室さんが戻ってきた。瓶を両手で持っていた私は、急に出てきた彼と目が合ってもその場から動けない。安室さんも私のその姿を視界に捉えてそこから動かなかった。

「桜の花言葉ってご存知ですか?」
「はな、ことば…?」

安室さんはふぅ、と息を吐いてから私との距離をゆっくりと詰めてくる。私の目がおかしいのか安室さんがかっこよすぎてフィルターがかかったのか。安室さんからはなぜか色気たっぷりのオーラが出ていて、ドキドキと胸が高鳴って止まらない。

「そう。桜の花言葉には純潔って意味があるんです。」
「純潔、ですか…」
「名前さんにぴったりでしょう?」

安室さんが私の手の中の瓶をそっと奪う。中に浮いているのはやはり私の髪の毛についていた桜の花びらだったようで、気のせいかもしれないけど、安室さんはそれを愛おしそうに見つめた。

「だから」

安室さんが瓶から私へと視線を変えた。あむろさん、そう呼ぼうと口を動かし始めたその時、私の唇に感じる熱。目の前には、彼のふわふわな金色の髪の毛が広がり、思考が停止する。ちょっと待って、これって、キ、キキキキス…?
事を理解して目をぐっと見開いた私。ようやく安室さんの顔が私から離れたと思った刹那、彼の額が私の額にくっつけられて、どアップで彼の整った顔が視界いっぱいに広がった。安室さんは口許に弧を描くと、熱のこもった甘い声で私に囁いた。

「…僕が汚したくなっちゃいます。」

いたずらに微笑んだ安室さん。ドキドキと胸が高鳴って涙さえ出そうになる。再び近づいて来た彼の顔を、そっと目をつむって受け入れた。カウンターに置かれた瓶の中で、ハートの形をした花びらがまるで私の心を見透かしているかのようにひらりと揺れ動いていた。



短編「あげるね全部春の嵐のせいにして」
title by moss
2016.04.27

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