あなたのためのシルクの言葉

「よし。できた」

零さんが帰ってくる前に、いつも彼が作ってくれるように夕飯を作り終えた。彼が帰ってくるまでまだ2時間もある。ラップをして、それを冷蔵庫へ入れた私は先ほど買ってきた便箋にペンを入れる。30分ほどしてそれを書き終えると、私はスーツケースとともに再び家を出る。もう、この家に帰ってくることはないかもしれない。

「…いままでありがとう」

部屋も、家具も、零さんも。全部全部私の大切なもの。やっぱり少し寂しいけど、前に進むためには仕方がない。パンッと、自分の頬を叩いて、玄関を閉める。エレベーターを待つ間も頭の中では寂しさが消えずにいた。

零さんへ。
この1年間、私の送り迎え、ご飯作り、お風呂洗い。監視役のくせに、色々なことをしてくれてありがとう。

チン、という音と共に下の階行きのエレベーターが到着する。乗り込んだ私は、B2という地下駐車場のある階のボタンを押した。

最初は、あなたの事が苦手だった。嘘くさい笑顔も、気障な性格も。
だけど、あなたの作る料理はいつでも美味しかった。

B2という文字の点滅が見え、ドアが開く。重たいスーツケースを持ち上げて、エレベーターを降り、愛車の停まっている1番奥の車庫までの道のりをゆっくりと歩き始める。

仕事でどんなに嫌なことがあったって、どんなに疲れていたって、家に帰ればあの美味しい料理が待っている。そう思ったら頑張れた。久しぶりに人と過ごす事の温かさを感じられたの。でも、それは徐々に変わっていって。

ポケットから車のキーを取り出して、視界に入った黒いセダンにそれを向ける。ピカッとライトが光るのと同時に、車のキーが開いた。

いつの間にか、帰る楽しみは貴方が家にいてくれる事になっていった。料理だって、貴方と食べるから美味しかった。
ホテルで私の身を心配してくれた時も、合コンのお迎えに来てくれた時も、私が撃たれた時に、泣きそうな顔をしてくれたことも。全てが嬉しかったし、くすぐったい感覚だった。

ピピッと、リモコンで開く車のドア。運転席に乗り込む前に、後ろの席にスーツケースを乗せる。その時、目に入った助手席。実家に向かった時も、彼がここに座ってた。この車で、零さんに抱きしめられた。

初めて、人と離れたくないって思った。できることなら、貴方になんて出逢いたくなかった。貴方のせいで、お別れは、すごく悲しいし、すごく寂しい。

キーを差し込んで、アクセルを踏み込む。エンジン音が木霊する地下駐車場を後にして、私は地上階へとつながるスロープを登り始める。

零さん。私に色々な感情を蘇らせてくれてありがとう。
貴方に出逢えて、本当に良かった。

眩しい光が見えたと思った瞬間、私の車は地上階へと飛び出した。もうすぐ、全てが終わる。

どうかお元気で。どうかお幸せに。貴方のことは、絶対に忘れません。

ポタリ、1粒の涙が零れ落ちる。ーーだけど。
後ろは振り返らない。後悔しないためにも、私は彼らと離れる事を選んだのだ。春の日差しは、眩しいほどに明るく車内に反射する。名前は、胸ポケットに隠していた拳銃の弾を確認すると、口許に弧を描き、アクセルに込める力を強めた。
ーー零さんが好き。いつか、そう、ちゃんと伝えられる日が来ればいいな。



28.あなたのためのシルクの言葉
title by moss
2016.03.29

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