柱稽古が始まりました

いよいよ柱稽古が本格的に始まり、名前はしばらくの間、蝶屋敷で生活をしていた。

「例の薬ですが、掛け合わせて使うことで確実に無惨を弱らせることができると思っています」
「そうですね。薬は分解されてしまうことを前提として作りましょう」

鬼の祖を倒す薬の開発を進める為と、加減を知らない柱たちの稽古は怪我人を続出させるだろうと見越したお館様の案だった。現に蝶屋敷には複数の軽症隊士が身を置いている。

毒の摂取をやめたしのぶはまるで世界が変わったような気持ちでそんな日々を過ごしている。
名前と珠世の知識や技術のおかげで自分1人ではできなかったことができるようになり、現に鬼の祖を弱らせるための薬がここまで出来上がりかけているのだ。絶対に仇を取れる方法があるからと手を取ってくれた名前の言葉を信じたいと強く思ったし、それに、天の上にいる姉もきっとカナヲを置いていくことを望んではいない。

「明日は珠世様のところへ参る予定ですのでお伝えさせていただきますね」
「それなら私もご一緒してもいいですか?珠世さんに伺いたいこともありますし」
「もちろん。きっと喜んでくださいます」

本当に状況が随分と変わった。禰豆子や名前の血液が薬を作る道標となり、まさか自分が鬼と手を組むことになるなんて。姉が知ったらきっと腰を抜かす。

「何やら騒がしい気配が」
「えぇ…事件でしょうか」

蝶屋敷はいつだって騒がしい。鬼が暴れる限り、犠牲者や怪我人は絶えぬもの。しかし柱稽古の真っ最中である今現在、重傷を患ってやってくる隊士は殆どいないので幾分穏やかな時間を過ごすことができていた。そんな中静寂を破るかのようにやってきた、1人の隠の姿。遠くからでもよく聴こえていた声が、どたばたと屋敷内を駆け巡っている。

「苗字さま〜!苗字さま、いらっしゃいませんかぁあ…!!」

その焦燥を孕んだ声に何事かと名前と顔を見合わせたところへ、忙しない風が吹き込んだ。口元の布が、ゼエゼエと荒がる息で上下している。

「あ、あ、あの、どうか…どうか、助けてください…!」
「落ち着いてください。なにがあったのです?」

隠や隊士は基本的に命の危機があって此処へやってくる。その事情はもちろん理解しているつもりだが、何故こうも皆、扉を大袈裟に開け閉めするのだろうか。ここは他人の…柱の屋敷であるというのに。

「実は風柱様のお宅で乱闘騒ぎが……!誰も手をつけられない状態でして……ご無礼を承知でお願い申し上げますが、止めに来てはいただけないでしょうか…」

涙を流しながら話す隠の姿に同情の念すら湧き上がる。窓から見えた少年2人の表情を捉えて、粗方の事情を把握した。

「不死川さんには困ったものですね…」

ぼんやりとそう返したところで傍らの天使を振り返ると、彼女はやってきた問題児の血縁者に駆けていくところだった。

「こんにちは玄弥さん。悲鳴嶼さんをお呼びしますから、それまでしのぶさんの言うことをしっかり聞いてね」
「……はい」
「名前さん、俺も行きます!」
「善逸さん。それでは道案内をお願いいたします」

大丈夫と倍ほどある背丈の少年の手を握る姿が姉と重なる。少年も強張っていた肩をすとんと落として、力いっぱい震える拳を解放した。

「どこかの風柱さんは彼女にご執心ですから、心配いりませんよ。さぁ、参りましょう」

そんなに悲しい顔をしないで。彼女も彼も、貴方の幸せを願っているだけなのだ。名前がかけそうな言葉を探してみるも、自分の口から出すには少々小っ恥ずかしい。





△ ▽ △ ▽





修行の成果を試したいと聞かない善逸の剣幕に押され、彼の背におぶられた名前が風柱邸についたときには、何かが壊れる音よりも隊士たちの呻き声の方がよく聞こえてきた。先ほどまで饒舌に師範や兄弟子の話をしていたはずなのに、戦場を前に脚が竦んでいる少年を置いて彼女は門をくぐり抜ける。

「不死川さん、落ち着いてください」
「っ!…な、んでテメェがここに…、」

炭治郎の胸ぐらを掴む手に白くて小さな手が重なる。繰り出そうとしていた拳を下ろす風柱の姿にそこにいた全員が安堵から顔を地に伏せた。

「炭治郎さん。お屋敷の前に善逸さんがいらっしゃいますから蝶屋敷へ連れて行ってもらってください」
「…っ、で、も…!」
「これから大きな戦闘が始まるというのに、その傷を放っておくのはいただけません。みんな心配しています」

微動だにしなくなった風柱を前に、名前の笑顔があとは任せてと言っているので、こくりと頷いて重たい身体を引き摺った。

「さて…まずは皆さんの手当からですね。後藤さん、お手伝い願えますか?」
「は、はい!」

門からこちらをそろりと覗く友人の姿が見えて、漸く肩の力が抜けた。怒りに身を任せてしまう癖は悲鳴嶼さんのところでどうにか克服しなくては。





▽ △ ▽ △





月夜の縁側に2人分の影が落ちる。隣に腰掛けた女が酷く幻想的な光を纏っているので夢かと思った。

「後輩が育っている証拠ですね」
「るせェ…、」

冷たい茶を持って来た指が頬の傷を撫で、痛みが現実へ意識を戻した。
この女といる時間はいつだって夢と現実の狭間を歩いているような気がする。久しぶりに憎まれ口を叩いたというのに、天使に気にする素振りは見当たらない。

「なァ……俺は、間違ってるか」

こつんと薄くて頼りのない肩に頭を預けてみる。おずおずと髪を撫でる手が哀しいほど暖かくて、ひとつ息を吸うのにかなりの時間を要した気がした。

「大切な人に幸せになってほしいと願うことが間違っている世界なんて、私は生きていたくありません」

人と深い関係を築くことを避けるきらいがあった。大事なものが増えれば増えるほどまた同じ傷を負う。いくら藻掻いても修復できない、大きな傷を。

それでも彼女はいとも簡単に心の中に棲みついた。二度と大切なものなんてつくらないと決めた自分の心に何度目を瞑っても、きっとこれは避けては通れない道。

「私は同じように貴方にも幸せになってほしい。鬼をこの世から消し去って、その時にまた寄り添うことができたらそれでいいんですよ」

思慮深く、慈愛に満ちた優しい瞳が不死川の胸を打つ。そんな表情を向けられるのは母が未だ人間としてこの世に在った時がきっと最期だと思っていた。

「少しだけ、このまま…」
「はい。不死川さんが要らないと仰るまでおそばにいます」

それは可哀想に。ならば俺は死ぬまでこの熱を手放すことができない。
鈴の鳴る音が脳髄を支配して、それから目を伏せれば今度こそ暖かな夢へ導かれた。

2020.01.06
柱稽古が始まりました

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