君の死生観が気に入らない

枯れ葉を舞い上げる風は荒々しく、己の身体を突き刺すような冷たさを帯びていた。
砂や埃を纏う淡い色の髪を靡かせた風柱は、まるでそれが警鐘のように感じて周囲を見渡す。
傍では鈴の音が聴こえた気がした。

「名前…?」

周囲には名前どころか人っ子一人見当たらない。遂に幻聴を耳にするまで彼女を想っているのかと自嘲して、2.3度首を横に振った。
それでも何故か彼女の切ない後ろ姿が脳裏に浮かんでは暫く消えなかった。



風柱は人を寄せ付けない。

傷だらけの顔身体は人々を恐れさせ、大きな風体や口調の強さは善人との間に壁を作る。
一般人から鬼を見るような視線を向けられることは日常茶飯事だった。それに慣れてしまうほど多くの時間を鬼殺に肥やしているし、1人で生きていくことはもう随分昔から当たり前のこと。


「不死川さん。お帰りなさい、今日もご苦労様でした」


それでも彼女は、名前の存在だけは、己の未来を明るく照らした。
柔らかな太陽の光を纏い、こんなに穢れた自身の全てを受け容れる。鬼を滅すること以外全ての感情を捨てた己に再び命を吹きこんだ、あえかな天使。
鬼など知らない世界で生きてくれたらどんなに幸せだろうと、何度考えてきたことか。それでもいまだにそれが実現できないのは、自身の力と覚悟が足りていない。

「貴方ほど心優しい男性を、私は知りません」

それでも俺は、今日も彼女の笑顔と平穏を守るために生きている。





藤の家紋の家での大袈裟なほどのもてなしは身の丈に合わないと思っている風柱は、どんなに大きな怪我を負っても野宿でやり過ごすか自邸への道を急いだ。
しかしその日は朝からあいにくの大雨。自邸への復路は土砂崩れによって阻まれ、渋々近くの藤の家に世話になる運びとなった。
夜でも賑やかな街に佇むその家は、妙に灯りが薄暗い。

「鬼狩り様、ようこそおいで下さいました」

爽やかな笑顔を携えた青年は深々と頭を下げ出迎えた。手拭いを受け取ろうと手を伸ばすも、何がかそれを拒んで、そのまま用意された部屋へ一足に向かった。
また風が吹く。どこからともなく、びゅうっと強く。

病に伏せた主人の代わりにこの屋敷を支えているらしい男は食事やら刀の手入れやらと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

「御用がございましたら何なりとお申し付けください」

一頻りの世話を受け、軽く頭を下げた。久しぶりの藤の家でのもてなしはやはり自分には身に余る。
それから青年の笑顔は貼り付けたようで何だか気色が悪く、実弥は嫌悪を抱いた。言葉にはできないが虫唾が走るような違和を覚えるような、妙な感覚。

耳の奥で鈴が鳴った。
これまで何度も聴いてきた、柔らかくて優しい音色にはやはり焦燥が滲んでいる気がする。
名前に会いたい。なぜだか言いようのない不安が胸を蝕んで、実弥は早々に夢の中へ泳いだ。寝ている間だけでも、彼女に会えると信じて。



あれからどれほどの刻が経過しただろう。ふと廊下の騒がしさに目を覚ませば、誰かが何か話し込んでいる。
寝ぼけているわけでなければ聴き慣れた名が耳に触れ、実弥は襖にそっと背を押し当てた。

「苗字名前という女ですよ、ご存知なんでしょう?」
「…ですから先ほどから何度も言っていますが、」

名前だ。彼女の話だ。そして声の主はこの邸の青年。
なぜ彼が名前、それも鬼殺隊士のほとんどがその存在すら知らない彼女の名を知っている。

「オイ」

ほとんど無意識に飛び出した己を視界に入れた男は眼を見開く。
たしかに発した声は地を這っていたし、気配はずっと消していた。

「こんな時間に何話してやがんだァ」

流れる沈黙。
青年の顔からは親しみやすい笑顔は消え失せ色もない。これがこの男の本来の姿なのだろう。

「起こしてしまいましたか…大変失礼いたしました」

暫く睨みあった後、男はそう呟いて足速に襖の奥へ消えていった。その挑発的な視線や、沸々と浮かび上がっていた青筋は、名前と自身の関係を知ってのことなのか。

「お前、何聞かれてた」
「か、風柱…、苗字名前って誰なんですか?」

下級隊士はやはり鬼を見たような表情で自分を見るので、その話の真ん中の女に無性に会いたくなる。それをおくびにも出さず、実弥は灯篭がひとつ浮かび上がる廊下に身体を預けた。

「……なんのことだァ」
「あの人に聞かれたんですよ。その人が鬼殺隊の偉い人たちの世話をしているって…それに、あなたのことも、」
「俺のことだと?」

ごくりと息を呑む音がやけに耳元の空気を揺らした。
それが己のものか、それとも目の前の隊士のものなのか。判断が下せないほど、嫌な予感が脳を埋め尽くす。

「あなたが本当に風柱なのかってこと。今の柱が何人いるのか、それから蝶屋敷のことも…」
「あの男がなんでそんな話してんだ。藤の家のもんに関係ねェだろ」
「古い知り合いだって言っていました。恩があるから居場所を知りたいって」

風が吹く。生温い、全身に纏わりつくような嫌な風だった。
平穏を守る?冗談ではない。問いただしたところで暖簾に腕押しだということは分かりきっていた。

男の気配はもう、ここにない。





「鬼に襲われたァ?」

件の藤の家の一つ隣。大きな邸の縁側に風柱はいた。
目の前に出された煎餅を齧りながら、太陽のもとで老婆の話に耳を傾けるその姿に、背中の文字は似合わない。

「あれは5.6年くらい前だったかねえ」

老婆は茶を一口啜ると息を吐き出すかのように話し出す。

「鬼に家族を殺されたって、養子として隣の家にやってきてね。その頃からずっと大人しい子だったよ。この辺りの娘たちはそれは黄色い声をあげてたさ、なんせあの笑顔を見たら若い子たちはころっと好きになってしまう」

この街に来てから3日が経過したが、これと言って名前を知る男の情報は手に入らず。
件の男が姿を消した翌朝もこの邸に聞き込みに足を運んだというのに、この老婆は己を不審者と見做したのか口を開いてはくれなかった。
それが2日後にはころっと態度を一変させたので不審に思えば、鬼殺隊には恩があるという。
部屋に焚かれた藤の香を見て、実弥は敷居を跨いだ。

「でも…あの子には浮いた話はひとつも聞いたことがない。ここらで1番の美人が誘いに来たって靡かなかった。それもまあ、許嫁がいるとなりゃ納得だねえ」
「許嫁…?」
「運命の人が居るってんだ。その子を必ず探し出すって3ヶ月くらい前に怖い顔してるのを見たから、逃げられそうにでもなったんじゃないのかってこの辺りでは噂だよ」

それが名前のことか。
つまり昔からの知り合い。俺たちが出会うよりもっと前から彼女を知っていたのかもしれない。
自分さえも知らぬ、彼女の幼少期を。

「ありがとなァ、婆さん」

雲が増えてきた。あんなに縁側を暖かく照らしていたはずの太陽は消え失せ、暗い影を連れてきた強い風があたりを散らした。
冷たい北風はいつだって不吉な知らせを運んでくる。

「羽屋敷ー!名前、負傷ニツキ蟲柱ノ元へー!」
「…どういうことだァ……」
「音柱ト霞柱ガコッチニ向カッテイル」

もう、取り返しのつかないことが起きてしまっているのではないか。
何故あの男の姿を追うより先に名前の元へ向かわなかった。

焦る頭の中に名前が血に塗れた姿が浮かぶ。母をこの手にかけたあの日から、己が未来に光を見ることなど許されなかったのだと漸く思い出し、ギリっと奥歯を噛み締めた。




△ ▽ △ ▽





「名前さん?!ど、どうしたんですかその傷、」

竈門炭治郎は心の底から狼狽していた。
羽屋敷でいつだって清らかな笑顔を携え、みなの帰還を待つ女性が全身に包帯やガーゼを貼り付けて蝶屋敷のベッドに鎮座しているなんて。
鬼を倒すことに直接的に関わっているわけではない彼女が傷を負っている姿を目にするのは初めてだった。

「階段で足を滑らせてしまって…お恥ずかしい姿で申し訳ありません」

炭治郎は鼻を一度だけくんと鳴らす。
一瞬だけ部屋に広がったのは、優しい嘘の匂い。

「炭治郎さんもお怪我ですか?しのぶさんならちょうど任務に、」
「あ、いえ!俺は義勇さんに呼ばれていて」

義勇という名前ひとつで、名前の匂いが変わる。これはそうーー不安と煩悩の香り。

「…冨岡さんに?」
「はい。善逸と伊之助もきっとそのうち…」

何処か虚空を見つめる名前は本当に今にでも消えて無くなってしまいそうで、逃さないよう無意識に手が伸びた。一体何から。

「炭治郎さん…ひとつ、お願いを聞いては頂けないでしょうか」

いつの間にか優しく重ねられた小さな手にはやはり痛々しく包帯が巻かれている。まるで彼女の心を表しているようだと炭治郎は思った。
事情は何も知らないが、兄弟子からの手紙には彼女の側で、彼女を守るよう文がしたためられていた。

「もちろんです!俺にできることなら、どんなことでも!」

果たしてこれが正しい選択なのかは分からない。
それでも蟲柱の目を盗んで一度だけ羽屋敷に戻りたいと言った彼女から嘘の匂いなんてひとつもしなかったのは、たしかだった。


2021.12.23
君の死生観が気に入らない
title by scald

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