君の代わりはいないって神様も言っていた

「蘭ちゃん、消毒液よろしく」
「はい」

あれから澄香さんの手当てを始めた私たち。澄香さんの証言によると、髪の長い女の人がいきなり部屋の中に入ってきて、逃げようとした瞬間に背中を包丁で切りつけられたそうだ。その直前に、園子ちゃんも自室から髪の長い女の人がベランダを歩く姿を見たようで、全員が頭を抱えて悩む。赤女が死んだという話は事実なのか、それすらも怪しく思われてきた。

「別荘荒らし?」
「えぇ。赤女の死後にこのあたりの別荘で始まったのよ。窓ガラスを割ったり、トマトを投げつけたりなんて悪戯のようなものじゃなく、鍵をこじ開けてそこで生活していたような痕があって…」

上原刑事が疑問に思っていた別荘荒らし。ここ数年では被害が著しく目立っているようだ。赤女の死後にそれが始まったということは、やはり犯人は赤女なのか。もしくは、赤女の振りをした誰かの犯行ーー。

「だから、長野県警も沼に沈んでいた遺体を、赤女のものだと決めきれなかったの」
「なるほど…」
「とりあえず、皆んなはリビングに集まって待機していて。別荘の中を調べてくるから」

上原刑事の指示で私と真純ちゃん、そしてコナン君は彼女と共に別荘の中を調べ始めた。しかし、何処にもロングヘアのカツラや赤い服は見当たらない。もちろん、泥のついた靴や雨による水滴の痕も。ということはやはり、外部犯か、それとも、あの3人の中にーー。
1階を調べ始めようとしたその時、プルルルル、と、上原刑事の携帯電話が鳴った。ちょっとごめん、と言って彼女はその携帯を耳許にあてる。ちょうどその時、私の携帯にも"彼"からのメッセージが届いていたけど、彼女の電話が気になってそれどころではなく、電源を切ってポケットに戻してしまった。

「気を……ろ…!」
「よ、用心って何を…」

彼女の携帯から微かに聞こえる向こう側の声が怒鳴り声を上げたところで、彼女の電話が切れる。すかさずコナン君が電話の内容を彼女に聞いた。

「15年前の事件の報告書のことよ。どうやら書き間違えがあったみたいで…」
「書き間違え?」
「えぇ。赤女に包丁で切りつけられて逃げられた、って書いてあったらしいんだけど、本当は投げ付けられて逃げられたみたいなの」
「…なるほど、そういう事ね」

真純ちゃんとコナン君と私。キョトンとした顔の上原刑事。私達が漸く事件の真相を見抜いた瞬間だった。


* * * *


「で、何かわかったのかよ!」
「やっぱり、悪霊なのよ…赤女の悪霊が私たちを…」
「わからないってことはそういう事よね…」

リビングに戻ると、3人は怯えをあらわにして震えていた。蘭ちゃんと園子ちゃんも3人に影響され、端っこの方で不安げな顔をしている。そんな中で真純ちゃんがバン、と机を叩いて立ち上がった。

「誰も殺されやしないよ。みんなの言う赤女の悪霊なんて、居やしないんだから…」
「で、でも、薄谷と澄香を襲ったやつはわからないんだろ…?」

真純ちゃんの言葉に任田さんがすかさず口を挟む。フッと笑った真澄ちゃんが自信満々に、いや…、と続けた。

「薄谷さんを風呂場で殺害した犯人なら、わかってるんだけどな」

えっ、という声が全員から漏れた。それもそうだ。澄香さんを襲った犯人とは別に薄谷さんを殺した犯人がいるのだから。蘭ちゃんと園子ちゃんが犯人は別なのか、と、誰もが疑問に思っていたことを真澄ちゃんに問う。その問いで、まさか犯人はこの中に、と、上原刑事が漸く疑いにかかった。

「名前さん達が湯加減を見た時は何も問題はなく、掃除を終えてお風呂に入ろうとしたら大量に湯船にトマトが浮いていて、その湯船の中に薄谷さんの遺体が沈んでいたんだから、犯行は4人が掃除をしている間に起きたはず。そうすると、薄谷さんを殺害できるのはその間キッチンで料理をしていた珠美さんか、1km先の店に買い出しに行っていたっていう任田さんってことになると思うけど…確か、2人に犯行は無理だって言ってなかった?」
「あぁ」

その時は澄香さん達が風呂場のある1階を掃除中。澄香さん達に気付かれずに人を殺すなんて無理だと、真純ちゃんが続ける。じゃあ一体誰が。そんな疑問が彼女達の脳裏によぎる。その顔を見て私はゆっくりと椅子から腰を上げた。

「それに、水を埋めるほどの大量のトマトや、遺体を沈めるためのダンベルを犯行時運んだとしたら、1往復じゃ済まないだろうし、掃除をしていた名前さん達に見つからずに犯行を犯すのは無理だと思うよ。名前さん達がいつ廊下に現れるかもわからないんだから」
「だったら、3人の犯行は不可能なんじゃ…」
「いや」

私は蘭ちゃんと園子ちゃんが手を握り合っている椅子の後ろ、窓の前に腕を組んで座り、確信めいた口調で口を開いた。

「私達が湯加減を見に行った時、既に湯船の中に遺体が沈んでいたとすれば、犯行可能な人間が1人いるはずよ…」

ごくり、息を飲む音が聞こえる。ちらりと真純ちゃんをみれば、得意げな顔で犯人の女を見つめていた。

「そうだろ?湯加減を見るより前に2階を1人で掃除していたっていう…河名澄香さん。あんたになら犯行は可能だよ」

真純ちゃんの言葉に、そんな訳ないと、珠美さんと任田さんが食いかかる。掃除機の音がしていたのだから、彼女が犯人のわけがない、と。コナン君がその音は任田さんのバットに厚紙などを貼り付けて柱に吊るし、それに扇風機の風を当て、一定の速度で壁に当てて音が鳴るようにしていただけだ、と説明する。それにもまだ納得できない表情の彼ら。蘭ちゃんが湯加減を見たときに遺体なんてなかったと言えば今度は真純ちゃんが、バスソルトでお湯が緑色になっていて底まで見えなかったし、それに、まだ浮いてなかっただけだと言う。顔にはてなマークを浮かべた彼らに説明するため、コナン君はポットの水と現場からくすねてきたトマトを皆んなの前に広げた。

「このトマトを水に入れると…ほら、沈んじゃうよ?これってよくスーパーの野菜売り場でやってるよね」

コナン君の説明に蘭ちゃんがうんうん、と、頷く。糖度の高いトマトは普通のトマトとは違い、水の中に沈んでしまうという、ほとんど科学に近い実験だ。

「そして、これに塩を振り掛けると…ほら、浮いてきたでしょ?」
「ほ、ほんとだ…!」
「前もって湯船の中にトマトが浮きそうで浮かない程度に塩を混ぜておけば、パラパラって塩をかけるだけでトマトは浮いてくるよ。だから、犯人は一番最初にお風呂の中に入っていった、澄香さんしかありえないと思うよ」

コナン君の言葉にぐっと息を詰まらせた澄香さん。泣きそうな顔をして珠美さんが弁解するが、彼女の服の袖についたバスソルトの跡が証拠となってしまい、澄香さんは自分の罪を認めたようだった。

「15年前、薄谷くんは聡子を見殺しにしたのよ」
「見殺し…?」

澄香さんの話はこうだった。何年か前に刑事から聞いた話で、沼から発見された聡子さんの遺体は赤いレインコートを着ていたということが分かった。澄香さんはそこで初めて聡子さんが赤女に成りすましていたことを知り、15年前、聡子さんが森で赤女を見たと皆んなを外に連れ出したのは皆んなを驚かす悪戯だったという事を知った。はぐれたフリをした聡子さんは、ベージュのカーディガンを脱ぎ、赤いレインコートを羽織って皆んなを待ち伏せしていた。となれば、その聡子さんの元に皆んなを誘導する悪戯の共犯がいたはず。それが、薄谷さんだったようだ。それが分かったのは澄香さんが赤女に扮して森に潜んでいたということを聞いた薄谷さんが、聡子さんの霊を怖がったから。赤女を見て聡子さんの霊だと言うのは、共犯者だけだ、と。澄香さんが薄谷さんを殺害したとき、彼は「約束の場所に聡子がいなくて、怖くて言い出せなかった」と言ったそうだ。

「あの時、正直に悪戯のことを話してくれたら、聡子は…聡子は、死なずに済んだのに!!」
「ちょ、ちょっと待って…じゃあ、あなたの背中を斬りつけたのって一体…」

上原刑事の疑問に澄香さんが任田さんか珠美さんのどちらかじゃないの、と、言う。俺らがそんなことするわけないだろ、と、声を荒げた任田さん。じゃあ一体誰が。そんな疑問を投げつけた彼らに、コナン君は冷静を保ちながら口を開いた。

「それなら1人いるじゃない。この事件に深く関わっているのに、その生死が語られていない女が…」

バリバリ!と、稲妻が走る。それと同時に、私の背後にあった窓ガラスが割れ、ろうそくの火が消えた。ポタリ、私の頬をかすったガラスの破片により私から血が垂れる。蘭ちゃんと園子ちゃんが悲鳴をあげたその先には、長い髪を振り乱し、片手に大きな包丁を持った女。その女が振り上げた包丁は、やはり澄香さんを向いていた。
ーーまずい…!
咄嗟にそう思った私は澄香さんの身体に覆い被さり、彼女の盾となる。「名前さん!」真純ちゃんの大きな声が聞こえた瞬間、カキン!という音がしてぐっと目を瞑る。一向に訪れない背中への痛みに疑問を感じて後ろを振り返れば、ここにいるはずのないあの人が、包丁を持つ女の手を蹴り飛ばしていた。

「あ…安室さ……どうし、て…」
「間に合ってよかった…」

息を切らす安室さんが女から包丁を奪い、それを窓の外へと放り投げる。それと同時に長野県警の人間と思われる2人が部屋に入ってきて、女は拘束された。安室さんは私を視界に捉えると、それはもう、きつくて苦しいってくらいに私を抱きしめた。「電話したのに、なんで出ないんだ」ってちょっとだけ焦ったようなその声を聞いて、漸く安堵の息が溢れる。長い1日が、漸く幕を閉じた。蘭ちゃんの持っていた絆創膏をほっぺに貼ってもらい、漸く出血が止まった私。さて、目の前にはどこかれ構わず私を抱きしめる安室さん。我に返った私は、彼に呆れの目を向けるが、蘭ちゃんと園子ちゃんはやはりニヤニヤとこちらを見ていて、頭をかかえる。
ーーこれ、本当にデジャヴなんだけど。

「貴方…ポアロはどうしたのよ…」
「梓さんに代わってもらったんだよ、君のことが心配だったからね」
「心配?私がメール送ったの1時間くらい前じゃない、1時間でここに来られるはずがないわ」

私の一言に罰が悪そうに眉を下げた安室さんを見て、首を傾げる。どうしたものかと思って彼が口を開くのを待っていれば、安室さんはそっぽを向き、初めて見るほどムスッとした顔でぼそりと口を開いた。

「…君が、その…初恋の人に、会いに行くって聞いたから…」

ーーは、は、初恋…?
ぽかん、と、彼を見上げる私を見て、安室さんは顔を顰める。えっ、なんて情けない声を漏らした私を見て、安室さんはハッ、と、何かに気付いたような顔をした。

「…今のは忘れてくれ」

そう呟いた安室さん。それから彼はびっくりするくらいに顔を紅くして、私から距離をとった。

「なんなのよ、今の…」

頭を抱えながら先に車に戻った安室さんを、私は胸をドキドキさせながら見つめていた。



35.君の代わりはいないって神様も言っていた
title by 金星
2016.04.30

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