左手に貴方を、右手に彼女の悲しみを

ベルモットをホテルに送り届けた安室。彼は名前の家に戻るため、国道沿いに車を走らせていた。車内で思い出す、先ほどまでのベルモットとの会話。


ーー貴方、10年前に起きた西多摩市強盗殺人事件は知ってる?



『西多摩市強盗殺人事件』

10年前の7月21日に起きたそれは、3人家族の住んでいた西多摩市の小さな民家に、真昼間という時間にもかかわらず、強盗が押し入った事件だ。金目のものを奪う前にそこに住む主人と妻に見つかってしまった強盗は、所持していた拳銃で2人の心臓を射抜き、逃亡。未だにその犯人は逃亡中で、証拠がなかなかみつからず、事件は御蔵入り。と、当時世間を騒がせた大きな事件である。


ーーあの事件の第一発見者は当時16歳だったその家の一人娘。時間が時間だけにその娘は学校に行ってたから無事だったんだけど…。

ーーそう。それがあの娘。あの娘の両親は組織の科学者だったのよ。2人ともとても優秀だったわ。…でもその事件のおかげで組織の研究は滞った。そこにあの娘がボスに連れられてやってきたのよ。

ーー彼女は停滞していた研究を全て1人でやり遂げたわ。それも2週間で。もちろん組織は彼女に組織へ入るよう説得した。

ーーでも彼女、事件のショックもあったのか、その2週間水以外の食料を何も口にしていなかったのよ。

ーー案の定倒れたあの娘を組織に引きずり込むことはさすがにできなかったそうよ。ストレスで重度の胃潰瘍になってた彼女は2ヶ月入院したわ。それに事件前後の記憶も曖昧でね…。

ーー入院中に彼女を訪れた警察の問いにもわからないと首を振るばかりで、当時未成年だった彼女をそこまで深く追求することもできなかった警察も頭を抱えていたそうよ。

ーー2ヶ月の療養を終えた彼女はボスの勧めでアメリカに留学し、そこでハッキングの勉強を始めて情報屋になった。そして4年が経って20歳の誕生日を迎えた彼女は日本に帰国したわ。

ーー日本に戻るなり彼女は私たちに警察学校に行くと言いだした。もちろん組織がそんな彼女を野放しにするわけがないし、ボスもジンたちも彼女を消し去る方向で考えていたのよ。

ーーでも彼女はそこで私たちに必死で頭を下げた。組織には入らないけど犯罪以下のことなら手を貸す、両親の事件の犯人が捕まらないのは警察が事件を隠蔽している可能性があるから、それを調べるために力を貸して欲しい、と。

ーー彼女は事件のことを全て覚えていたのよ。でも忘れたふりをして警察にだんまりを通し、留学中に培った知識を使って色々調べたそうよ。そこで事件がなかなか解決しないのが警察の上層部に犯人がいるからじゃないか、という結論に至ったらしいわ。



ベルモットが神妙な顔で重々しく語った事実は、何も知らなかった安室の心臓を抉るような話だった。組織が近くにいたとは言え、急に家族が殺害され、その第一発見者が自分で、自力で事件を調べ、彼女はたった1人で全てを背負い生きてきたのだ。それでいて平然を装っている彼女の心の闇は、僕が測り知れない程深いのだろう。


ーー1ヶ月前、彼女誰かに背中を押されて駅の階段から転げ落ちたのよ。大事には至らなかったけどね…。確証はないけど、恐らくあれは彼女が極秘にあの事件を調べていることを知った人間の犯行。



彼女はその辺の女性と少しは違っても、普通に笑って、普通にご飯を食べて、普通に出勤している。でも本当は恐怖や執念を隠して生活しているのだ。安室はそんな名前の今朝の幸せそうな寝顔をと、たまに見せる哀しそうな表情を思い出してぐっと眉間にしわを寄せる。
ーー僕は何も知らずに…。なんて無力なんだ。


ーーそれで組織は彼女の命を狙う人間がいることを懸念して貴方を送り込んだ。だから貴方は彼女の監視というよりほとんど護衛に近い立場にいるんじゃないかしら。……これ以上詳しいことは言えないわ。あとは本人から聞きなさい。



そして一番残酷なのは、自分が本当に身を置く組織が、彼女の事件の隠蔽に大きく関与している可能性があることだった。



10.左手に貴方を、右手に彼女の悲しみを
title by moss
2016.01.29

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