きれいなかみさまはわたしが食べてあげる

組織のキールこと水無怜奈奪還計画は赤井さんと少年の策略でまんまと阻止され、驚くことに水無怜奈は再び組織に潜入することに成功した。長い任務だったにも関わらず嫌にあっさり幕を閉じてしまったことにモヤモヤする気持ちはあったにせよ、その数日後に彼女と引き換えに上司の息の根が止まるなんて一体誰が想像できた。

来葉峠で炎上する米国産の車。それにしてもこの日本でその車種を使っている人は少し珍しすぎる。中から出てきた身元不明の遺体は、例の少年の携帯電話についた指紋と一致したという。性別は男だとか。

「ちょっと何言ってるのジョディさん……あの赤井さんが?ありえないって、」

そんな冗談誰も笑えないですよ、言葉とは裏腹に心臓は嫌な音を立てていたし、からかって悪かったと緩く眉を下げられることを願っていた。恐る恐る目で追った彼女の頬に光る涙の跡によって、そんな期待は大きく打ち消されることになってしまったが。



「馬鹿上司…」

左手に持っていた赤いマーガレットをニュースで何度も目にしたそこへそっと横たえた。風が吹いてその赤が揺れるたび、ここで燃え盛っていた例の黒い車を思い出して胸が痛む。こんな場所へ持ってくるには相応しくないその花は、あの男が重たい煙を吐きだしたかのように、小さく揺れた。





「そこでクラッチペダルを強く踏み込むんだ」

日本から来た異端児、その上ドライブテクニックも身についていない私は当時事務局の人間から散々煙たがれていた。そんな中周囲からは鬼教官だと恐れられていた隈の酷い男は、勤務後にも関わらず特訓を頼めば嫌な顔せず付き合ってくれた。聞くところによれば彼も日本から来たという、グリーンカードを取るのは大変だっただろうと初めて労いの言葉をかけられたのすら、昨日のことのように思える。

「まあ、最初に比べれば上出来だ」
「恐縮です…」

硬い表情を決して崩すことなかったその男が、初めて柔らかな眼差しを見せた。優しく頭を撫でられ、顔が熱を持って、尊敬以外にも切なくもどかしい気持ちが芽生えたのもまた同時。
タバコを吸う赤井さんも、山の様に積まれた資料を意地悪な顔をして渡してくる赤井さんも、休む事も仕事のうちだと言って休暇を与えてくれる赤井さんも、どんな彼も好きだった。もちろんそれは今でも変わらない。


「言っただろう、お前が一人前になるまで、俺がずっと面倒を見てやると。だからそんな顔をするな、お前を1人置いていったりはしないさ」


これまで彼に嘘をつかれたことはあっただろうか。大人顔負けに頭の切れる少年と彼が何か策を練っていたことは知っていた、しかし肝心なことはいつも何も知らない。赤井さんがどんな思いで組織と対峙していたのかも。

「置いてかないって、約束したじゃないですか…」

誰に届くことなく風の中へするりと消えてゆく言葉、それにしても想いは全く消えてくれない。ポタリ、一粒の雫は細かい花びらの上に零れ落ち、小さな水滴を纏ったまま切なく身を置いている。置き去りにされた自分に重なって唇が震えた。
明美さんが亡くなったとき、彼もこんな気持ちだったのだろうか。孤独や恐怖、無力さに、赤井さんは1人で耐えていたのだろうか。

「ずっとそばで、赤井さんの背中を見ていたかったんですよ」

この世に天使などいない。報われるべき人間は報われず、早すぎる死を迎えた。所在無いこの手を導く上司の姿は、もうこの世にない。霞んだ視界を思いっきり振り払った。嗚呼、こんなにも世界は広かったのか。


マーガレット。
それは信頼、真実の愛。そして、秘密の恋を暗示するダブルフェイス。



01.きれいなかみさまはわたしが食べてあげる
title by 金星
2019.06.09

BACK

×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -