花散るぼくらの恋の仕舞いを見にゆこう

飛び起きた。それはついさっきまで見ていた夢のせいで。身体に浮かぶ冷たい汗が前髪を濡らして額に張り付く感覚が妙にリアルだ。

「ったく…」

気分が悪くなってしまった。久しぶりに当時のことを鮮明に思い出した。
気だるい身体をなんとか起こして、水分を摂るためにキッチンへ向かう。その途中も脳内は夢にでてきた男の事でいっぱいだった。
ーー夢にまで出てくるなんて、本当にイヤな男。
それが押し付けた考えだということはわかっていた。夢とは、普段は抑制されて意識していない願望をあらわす、という一説がある。もしもそれが確かなら、私は未だに彼を愛していて彼との未来を望んでいる、という事になってしまう。2年間、考えまいとしてきた彼の事を。未練がましいにもほどがある。

「降谷、さん……」

ウォーターサーバーからミネラルウォーターをトプトプと、コップに注ぎ、それを身体に流し込む。同棲中だった彼が帰ってこなくなってから、2年が過ぎた。なんの言葉もなく、ただ忽然と姿を消してしまったあの人。今までもそういうことがなかったわけじゃない。降谷さんのお仕事は人には言えないような職業だった。詳しいことは私にも教えてくれなかったけど、彼がどんな職に就いていたかくらい予想できた。だから彼が家に帰ってこなくなるのなんて日常茶飯事で、あの日帰ってこなかったのもいつものことだろうと、軽い気持ちで彼を待っていたのに。降谷さんがここに戻ってくる事はなかった。
ずっと、降谷さんの事を考えないようにしてきた。考えればもう立ち直れなくなる事はわかっていたから。それなのにどうしてこうも簡単に、私の気持ちを揺さぶるよう夢に出てくるのだろう。

「降谷さん…」

悔しい。彼の事ばかり考えてしまう自分が。いつまでも私の心に居続ける彼の存在が。全部悔しくて、彼には敵わないことを思い知る。考えまいとしているのだって、自分の為だけど、彼の事を考えているのと同じだ。一度夢に出てきただけでこんなにも私を苦しめる彼の存在が憎らしくもあり、同時に愛おしく思ってしまう。
コップに注いだ水が私の体内に吸収されていくのと同じで、夢に出てきた彼は現実の私の心までをも侵食していく。濡れた頬が、彼への想いを物語っていた。
一度認めてしまった気持ちは私の中で更に大きく膨らんで、私の心を、身体をも侵食してゆく。すでに、自制は効かなくなっていた。
ペタン、とキッチンに座ったまま、大きな声を上げて子供のようにわんわんと泣き叫ぶ。第三者から見たら、なんて情けない格好だろう。それでもここには私1人だけで。そんなこと、気にしていられる余裕はなかった。

「っ、ふ…るや、さッ、…」

降谷さん。前みたいに私の名前を呼んで、隣に座って笑ってよ。ポンポンって頭撫でて慰めてよ。降谷さんがいない寂しさは、降谷さんじゃないと埋められないんだよ。
ーーねえ、降谷さん。
ゴシゴシと溢れて止まらない涙を袖で拭うけど、一向に止まる気配のない涙が、顎に伝って床に落ちる。ポタリ、水滴が落ちるたび、私の心にはぽっかりと穴が開いてゆく。
月が雲に隠れ、部屋の中が真っ暗になった。ぼんやりとしながらシンクに寄りかかるが、全く眠気が訪れない。仕方なしに、私はカーディガンを羽織って家の鍵だけを持ち、深夜の街へ繰り出した。


* * * *


午前3時。酔っ払った集団や、タクシーだけが行き交う街。少しさみしい夜のそこは私の心を映しているようで、更に胸が苦しくなる。2年前ならこんな時間に1人で外に出ているなんてことを降谷さんに知られれば、たっぷりお説教されたんだろうな、なんて考えて静かな道をトボトボ歩く。赤く光るライトを視界にとらえて、私の脚はようやく動きを止めた。気づけば家を出てから1時間ほどが経過していた。つっかけを履いてきた脚が、徐々に痛みを訴え始めている。タクシーを拾おうにも、突発的に家を出てきてしまったため財布を持っていない事に気がついた私は、なんとか重たい足を動かして近くの公園に向かう。ちょうどそこは降谷さんとよく一緒に来ていた場所だった。ギー、と、金属同士がぶつかり合う音が響くブランコに腰を下ろす。シンとした公園の空気が、私の心を落ち着かせた。ポンっと、地面を蹴って小さく揺れるブランコ。ユラユラ往復するたび、脳裏によぎる彼の顔が憎らしい。ゆっくりとブランコの動きが小さくなるのを感じながら目を閉じる。早春の夜風はまだ肌寒く、カーディガンにつっかけサンダルで出てくるにはまだ早かったようで鳥肌が立ち始めてきた。午前三時の公園。人の気配も無ければ車の音すらしないその空間。そこに近づいてくるひとつの靴音。ジャリジャリと砂と靴が擦れる音が自分の座るブランコの近くで止まる。冷たい風が肌を撫でたその時、ようやく自分の頬が涙で濡れている事に気がついた。

「な、んで…」
「君こそどうしてこんなところに…」

声を聴いてやっと目を開く。足音だけで、それが彼だとわかった。月の光と公園の街灯に照らされた彼の顔は2年前よりも何処か窶れて見える。遊具を囲むフェンスを越えた彼が私の前に立って私を見下ろす。ポケットから出された彼の手が私の頬へ伸び、風邪と涙で冷えたそこに彼の体温がダイレクトに伝わった。

「こんな時間に1人で出歩くなんて、なに考えてるんだ」
「…」
「名前、」
「ふるやさんのせいだ…」
「俺の…?」
「勝手にいなくなったくせに、夢に出てこないでよ!私の心乱して、降谷さんが…ふるやさんが……」

とめどなく流れる涙がぽたぽたと地面に落ちて砂に吸収されてゆく。2年間も会えなかった彼。ずっと会いたかった降谷さんが目の前にいる。もしかしたら彼が夢に出てきたのだって、これを予知していたのかもしれない。嬉しいはずなのに、納得できない事や辛い事の方が上回って、口から出たのは彼への当て付けだった。
震えて声を出せなくなった私の頬から消えた温もり。鼻を啜りながら俯向いていた私の前から人の気配が消える。涙で霞んだ視界の中、彼の影がどんどん離れて行くのが見えた。

「…ごめん、名前」

苦しげなその声を残して、彼はまた夜の世界に消えていった。

「るや、さ………ふるやさっ……」
「ーー名前!!」

肩を凄まじい勢いで揺さぶられて目を開ける。身に付けていたキャミソールが自分の汗で体に張りつく感覚は、先ほど感じたものより、はるかにリアルだった。
ーー夢…だったんだ…。

「嫌な夢でも見てたのかい?」
「ん…魘されてた?」
「あぁ。すごく苦しそうだったよ」

降谷さんは私の身体を抱き上げると、ベッドフレームに寄っ掛かる。それから私を彼の身体へと寄りかからせてくれた。降谷さんの胸の鼓動が直接私の耳に伝わる。夢の中でどんどん離れていった彼の体温を身体全身で感じ取りながら目を閉じた私。机の上に置いてあったフェイスタオルを使って、彼は私の汗を優しく拭き取ってくれた。

「…降谷さん」
「ん?」

名前を呼んで見上げれば、優しい彼の笑顔がそこにあって、私の胸は無性に苦しくなる。あの夢は私と降谷さんの間に起きた1年前の出来事だ。あの時、彼は潜入捜査中で私を遠ざけていたらしく、それが終わった彼が戻ってきてくれたのがちょうど1年前。あの時の虚無感が蘇り、私の身体はぶるぶると震え始める。迷惑はかけたくない。ワガママは言いたくない。
ーーだけど、だけど…。

「あ、あのねっ」
「名前」

ようやく振り絞った声を遮ったのは降谷さんで、その真剣な眼差しに吸い込まれる感覚がしてドキッと心臓が鳴る。

「…大丈夫だよ名前。俺はずっとここにいる。もう離れないよ」

いとも簡単に私を安心させてくれる彼の言葉は、まるで魔法の呪文のようだ。スッと軽くなった私の心。降谷さんが私の頭を撫でる。その感覚が心地よくて、私は再び夢の世界へと堕ちていった。

「……ごめん、名前」

薄れゆく意識の中、彼のそんな言葉を聞いたような気がした。



短編「花散るぼくらの恋の仕舞いを見にゆこう」
title by moss
2016.04.04

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