赤井さんと異次元の狙撃手

留守の間、全てを預けてくれた工藤新一にはかれこれ半年以上会っていない。
広すぎる豪邸にはすでに新たな住人が文字通り身を隠すようにひっそりと暮らしており、幼馴染はそれを伝えることを失念していたので姉の胴回し蹴りが炸裂する事態となった。

「君の友人とお姉さんにはすっかり嫌われてしまったな」
「女子高生にあんな失礼なこと言う人は中々いませんから」
「本望だよ。こうしてお前と2人きりになれたんだ」

無罪の大学院生を泥棒呼ばわりしたせいで、お返しと言わんばかりに口周りの食べかすを指摘された2人は洗面所に閉じこもってしまった。
正直なところ、この男は犯罪者と相容れない存在だと言われてしまえば否定はできない。

広いリビングには新しい住人と自分の吐息、それにプラズマクラスターのクーラーが静かに上下する音しか聴こえない。この静寂が酷く淋しいものに思えて、考えるよりも先に口が動いた。

「あ…、」

あかいさんと開きかけた唇ごとその名の男に食べられて、ニヒルに笑う捜査官の姿がそこにある。
あから始まる言葉は何個だって存在するのに、言い切る前に気づかれてしまうのは知り合ってからの年月に起因するのか。

「まだまだ付け込む隙はあるな」
「っ、か、揶揄わないでくださいっ!」
「安室くんに似て怒りっぽくなってきているぞ」

首筋を柔く撫でられて全身が強張る。
それを楽しそうに眺める赤井秀一はおそらくどっぷりと休暇を満喫しているし、つい先日まで殉職したと思っていたから、こうして側に居られることが嘘のよう。

「君には笑顔の方が似合います」
「っ、」

沖矢昴という人物は、その仮面の下の人間をよく知る者からは想像もできないほど人当たりが良い。
不気味なときも多少はあるが、笑顔はとても柔らかくて好印象。本当はこうして全ての荷を下ろして、静かで平和な人生を過ごしたかったのではないかと疑うほどには。

「ほぉ…沖矢昴のほうが好みなのか。これは妬けるな」

こちらの心中なんて露も知らない男に今度はソファへ体を縫いつけられ、ありとあらゆる部分に口づけを落とされる。
これは浮気に該当すると言われたら弁護は母に頼めないし、2人がいつ戻ってくるかも分からない緊張と羞恥に視界が滲んできて、ゆらゆら揺れる視界の奥で捜査官がごくりと息を呑む。

「…お前は泣いてばかりだな。初めて会ったあの日から」

開かれた翠色の瞳は、よく晴れた海のもとで見たそれとも、しとしとと雨の降りそそぐNYの路地で見たそれとも全く違う。

優しくて暖かい、平和を守るひとの色。

「初めて会ったときから、私はあなたの跳ねる髪が好きでした」
「……NY時代は長髪だったはずだが」

工藤新一に腕を引かれて出会った真夏の太陽に照らされる彼は、信じられないほど美しくて、心臓がどくどく大きな脈を打っていた。
首を真上に見上げたときに見えた、あの眩しい笑顔はきっと一生忘れない。

「それが初めてじゃないです」
「なんだ、覚えていたのか」

大海原に足を掬われたわたしを拾い上げてくれたのは、今も昔もこの男。
姉が赤井秀一を憶えていたのはきっとわたしの態度があからさまだったから。

「あなたの笑顔が印象的で」
「笑顔に限定してくれるなよ」

きっと本人だって気付いてる。
アメリカで再会したのは1年前で、前に出会った日から9年の月日が過ぎ去っていたというのに待ち焦がれた彼を見つけて一瞬で涙が溢れた。

「名前」

真剣な瞳に射抜かれて、その後に紡がれる言葉を待っていたら、きゃっきゃと楽しそうな声が廊下に戻ってきたので赤井秀一は大学院生を盾に姿を消してしまった。
何が言いたかったのかは見当もつかず、結局そのまま造船会社の社長の命を救うことに成功した。




△ ▽ △ ▽





ベルツリータワーに名前が居るという事実は同僚から連絡を貰うまで本当に知らなかった。
妹を見舞った病院では電子機器を使えなかったし、今回の事件に関しては名前の外出を少年や姉が酷く心配していて、最近は軟禁状態だったから、此方も油断してダイスの暗号を解くのに夢中になっていた。

『君の妹さんの看病につきっきりだったようだが、鈴木財閥の娘に誘われて先程タワーに向かったらしい』
「一刻の猶予もならないですね。ジェームズ、ジョディにあの坊やと連絡を取るよう伝えて頂きたい」
『あぁ、わかった』

降谷零は組織の任務でヨーロッパに飛び立ったが、この忌々しい事件を聞きつけて今夜にでも帰ってくることだろう。
少し淋しそうに彼の留守を話していた彼女を守ることができるのは、現時点でこの俺以外他にいない。

「制圧しきれなかったか…」

それにしても事はかなり悪い方向に進んでいる。闇に呑まれた展望フロアでは今しがた少女が人質に取られ、それが灰原哀でなかったことに安堵したのはたった一瞬のこと。
他人のために命を差し出してしまう名前のことを思えば一刻の猶予も許されない。

『やめて、』
『黙ってろ!命乞いしても無駄だ』

遅れて起動する盗聴機がようやくノイズの奥に名前の声を拾い始めた頃にはもう遅い。今日に限って暗視スコープを持っていないのは最大の過ち。

ケビン・ヨシノの太い腕に抱かれるのはカチューシャの少女に変わって容姿端麗な女子高生。このまま逃げられでもすれば名前の命はないし、万が一雲隠れに成功し母国に帰れたとしても、マークスペンサーがそれを許さない。

『こんなことをしても、ハンターさんはもどらない』
『てめぇ…ここで死にたいらしいな』
『あなたを救ってくれるひとをしっているんです』
『っ、……生きているのか…シルバーバレットが』
『罪のない人は、あの人が必ずたすけてくれます』

それから名前の言葉によって作られた一瞬の隙を坊やが見逃すわけはなく、探偵団のライトと一発の花火のおかげで名前を救うことに成功したが、本当に全てがギリギリだった。




△ ▽ △ ▽





「ごめんね名前…こんなことになっちゃって…」
「そんな顔しないで園子ちゃん。みんなと夜景が見れて嬉しかったよ」
「アンタの方が泣いてんじゃないのぉ」

散らばったガラス破片の上で手を取って涙を流す友人も気を失わされたのだから謝る必要はどこにもない。
自分が助けるつもりだった探偵団には命を救ってもらったし、規制線を突き破ってきた少年が無事だったことも相まって涙腺が緩んでくる。

「早く手当してもらいなさいよ」
「お姉ちゃんが戻ってきたらしてもらうよ。コナンくんが心配だし」
「博士とガキンチョ達がいるんだから大丈夫よ。アンタはそろそろ自分を優先しなさいッ」
「園子さんの言う通りです」
「?」
「え?昴さん!」

忍ぶような足音。肩にまわされた左手。こんなに特徴的な手の持ち主はこの世にただ1人。
安室透はとても優秀な探偵だから、手足の指先まで変装しなければきっといつかすべてがバレてしまう。

「病院へ行きましょう。跡になっては困りますし、顔色も悪い」
「でも、子供たちのお迎えがまだ…」
「それは大人が対応します。君が居なくても大丈夫です」

赤井秀一を醸し出す雰囲気に逆らえないのを知ってか知らずか、ひょいと私を横抱きにする沖矢昴の慈愛に満ちたその瞳が一層近くなって心音がうるさく鳴る。

「無事で本当によかった。あなたに何かあったら私は生きていけませんから」

安室透も顔負けの蕩けるような声音と瞳の甘さで無事を喜ぶ沖矢昴のおかげで、今度こそわたしの不貞が疑惑ではなく確信へと変わってしまった。





地上に戻ると赤い小さな車に押し込められて、てんやわんやしているうちに入院が決まっていた。やはり彼らの行動を比べれば私と姉のよう。それを口にすれば、きっとミルクティーブラウンの髪色は怒気で黒焦げになってしまう。

「高2にもなって無茶するなんて…名前ちゃん、お母さんが泣くわよ」
「…ごめんなさい……」

馴染みの看護師が眉を釣り上げる姿は腺病質だったあの頃を蘇らせる。今もほとんどその質だが、ほとんど故郷と言っても過言ではないこの病院には世良真純も眠っている。

「まさかここまでとはな」
「ご、ごめんなさい」
「人の心配は自分の後にしろ」
「はい…」

日頃は眠り過ぎることばかりだが、初めてベルツリータワーに登ったあの日から碌な睡眠も取れていなかった上、食欲も落ちていた。

沖矢昴は無言でベッドサイドの椅子に腰掛ける。面会時間も過ぎているのに、この人がナースに気が付かれないことに酷く心を掻き乱された。月明かりに照らされて、とても儚い存在に見えてしまうのも相まっている。

「…ヨシノだけではない」
「え?」

部屋に響く低い声は地球を守る温かさがある。
この人が犯罪組織の中で一目置かれ、悪を良しとする人間だと思われていたことが私にはどうしても信じられない。どこからどう見たって、正義のために生きる優しい男。

「お前のことも守る。だから死ぬな」
「あかいさ、」
「頼むから俺の前からいなくならないでくれ」

揺れる瞳はひどく切ない。まるで母親に捨てられた子供のような表情で手を握られて、振り解くなんて思考は浮かばなくなってしまう。

「…約束はできません」
「名前、」

上擦る声はきっと彼にも届いてる。
こうして切望されるのはこれが初めてのことではない。安室透も似たようなことを言っていたし、これまで危ない局面に遭遇してもみんなが命を賭けて守ってくれた。

「それでも、努力はします。あなたの完全復活をこの目でしっかりとみたいし、赤井さんと互角に戦えるのは彼だけだと思っているので」

青地にゴールドの刺繍が煌めく日本製の傘は千代田区から送られてきた。
彼は海外にいると聞いていたから、きっと部下に配送を頼んだ。事件は解決して、秋雨の頃に活躍するであろう傘は弾丸の雨を知ることもなくまだダンボールの中で眠っている。

「守られるだけは嫌なんです。わたしはいつまで経ってもお荷物だから」
「そんなことはない。きみを守るために周りの人間が力を出し切れるんだ」
「そんなの、」

翠色の美しい瞳が、視線を逸らしてばかりのわたしにこっちを見ろと訴えるかのように貫く。
あの頃より少し悲しい色をしていて、笑顔を見る回数も減ったけど。

「愛してる。お前を危険な目に遭わせたくないんだ」

射抜かれて動けなくなった10年前のわたしはもうここにはいない。大事にすべき人間が増えることは、自身の頑固な意志さえ変貌させてくれた。

「赤井さん」

いつだって、何度だって心を乱された。
安室透を不安の闇に堕とすほど、自分の中でかけがえのない存在であることはこの先どんなことがあっても変わらない。

「あなたはずっと、わたしの初恋の人です。それは死ぬまで変わらない」
「死ぬなんて言ってくれるなよ」

骨張った左手が頬に伸びる。心地良い冷たさに瞼を下ろせば、赤井秀一の気配が部屋いっぱいに広がって、彼が本当にこの世に生きていることを肌で感じさせてくれた。

「これからも美味しい肉じゃがを作りましょう。哀ちゃんに認めてもらえるように何度だって」

そばで笑った姿を見ることがこんなに幸せなことだなんて知らなかった。
あわよくばこの先もその優しい笑顔をいつまでも。そんなことを願ってしまう私はやっぱりきっと、欲張りで罰当たりなのだろう。





「という過去ならば俺は君が彼と付き合うことを100歩譲って認めてやってもいい」
「そんな顔で言われても………それに、しんちゃんパパの影響か知らないですけど、そんなに簡単にマカデミー賞取れると思わないでください」
「変装は賞を取れるくらい誉められてもいいと思っているんだがな。まあ君にはすぐ気付かれてしまったが」

くつくつ喉を鳴らして笑う捜査官が日常を幸せそうに謳歌してくれるのであれば、こんな日々がずっと続くことを願うほかない。
だから私はみんなに甘いと再三怒られるのだと自嘲した。

2021.12.24
赤井さんと異次元の狙撃手

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