安室さんと天使の日常

「あああむろさん、まって…」
「待ちません。こちらは焦がれる思いで待っていたというのに、工藤邸から出てくるとはどういう了見ですか」
「そ、れは、」

側から見れば恋人の情熱的な逢瀬に見えるかもしれないが、そんなに可愛らしいものでは断じてない。
羽交い締めにされている事実は抱き留められていると思われたのか、周りからは黄色い悲鳴が聴こえるし、腕を引っ張る時の表情が犯罪組織の一員だというのに、それに気付く人はこの通りに一人として存在しないというのか。

「まさか僕という存在がありながら、あの男に惹かれているんですか」
「そ、そんなわけありません!」
「ほぉ…では証明してもらいましょう」

こんなに心臓が五月蝿く音を立てているのは命の危機を感じているからなのに、大金持ちのお友達は鼻の下を伸ばしながらひゅうと口を鳴らした。

「選んで下さい。夜景の見えるホテルか、それとも…僕の家か」

少し前まで何から何まで忘れていたというのに、脳裏に浮かぶ初めて身体を重ねたあの日の記憶は、その感触すら肌に感じるほど鮮明。

「名前さん…どっちにしますか?」

耳許で甘く名前を呼ぶなんて反則だ。
頭に一気に血が昇って、そこで意識がプツリと途切れたら、なんだか温かいものに包まれた気がした。





日が昇ってからまだそんなに時間は経っていない。その証拠にカーテンから漏れる光は白く鋭くて、額を撫でる大きな手からは珈琲の深い香りが漂う。
それにホッと肩の力が抜けたが、硝煙の匂いを覚えてしまったのは彼だけのせいではない。

「毛利先生やコナンくんは園子さんがうまく連れて行ってくれたよ」
「…月下の奇術師さんから予告状が届いたみたいで」

キッドの正体を知った夜はいつ口封じのために殺されるかと不安で眠れなかったが、今のところ彼は非常に紳士で、たまの夜に抱えきれないほどの薔薇を持って窓辺に現れる。
詳しいことは知らないが、ベルツリー急行の一件以来、安室透の姿を見ては怯えた顔をして踵を返すし、付き合っていることを知った暁にはこっぴどく叱られたので二人の関係はいつか満月の夜にでも訊いてみたい。

「少々意地悪をしすぎたな」
「…反省してるんですか?」
「やりすぎた点についてはね。工学院生の件についてはまだ怒ってる」

それにしてはひどく優しい触れ方をするのが降谷零という男。
数時間前に抜けたばかりの布団から身体を起こすと、柔らかい笑顔を携えるその男が頬にキスを落とす。

「…幸せだよ」
「え?」
「知らないことばかりだったはずの君が、いまはこうして俺の腕の中にいる。これ以上の幸せはどこにもない」

出会った頃に比べて本当に優しい顔で笑うようになった。
灰原哀やジョディからは再三騙されるなと咎められてきたが、それでも私は彼の本質に触れるたびに胸が苦しくなるほどの激情を覚える。

「笑っていてくれたらそれでいいと思っていた。でも、隣にいたいと願うのは、君も欲張りだと思うだろう?」

そんな訳はどこを探してもある訳がない。私の周りに溢れる平穏は彼が守り抜いてくれたのだから。
いつだって自信を持って生きてきたはずなの彼は最近なんだか様子がおかしい。

「……コナンくんが、噴水の真ん中であなたの名前を呼んだんです」
「俺の名前…?」

水が噴き出すまでの時間をカウントしていた少年が意図せず放ったゼロという言葉。そのとき頭の中でぱちんと何かが弾けて世界に色が戻ってきたことは、彼の存在が自分の中で大きくなっていることを示している。

「きっと自分が思っているよりも、わたしの生活の一部になっているんです。だってもう、あなたがいないことを考えられなくなってしまいました」

恥ずかしくて目は合わせられないけど、それでも目の前の男がゴクリと息を飲んだ音だけは鮮明に耳まで届いた。

「2人きりの密室でそんなことを言うなんて、君もなかなか策士だな」

ここには阿笠製とアメリカ製の盗聴器しか仕込まれていない筈だが、それにしてもこの男の首はジワジワと絞まりはじめているのに、懲りる素振りも見せずに抱きしめられて胸が高鳴る。

「名前、愛してる」
「わ、わたしも、すき、です…」

目の前の男に毒されて心内を素直に認めることができるようになったが、これはこちらの心臓に悪いらしい。
だって、この聡明すぎる頭の持ち主である恋人が酷く幸せそうな笑顔で身を寄せてくるのだから。

「作りましょう、この先の貴方の幸せも」

少年の叫んだゼロという言葉が記憶のトリガーになったなんて信じられるかと、最後まで信じられないとでもいうようなことを言っていたけれど、この日の安室透はいつも以上に上機嫌で米花町を後にした。




△ ▽ △ ▽





「でも歩美見ちゃったもん、名前お姉さんと探偵のお兄さんが病院でチューしてるところ!」
「あああゆみちゃん…!」
「ちょっとアンタ、まさかあたしに黙って付き合ってますなんてことないわよね」

幼稚園からの親友は隠し事を断じて許さない。
まだ小学生がランドセルを背負って放課後を謳歌する公園で事情聴取が始まったのはかれこれ2時間ほど前のこと。
敵に回すと怖いひとが、わたしの周りにはたくさんいる。

「あーあ。アンタが安室さんのファンに殺される日も近いわね」
「怖いこと言わないで園子ちゃん…」
「で?どこまで進んだのよ、安室さんと」

小学1年生に病院での不道徳を見せてしまったことは心が痛むが、それでもこんな話を聴かせるよりよっぽどいい。
歩美ちゃんは後ろ髪を引かれながらピアノのレッスンへ向かった。

「全部吐きなさい。楽になるわよ」

弁護人として呼ばれたはずの姉も何故か園子の隣に座って顔を赤くしているのでもう泣きたい。

半べそ状態のわたしを迎えにきた恋人の登場によりなんとか事が収まるまで、鈴木園子の取り調べは続いた。
できればもう2度と、大切な仲間の容疑者にはなりたくない。

2022.02.28
安室さんと天使の日常

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